交通事故に遭ったのは、スピリチュアル的にどんな意味があるのか考えている方へ。
交通事故は言ってみれば不慮の事故です。自分はどんなに気を付けていても、避けられない時もあります。大したケガではなかったとしても、なぜこんな目に合わなければならないのかと、気持ちも重く沈んでしまいます。交通事故に遭うというのは偶然なのでしょうか。それとも、何か意味があるのでしょうか。
本記事では、ヒーラー、メンタルケア心理士の坂木理恵が、交通事故に遭ってしまったスピリチュアルな意味をご説明いたします。
交通事故は天使や守護霊のメッセージ
スピリチュアルでは、自身が発している波動が良くない時、交通事故に遭いやすいと言われています。波動が悪くなるのは、愚痴や不平不満ばかり言っている、怒ってばかりいる時です。
そんな時は、目に見えない存在…天使や守護霊たちが、このままではいけない、愛と感謝の気持ちで生きなさいということを、いろいろな形で伝えようとします。
彼らは、あなたがそのことに気づくまで、いろいろな形でメッセージを送り続けているのですが、もしかしたら事故に遭う前も、物が壊れたり、トラブルが絶えなかったりということはなかったでしょうか。
歩いていて車にはねられた、あるいは車に乗っていて追突されたなど、自分が悪くないのにひどい目に遭ったと現在も思っているのであれば、命が助かったというだけでも感謝してみてください。この先の人生は好転するはずです。
交通事故は厄落とし
もしかしたら、この先、もっと大きな災難が降りかかるのを防ぐために、交通事故に遭ってしまったのかもしれません。命を落とさなかったことに感謝しましょう。
また、日本では昔から、運気が落ちて災難に遭いやすい年齢を厄年といって、神社でお祓いなどしてもらう風習があります。これを厄払いと言いますが、厄落としと厄払いは微妙に違います。
- 厄落としは先にも書いたように、先に自分が災難を起こすことで大難を小難にするというもの。
- 厄払いは、災難が起こりやすい時期に少しでも免れるためのお祓いをすること。
どちらにしても、私たちは大きな仕組みの中で生かされているということ。何が起こっても感謝の気持ちで過ごすことが大切です。
交通事故は引き寄せの法則の結果
自分の思いが現実を引き寄せるという話を耳にしたことがあるかもしれませんが、この「思い」というのは、自分の心の奥深くに眠っている無意識の思いを指します。自分自身はそんなに気にしていないつもりでも、心の奥底に不安が渦巻いていたことで、交通事故を引き寄せてしまったのかもしれません。
事故を目撃してしまった時は、不安や恐怖心を抱くのではなく、その事故はなぜ起きたのかという原因を知り、自分はそうならないように気を付けようと思うことです。どんなことに気を付けなければならないのかということに意識を向けることで、不安はなくなります。
事故を目撃したりしたことがないのに交通事故に遭ってしまったという方は、日頃自分がどのような考え方かということを見つめなおしてみてください。悪いことが起きたらどうしよう…などマイナス思考で生きていませんか。不幸なことが起こらないようにという願い、実はこれも不幸をイメージしてしまうので、起きてほしくない現実を引き寄せてしまうので気を付けましょう。
交通事故は悪霊の仕業
交通事故が多発する場所は日本の至る所にありますが、これは不慮の事故で亡くなってしまった人の霊が成仏できず、そのあたりを浮遊しているからだとも言われています。
交通事故に遭ってしまったら、その場所がどんな場所なのか調べてみましょう。もし、事故多発地帯だったなら、今後は極力その場所には近づかないことです。
また、中古車の場合、その車が過去に人身事故を起こしたことがあったりすると、被害者の怨念が取り憑いていることもあります。
そして、もう一つ。あなた自身が誰かに恨まれたり妬まれたりしている場合、その人の生霊が交通事故を引き起こすということも。もし心当たりがあれば、霊能者などの専門家に相談して、念のために除霊してもらうこともお勧めします。
交通事故は魂が決めた試練
神=宇宙の叡智は光の存在であり、そこには愛しかありません。私たちの魂は、すべては愛でできているということに気づくために輪廻転生を繰り返しながら向上するといいます。
輪廻転生を信じるのが前提となりますが、私たちはこの世に生まれてくるとき、魂が学ぶための試練をどんな形で行うのかを決めてくるのです。試練は必ず乗り越えられるものであり、その時の学びや気づきが魂の向上につながるのです。
交通事故に遭うということを魂が決めてきたことならば、ここで学ばなければならないことは何かということです。それぞれの魂の学びなので、こういうことを学ぶために起こったのだということは、その人の魂だけにしかわかりません。
今こそが、内なる自分と向き合う時なのかもしれません。交通事故に遭ったことで、これまでの考え方、価値観はどうなりましたか。そして、これからこの世ではどのように生きるのが幸せだと思いますか。ゆっくり考えてみましょう。
交通事故は偶然ではなく必然
交通事故は、ほんの0.1秒でも時間がずれていたら起こらないものだといいます。逆に考えたら、必要・必然・ベストの状態で起こったと言えるのではないでしょうか。
交通事故は、偶然という名の必然です。良いとか悪いとかではなく、交通事故という事実だけで捉えると、その経験をどう考えてどう対処するのかということ。
先に書いたようにいろいろな意味付けはできるかもしれませんが、すべては目に見えない「想念」というものが交通事故という形になって現れていると思います。
想念は私たちが心の中で作り上げているものです。この世は陰陽、表裏一体。どの方向から見るかによって人生は変わります。
交通事故に遭ったのは不幸な出来事だった、自分は何も悪くない…そう言って終わらせるのではなく、いろいろな角度から考えてみることも、人生の学びなのではないでしょうか。
最後に
交通事故に遭ってしまった時、どんな意味があるのかということをいくつかご紹介しましたが、いかがでしたか。もしかしたら、自分の内面を見つめ直すことでいろいろ気づくこともあるかもしれませんね。
交通事故に遭ってしまったスピリチュアルな意味は
以上、ヒーラー、メンタルケア心理士の坂木理恵がお伝えしました。最後までご覧頂き、有難うございました。