出会いにはどんな意味があるか知りたい方へ。
人が出会うということには意味があると、誰でも何となく思われることでしょう。ましてや、偶然が重なってよく会う人に対しては、特に重要な意味があると感じるかもしれません。
出会いは何かのための伏線ではありません。その瞬間自体が、とても大きな意味を持っています。それに気付けるか気付けないかは、これからの人生の歩みを大きく変えていくことでしょう。
この記事では、出会った人は自分にどんな影響があるのか、どんな意味があるのか、スピリチュアル的にお伝えしていきたいと思います。
出会いには、あなたを成長させる知恵が詰まっている
あなたは出会うべくして出会っている方々に囲まれて生きています。それは当然、一番大切なご両親をはじめ、社会生活で関わり合うこととなる友達や同僚なども含め、その一人一人と意味があって関わっています。
そうした関係性の中でも、特に街角など予想もしなかったような場所で出会うことがあると、そこに何かしらの、深い意味を考えてしまうのは、世の常なのかもしれません。
ただここで言えるのは、そうした偶然の出会いも、それぞれは重さや深さには大きな違いがないといことです。
こう説明するとご両親と、街角で肩と肩がぶつかった他人との出会いが同じであると聞こえるかもしれませんが、そういう意味ではなくて、その関わった瞬間の中から、学ぶことの重さや深さに大差がないということを言っているのです。
人は成長を常として人生を歩んでいます。成長のヒントとなることは日常にたくさんあるわけです。そういう意味では今日10分ほど母親と会話したことから学ぶことと、コンビニで店員さんと1分ほど接したことから学ぶことに、そう違いはないわけです。
そこには、全て、あなたを成長させる知恵が詰まっています。もしそれをあなたが偶然だと思うようでしたら、そこからは何も学べないことになりますし、また成長の機会を逃していることにもなるでしょう。
「類は友を呼ぶ」人は似たような人を引き寄せる
よく「人は似たような人を引き寄せる」という言葉を耳にするかと思います。これはとても道理に適っていて、あなたの身の回りに起こることは、今のあなたの気持ちの動きに敏感に反応しているのです。
もし、口が悪い人とばかり出会うという方がいれば、それは、あなたへの「口は災いの元」という警告かもしれません。とても出来た人とよく出会う方は、心穏やかな素敵な方のはずです。周囲の方は自分の写し鏡だと思いましょう。

出会ったお相手でなければ学べないことがある
そしてそれはあなただけの問題ではなく、お相手にもあなたとの出会いから、学ぶことがあるわけで、お互いがその成長を果たせていない状態であれば、その関係性は今後も続くこととなるわけです。
関係が終わる時
しかし、その関係性は続かないことも有ります。あなたには成長できていない部分があったかもしれませんが、お相手はあなたとの出会いを通じて成長できていたら、特に学ぶことがないからです。
これはお相手があなたを求めていないとか、欲していない、好きではないというようなことではなく、たくさんある人間関係の中で、あなたよりも学ぶ意味を持つ人と出会えれば、そちらの出会いを優先するからです。そういう場合、あなたは成長を果たすための知恵を見付けなければなりません。
そして再会
自分で知恵を得て成長していく中で、更に新たな課題を見付けることができて、そのために再度そのお相手との出会いに意味を見い出せるのであれば、その時は再会を果たせることがあるかもしれません。
出会いはあなたの人間的レベルを象徴している
更に進んだ考え方となりますが、あなたが成長を果たした時、その人間関係との学びを終えなければならない場合があります。それは強制的なものでも無理を強いられるものでもありません。あなたは自然と、そのお相手との関わり合いから卒業する時が来るのです。
成長を果たしたということの証
そのある特定の人間関係から学ぶことを終えるという状況は、人生の中では結構あるものです。それは成長を果たしたということの証でもあるわけです。その時は自然と、どちらからともなく離れていきますし、気にもならなくなっていきます。
誰が上で誰が下というわけではないのですが、これを人間的レベルという言葉で表現するならば、精神的成長というレベルアップを果たしたことで、今までの関係を自然と手放せるようになります。
言い換えればそのレベルアップを果たせていなければ、または次のレベルアップに向けてまだそのお相手から学ぶことがあるとしたら、その関係性は継続されるというわけです。
今、偶然会うことがが多いと感じているそのお相手から、何を学び、どのような成長や向上を果たせているのか?そしてレベルアップできているのか?それを推し量る指針として、そのお相手との関わり合う頻度を基準にされてみても良いでしょう。
出会わなくなってからの影響も大事
出会っている間は学びの過程にあるので、当然その意味は大きいですし、強い影響力を持っています。では出会うことがなくなってからの影響力はどうなのか?
出会っている間は学校で勉強を教わっている状態なので、分からなくても、それをおさらいするチャンスも、補習する機会も与えられます。しかし消化を終え、その出会いから卒業した後は、そこで学んだことを今後の人生に生かす作業に入るわけです。
異なった人間関係や環境で学んだことを活かしてまた一からのスタートとなります。なぜなら新しい人間関係や環境となるので、そこでは新しい課題に取り組まなければならないからです。
人は常に学んだことを、ただ吸収するだけでは意味がありません。その知恵を以降の人生で生かすことに本質があるわけです。赤ちゃんが歩けるようになり、言葉を話すようになり、大きくなるにつれて高等な知識を習得し、大人になってそれらを生かして生きているのと同じで、そのスタンスは大人になった今でも何ら変わりはありません。
最後に
偶然な出会いを特別視することは、時にその学びについて集中するという意味では良いかもしれません。しかし過剰にそこに思い入れや先入観が働いてしまうと、もっと広く辺りを見渡せば答えがすぐに出るようなことであっても、その盲目さゆえにさ迷い歩き続けてしまいかねないわけです。
あなたはこれからも、多くの出会いと別れを経験することでしょう。その一つ一つにはとても大切な意味があります。それらを漏らさず吸収するため、そしてそこから得た知恵を存分に生かせる意識に繋げるため、人生をフラットに俯瞰できる目を養われましょう。