仏教用語「四向四果(しこうしか)」の意味を知りたい方へ。
南伝仏教において、悟りに至るまでの道筋は厳密に定められており、それぞれの段階を表す言葉として「四向四果」という言葉があります。悟りの段階とは一体どういうものでしょう?そして、各段階でどのようなことを学ぶのでしょうか。
本記事では「四向四果」の意味を分かりやすく紹介いたします。
①四向四果とは悟りに至るまでの段階のこと
仏教は大まかに、日本や中国で信仰されていた北伝仏教(大乗仏教)と、タイやスリランカなどで信仰されていた南伝仏教(上座仏教・部派仏教)に分けられます。
お釈迦様が亡くなった後、二つに分かれたのですが、北伝仏教は宇宙の成り立ちやヒンドゥー教の神話を教義に取り入れており、スケールが大きいのが特徴です。
対する南伝仏教は、宇宙の成り立ちよりも自分の内面と向き合う要素が強く、現代で言うところの自己啓発に近い内容といえます。お釈迦様が実際に説いていた教義に近いのも、南伝仏教の方だといわれています。
「四向四果」とはそんな南伝仏教の用語で、悟りに至るまでの四つの段階を表しています。
②悟りの段階は、預流・一来・不還・阿羅漢の四段階
南伝仏教では、悟りに至る道筋が具体的にはっきりと書かれています。その四段階について、詳しく見ていきましょう。
悟りに至るまでの四つの段階
- 最初の段階が、「預流向(よるこう)」「預流果(よるか)」です。「預流」の流れに向かっている状況を「預流向」、預流の悟りを得たこと、あるいは預流の悟りを得た人を「預流果」と呼びます。
- 次の段階が「一来向(いちらいこう)」、そして一来の悟りのことを「一来果(いちらいか)」といいます。
- その次が「不還向(ふげんこう)」、不還の悟りを得たことを「不還果(ふげんか)」と呼びます。
- 最後が「阿羅漢向(あらかんこう)」、阿羅漢の悟りを得た人を「阿羅漢果(あらかんか)」といいます。いわゆる「悟りを得る」というのは、この阿羅漢果に悟った人のことをいいます。
③預流とは悟りの流れに乗ること
「預流」とは漢字が表している通り、悟りの流れに身体を預けることをいいます。川で小舟に乗っているところを思い浮かべるとイメージしやすいと思いますが、一旦この流れに乗ってしまえば、後は自動的に川下まで辿り着くことができるというわけです。
また、「預流」を「七来(しちらい)」、「逆流(げきる)」と呼ぶこともあります。「逆流」とは運命の流れに逆らうこと。そして「七来」は、輪廻転生をあと七回繰り返すまでの間に悟ることができる、といった意味合いです。
そして預流果に悟った人は、三悪趣と呼ばれる「地獄」「餓鬼」「畜生(動物)」には転生しないといわれています。これらに生まれ変わってしまうと、悟りに至るまで途方もなく時間がかかってしまいますから、その可能性がなくなるというだけでもありがたいことです。
④預流果に悟ると三つの煩悩が消える
また、預流果に至った人の特徴として、三つの煩悩(無智)がなくなるというのがあります。
- 一つ目は、「疑(ぎ)」。精神世界や仏教の教義に対する疑いの気持ちのことです。
- 二つ目は「戒禁取(かいごんじゅ)」。あらゆる宗教の教義の違いはローカルルールのようなものであって、注意深く見ていくと、ほぼ同じことを言っているのが分かります。預流果に悟ると、そういった無意味なしきたりと本質を見分けることができるといいます。
- 三つ目は「有身見(うしんけん)」。「自分はある」「私は私一人だけでこの世に存在している」という錯覚のことです。この世のあらゆるものは、他のものとの関わり合いの中で存在しており、その人個人だけで存在する人は誰一人としていません。
知識だけでなく実感としてこの三つの無智がなくなることが、預流果に至ること、つまり悟りの第一歩というわけです。
⑤一来果に至るとあと一度の転生で悟ることができる
預流果に至った修行者は、次の段階「一来向」へと進みます。「一来」というのは、どれだけ長くかかったとしても、あと一度だけ輪廻転生すれば悟りに至ることができるということです。
そして一来果の悟りを得ると、欲、怒り、無智の三つの煩悩が弱くなります。まだ一度だけ人間に生まれ変わって修行を続けなくてはなりませんが、それでも煩悩が弱くなった分だけ、智慧が現れてきます。欲や怒り、無智は苦しみの根源でもありますので、これが弱くなっただけでも生きやすくなるのは想像できるでしょう。
⑥不還果に至ると人間界へは転生しない
一来果の次の段階が、「不還向」です。「不還」とは、還ってこないこと。つまり人間界での学びをすべて終えていますので、不還果の悟りを得ると二度と人間界には生まれ変わらないのです。
不還果に至ると、五下分結(ごかぶんけつ)、つまり、魂を低い世界へと結びつけてしまう無智や煩悩が完全に消えてしまうといいます。預流果でなくなった「疑」「戒禁取」「有身見」の三つの無智、そして激しい怒りと欲の五つを合わせて五下分結と呼びます。
この世に対する執着が完全になくなっていますので、より智慧が高められ、物事の本質を見抜くことができるようになります。ですが、まだ悟りに対する執着は残っていますので、完全な悟りに至っているわけではありません。
⑦阿羅漢果が究極の悟り
不還果の悟りを得た修行者は、「阿羅漢向」という段階に入ります。そして順調に修行が進み、「阿羅漢果」を得ると、煩悩が完全に消えてしまうといいます。人間界だけではなく、天界に転生する必要もない段階です。ですので、今回の人生が終われば、そのまま消滅してしまいます。
お釈迦様は存命中にこの段階まで悟ったといわれていますが、当時は、お釈迦様の説法を聞いただけで、預流果に悟る修行者も多かったそうです。阿羅漢となった人の言葉には、それだけの力があったということでしょう。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
悟りに至る四段階「四向四果」について、理解できたでしょうか?たとえ阿羅漢果まで辿り着くことができなかったとしても、内観を続けて智慧を身に着けることで、少しずつ前に進むことはできるはずです。そして無智がなくなれば、それだけ生きることも難しくなくなるでしょう。
仏教用語「四向四果」の意味の要点は
- ①四向四果は悟りに至るまでの段階のこと
- ②悟りの段階は、預流・一来・不還・阿羅漢の四段階
- ③預流とは悟りの流れに乗ること
- ④預流果に悟ると三つの煩悩が消える
- ⑤一来果に至るとあと一度の転生で悟ることができる
- ⑥不還果に至ると人間界へは転生しない
- ⑧阿羅漢果が究極の悟り
ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。