禅宗の思想「不思善悪」の意味を知りたい方へ。
禅の言葉に「不思善悪」という言葉があります。”善悪を考えない”とは、どういう意味なのでしょうか。そして、もし善悪を意識しなくなったら、一体どんな心境の変化があるのでしょうか。
本記事では「不思善悪」の意味を分かりやすく解説します。
①禅宗は仏教の一派
禅宗はもともと、南インド出身の達磨(だるま)大師が開いたとされている仏教の一派です。「ダルマ」というと選挙事務所などに置いてあるあの人形をイメージする人も多いと思いますが、そのモデルになったのが達磨大師です。
達磨大師は後に中国へと渡り、禅の布教に努めました。その禅が日本へと伝わって、武士道文化に大きな影響を与えたことはよく知られています。ですが本場の中国では禅宗は廃れてしまい、今では日本のみに残っているという状況です。何だか皮肉な感じがしますね。
②「不思善悪」とは善悪のジャッジをしないという意味
「不思善悪」もしくは、「不思善不思悪」というのは禅宗で使われている用語です。不思善悪とは「善悪の判断をせず、物事をありのままに見なさい」という意味です。
なぜ、善悪の判断をしてはいけないのでしょうか?それは、善悪の観念を当てはめて物を見てしまうと、現実がありのままに見えなくなってしまうからです。
③この世には絶対的な善も、絶対的な悪もない
この世に絶対的な善悪はないというのは、よく言われることです。
平和な時代に町の中で人を殺せば罪人になりますが、戦争中に敵兵を殺せば英雄になるといわれるように、善悪というのは、時代や状況に応じて変わってしまうものなのです。
また、「私は正しいことをしている」という動機からくる行動は、自分では客観視できませんし、なかなか歯止めをかけられません。宗教戦争や魔女狩りが泥沼になり、悲惨な結果に終わることが多いのは、そのためです。
④エデンの園は不思善悪の寓意(ぐうい)
旧約聖書に登場する「エデンの園」のエピソードは、ご存知でしょうか。神はまずアダムを生み出し、次にアダムの肋骨から妻のエヴァを生み出して、彼らを理想郷に住まわせました。
アダムとエヴァは自由を与えられましたが、ただ一つ、エデンの園の中央に生えている木の実を食べることだけは禁じられました。この木は「生命の木」と呼ばれていて、その木になっている実は「知恵の実」、つまり善悪を判断する実だといわれています。
エヴァは蛇にそそのかされて「知恵の実」を食べた結果、神のように善悪を判断するようになり、アダムと共に楽園を追い出されてしまいました。
旧約聖書は寓意(ぐうい)が多いといわれていますが、このエピソードは「人間が知恵の実を食べて善悪をジャッジするようになり、物事がありのままに見えなくなったせいで楽園を追い出された」と読むこともできるのです。
⑤赤ん坊は善悪の判断をしない
また、生まれたばかりの赤ん坊は、善悪の判断をしません。周りの大人がしていること、起きている出来事をありのままに受け入れます。善悪の判断というのはあくまでも、私たちが大人になるまでの間、社会で生きていくために身に着けたものに過ぎないのです。
そして、何も知らない子供の頃は、今よりももっと世界が輝いて見えたはずです。善悪の判断を身に着けたことで、見えなくなってしまうものもあるのです。
⑥「不思善悪」で物事がありのままに見えてくる
以前読んだ本に、こんなエピソードがありました。
とあるカウンセラーの元に、一組の夫婦がやってきました。彼らは娘さんの家庭内暴力で悩んでおり、状況を少しでも改善したいと思ってカウンセリングを受けることにしたそうです。カウンセラーは詳しい状況を聞いた後、夫婦に紙を一枚ずつ渡し、「今、娘さんに対して感謝できることを書いて下さい」と言ったそうです。
当初は感謝できる言葉がまったく浮かばなかった夫婦でしたが、カウンセラーは彼らに善悪のジャッジをせず、夫婦が来るたびに話を聞き、紙を渡して、毎回同じように「娘さんに感謝できることを書いて下さい」とだけ指示をしました。
それからしばらく経った頃、いつものように紙を渡し、娘さんに感謝できることを書いてもらったところ、夫婦の中から自然と「こうして二人で一つのこと(カウンセリング)に取り組んだおかげで、夫婦の絆、家族の絆が強くなりました。ありがとう」という言葉が出てきたそうです。その後、間もなくして娘さんは独立し、家を出ることになったということでした。
娘さんがわざと悪役を買って出た?
いかがでしょう?まるで、夫婦の絆を強める為に、娘さんがわざと悪役を買って出た、という風にも読み取れませんか。もちろん娘さん本人は、まったく自覚していなかったと思いますが。
もし、夫婦が最初に来た時に、カウンセラーが「家庭内暴力を振るうなんてひどい娘さんだ」「あなた方夫婦が、娘さんを虐待してたせいじゃないか」と善悪のジャッジを下していたら、夫婦はこの出来事の本当の意味を理解できなかったかもしれません。
「不思善悪」で物事をありのままに見ることで、別のことが見えてくる場合もあるのです。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
人間は元々、物事をありのままに見ていたはずなのに、いつの間にか善悪の判断をするようになってしまいました。そのせいで息苦しくなったり、他者に苛立ちや怒りを感じるようになってしまうのなら、その判断を一度疑ってみるのも一つの方法だと思います。他人を許すことは自分を許すことでもあり、自分を許すことで他人にも寛容になれるのではないでしょうか。
不思善悪の意味の要点は
- ①禅宗は仏教の一派
- ②「不思善悪」とは善悪のジャッジをしないという意味
- ③この世には絶対的な善も絶対的な悪もない
- ④エデンの園は不思善悪の寓意
- ⑤赤ん坊は善悪の判断をしない
- ⑥「不思善悪」で物事がありのままに見えてくる
ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。