六道輪廻図
六道輪廻図

仏教における「人道」という言葉の意味が知りたい方へ。

「人道」は、ふだん、あまり聞きなれない言葉です。「人道」とは、死後の世界にある「六道」の中のひとつの世界のことです。
仏教による「人道」とは、いったいどんな世界なのか?分かりやすく解説します。

①「人道」とは、六道の中の「人間界」です

須弥山の概念図
須弥山の概念図

私たちは、死ぬと霊魂となって「あの世」に生きます。そこは輪廻転生の世界です、そこには「六道」があります。「人道」は「六道」の中のひとつです。

その輪廻転生の世界の中心に須弥山という山があります。須弥山の世界には4つの州があります。「人間界」は、この4つの州に分かれて存在します。

  1. 贍部州(せんぶしゅう)・・・須弥山の南方にあります。
  2. 勝身州(しょうしんしゅう)・・・須弥山の東方にあります。
  3. 牛貨州(ごがしゅう)・・・須弥山の西方にあります。
  4. 俱盧州(くるしゅう)・・・須弥山の北方にあります。 

私たちのいる「人間界」は、南の贍部州(せんぶしゅう)にあります。その他の州に住んでいる人間たちは、私たちとはかなり違います。

例えば、東にある勝身州(しょうしんしゅう)には、身長4メートルの大型の人間がいて寿命は平均250歳です。また西方にある牛貨州(ごがしゅう)に住む人間は、貨幣の代わりに牛を使うと言われています。牛貨州(ごがしゅう)名前の由来もそこから来ています。北方の俱盧州(くるしゅう)の人間は、身長が16メートル、寿命は1000歳にもなります。

②「人道」は「煩悩」の世界

仏教の世界では、輪廻を繰り返すことは、「苦」とされています。私たちは業(カルマ)を持っているために輪廻を繰り返します。業(カルマ)は、私たちが生きていくうえで、いろいろな欲望を持つことから生じます。食べることや寝ることなどは、生命維持のために必要なものです。しかし、過度な欲望は煩悩と呼ばれます。

私たちの生きる「人道」の世界は、魅力的な誘惑で溢れています。そのため私たちは、過剰な刺激を受けて、必要以上の欲望を持ってしまいます。そのため余計な「煩悩」で満ちています。煩悩を満たすことは、一時的に満足を与えますが、また欲しくなります。それは、終わりがないために、終には「苦」に変わります。

そのため私たちは、苦しみから逃れられません。「煩悩」の種類は、執着の意味の「貧」(とん)、憎悪の意味の「瞋」(じん)、そして無知の意味の「痴」(ち)など、全部で108種類あるのです。人間は、基本的に5つの欲望があります。 

  • ⑴食欲
  • ⑵財欲
  • ⑶色欲
  • ⑷名誉欲
  • ⑸睡眠欲

これらの欲は、生きていくうえで基本的な欲望です。食べなければ死んでしまうし、お金がなければ食べ物も買えません。性欲がなければ、子孫は残せません。名誉欲がなくなれば、自尊心もプライドもなくなってしまいます。睡眠をとらなければ、病気になってしまいます。

しかし、過度の欲望は、食欲で言えば、肥満になります。財欲が強すぎれば、人から物を奪うことにもなります。性欲を抑えることができなければ、犯罪を犯すことにつながります。

③「人道」は「無常」の世界

仏教では、この世のあらゆるものは、たえず変化し、永遠のものはないという考え方をしています。これを「諸行無常」と言います。有名な「平家物語」の最初の一節に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という文が出てきます。祇園精舎は、釈迦が生存中にいたお寺です。釈迦の死が近づくと祇園精舎のなかの無常堂という場所に移しました。釈迦が亡くなった時に無常堂の鐘が鳴らされました。一切のものに永遠はないという諸行無常の響きが伝わったと言う意味です。

私たちも死が近づけば、悲しみを覚えます。それは人間の命には寿命があるからです。私たちは、いくら長寿でも100歳を超えることは難しいことです。「不老長寿」は昔からの人間の願いですが、長寿を願うことも煩悩のひとつです。

④「自殺」は、仏教の世界ではどんな意味を持つのか

一般的に、「自殺」は宗教上してはならない罪のひとつです。仏教においてはどうでしょうか。

「命」は、かけがいのないものです。粗末にして良いものではありません。しかし、悩みや苦しみから生きる望みも持てなくなって、「いっそのこと、死んでしまえば楽になる」と考えてしまうのは、否定できません。

釈迦が自殺を思いとどまらせた逸話

仏教では、釈迦が自殺をしようとした女性に思いとどまらせた逸話があります。

ある日のこと、釈迦はひとりの女性が自殺をしようとしているところに出会いました。釈迦は、自殺を思いとどまらせようと、牛の話をしました。

毎日重い荷車をひく牛がいました。牛にとって、この苦しみを与えているのは、重い荷車のせいだと思いました。

ある日、牛は荷車を粉々に壊してしまいました。牛は、「これで明日から楽になれる」と喜びました。荷車の持ち主は、荷車を壊されてしまい困ってしまいました。そこで、今度は前よりも丈夫な荷車を作りました。牛は、また新しい荷車を引かされることになりました。

ところが、その荷車の重いことといったら、今までの荷車の何倍も重かったのです。牛は、それからは荷車を引くのに以前よりもっと苦しみを味わうことになりました。 

この話を聞いた女性は、自殺を思いとどまりました。

人間は、因果応報の連鎖から逃れることはできません。生まれ変わった時に、「善因楽果、悪因苦果」の運命が待っているのです。

仏教では自殺は善でもなく悪でもない

仏教では、自殺は善でもなく悪でもないと言われています。人間は、不運な人生を歩む場合でも、その人に生まれながらにして、使命のようなものを持たされているのも確かです。それに気が付くと、いくら不運な人生でも自分の人生の意味が解るのです。

人生を音楽のメロディと考える

人生をひとつの音楽のメロディと考えてみましょう。その音楽は、その人のオリジナルです。誰一人同じメロディはありません。メロディが鳴りやむまで、人生は続きます。そのメロディのなかにメッセージが込められています。それが、一人一人の使命です。

「自殺」は、その使命に気づく前に途中で、スイッチを切ってしまうようなものです。生まれ変わっても、その使命は生き続けます。使命を果たすのが、本当の人生の意味なのです。その女性が苦しい時に助けてあげたいのは、釈迦も同じ気持ちです。 

⑤「贍部州(せんぶしゅう)」での特典

私たち人間の住んでいるところが、南にある贍部州(せんぶしゅう)と言われると、私たちは地球に住んでいるので、奇異に感じますが、これは古代の仏教にあるヒマラヤ信仰に基づいています。ヒマラヤを須弥山の世界として描くと、人間の住んでいる世界は、須弥山の南方にあたります。ここでは、私たちは古代インドの人間と思ってください。

そして、この州の特権として、諸仏の現れるのは、この贍部州(せんぶしゅう)だけなのです。私たちだけが、この世で諸仏の教えを受けられるというのです。それらの諸仏を十方の諸仏(じっぽうのしょぶつ)と言います。

十方の諸仏(じっぽうのしょぶつ)

十方とは、十の方角のことです。東、西、南、北の四方(しほう)と、東南、西南、西北、東北の四維(しゆい)、それに上、下の2方向を合わせて、十方と言います。

仏教では、私たちの住む「人道」の世界を娑婆(しゃば)と言いますが、十方世界のなかにあります。そして無数の仏が出現し私たちを救ってくださるのです。

娑婆(しゃば)

娑婆(しゃば)は、サンスクリット語のサハーを漢訳したものです。釈迦が私たちを教化する世界のことです。俗に刑務所を出た人が、「娑婆の空気はうまい」と言いますが、仏教での意味は、娑婆は「苦しみに耐え忍ばなければならない世界」なのです。

⑥諸仏の加護を受けるには

私たちは、諸仏に会えるという特権を持っているのですが、どのようにしたら諸仏に会えるのでしょう。私たちに一番親しみがあるのが、観音様ですが、観音様の正式な名前は、観世音菩薩あるいは観自在菩薩と言います。菩薩と言うのは、悟りを目指す者という意味です。私たちを救うために多くの修業を重ねた人です。将来は、如来になる者を言います。

観世音菩薩(観自在菩薩)の名前の意味

世の中のあらゆる人たちの悩みや苦しみの声(音)を聞き、自在に姿・形を変えて救ってくれる菩薩という意味です。変身のパターンは33種類あるとされています。

六道には六観音として、それぞれに観音菩薩が割り当てられています。

  1. 天道・・・如意輪観音(にょいりんかんのん) 
  2. 人道・・・准胝観音(じゅんていかんのん)あるいは不空羂策観音(ふくうけんさくかんのん)
  3. 阿修羅道・・・十一面観音(じゅういちめんかんのん)
  4. 畜生道・・・馬頭観音(ばとうかんのん)
  5. 餓鬼道・・・千手観音(せんじゅかんのん)
  6. 地獄道・・・聖観音(しょうかんのん) 

⑦「人道」は六道の中で唯一「解脱」ができます

「解脱」と言う言葉を聞いたことがあると思います。「悟り」を開くことです。お釈迦様も「悟り」を開くまで、とても大変な苦行をしました。「釈迦」というのはサンスクリット語ではシャーキャを音写したものです。もともとの意味は、釈迦の出身部族名です。釈迦牟尼(しゃかむに)は、「シャーキャ族の聖者」という意味です。釈迦の姓名は、サンスクリット語では、ガウタマ・シッダールタと言います。パーリ語では、ゴータマ・シッダッダとも表記されます。

ガウタマ・シッダールタ

シッダールタは、29歳で出家しました。それまでの王族としての生活を捨ててしまいました。師を訪ね歩き教えを求めましたが、どの師にも満足することができませんでした。その後6年間、いろいろな苦行をしましたが、悟りは開けませんでした。35歳になり、菩提樹の下で瞑想に入りました。 

悪魔の様々な妨害もありましたが、終に悟りを開きました。その後、この悟りは世間の人々に伝えるべきものかを考えました。シッダールタは、「法を説いても人々は悟りの境地を知ることはできない」と判断しました。ところが、梵天が現れて、人々に法を説くように繰り返し強く要請されました。シッダールタは梵天の要請を受け入れて、人々に法を説くことにしました。

悟りを開く=解脱

「悟り」を開くことを「解脱」(げだつ)と言います。煩悩から解き放たれて自由の境地に至ることを意味します。現世の迷いや輪廻の苦しみから解き放たれた理想的な心の境地になることです。

⑧解脱をするには、「八正道」を行います

人間世界は、常にあるものではなく、苦に満ちていると説きました。それは、人間世界は、「無常に基づく苦」であり、「生あるものは必ず死ぬ」という事実からは逃れられないことを言います。

釈迦は4つの苦があると言います。

  1. 「生きること」
  2. 「老いること」
  3. 「病気になること」
  4. 「死ぬこと」

の4つです。そして、4つの真理を説きました。それを四諦と言います。「解脱」するためには、次の4つの真理を知ることと、「八正道」を実践することだと言っています。

四諦とは

  • ⑴苦諦:この世のすべては苦であると見極めること
  • ⑵集諦:苦の原因は執着と欲望であると知ること
  • ⑶滅諦:苦の原因である執着と欲望を捨てること
  • ⑷道諦:八正道を実践すること

八正道とは

  • ⑴正見:正しく物事を見ること
  • ⑵正思惟:正しく考えること
  • ⑶正語:正しい言葉を話すこと
  • ⑷正業:正しい行いをすること
  • ⑸正命:正しい生活をすること
  • ⑹正精進:正しい努力を重ねること
  • ⑺正念:正しい自覚を持つこと
  • ⑻正定:正しい瞑想を行うこと

釈迦は、8つの正しい行い(八正道)に努め、欲望を捨てることによって、解脱の境地に達することができると説きました。

⑨禅の生き方「仏に逢ったら仏を殺せ」

私たちは、苦しいことがあると、「神様、仏様、どうぞお助けください」と拝みます。ところが、臨済宗の開祖、臨済の言葉に、「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷を殺せ。はじめて解脱を得ん」というものがあります。

禅宗の教えには、禅問答にもあるように奇想天外な言葉が出てきます。その目的は、人間の捕らわれた心を解放し、自由な発想をうながすことのようです。父母を殺せば殺人です。許されるはずはありません。曹洞宗の開祖である道元も、弟子から「出家は父母の供養をどのようにすべきか」という問いに、「出家は父母の恩を広く世間に返すもの」だと言っています。

 

最後に

ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
仏教における「人道」は如何でしたでしょうか?「八正道」を実行して「解脱」する気持ちになれましたでしょうか?現代は、「不確実性の時代」とよく言われています。何を信じてよいか迷うことが多いと思います。そんな時には、「仏に逢ったら仏を殺せ」を思い出してください。

仏教における「人道」とは…

  • ①「人道」とは、六道の中の「人間界」です
  • ②「人道」は「煩悩」の世界
  • ③「人道」は「無常」の世界
  • ④「自殺」は、仏教の世界ではどんな意味を持つのか
  • ⑤「贍部州(せんぶしゅう)」での特典
  • ⑥諸仏の加護を受けるには
  • ⑦「人道」は六道の中で唯一「解脱」ができます
  • ⑧解脱をするには、「八正道」を行います
  • ⑨禅の生き方「仏に逢ったら仏を殺せ」

ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。


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