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禅の「公案」について詳しく知りたい方へ。

禅の修行方法のひとつに「公案」があります。もしかしたら「禅問答」という言葉の方が、馴染みがあるかもしれませんね。師匠と弟子との間で交わされる、一見意味不明に見えるやりとりが「公案」です。

本記事では、そんな「公案」について解説していきます。

公案は禅の修行者の間で交わされた対話

「公案」とは、禅宗の師匠と弟子が修行中に交わした対話からなる短い物語のことです。クイズのような形式の公案が多いので、禅問答とも呼ばれています。 

初めて読む人には意味不明

物語やクイズとはいっても、現代のエンターテインメントのような勧善懲悪ではなく、分かりやすい道徳的なストーリーでもありません。仏教の教義をただ当てはめれば解ける内容でもないため、初めて読む人は「つじつまが合っていない」、「意味不明だ」、「意味が分からない」と思うことが多いでしょう。

禅の修行

禅の修行は主に、只管打坐(しかんたざ)といってひたすら坐禅を続けること。そして、この「公案」を解くことから成り立っています。

公案を使う理由は真理のニュアンスを伝えるため

なぜ「公案」のような難解な物語を読むことが修行になっているのかというと、禅には「真理は言葉では表現できない」という考え方があるためです。この考え方を「不立文字(ふりゅうもんじ)」といいます。

重要なことは師匠から弟子に口伝のみで伝えられてきた

これは、密教なども同じで、経典に書かれていることをただ学ぶだけでは悟りを得ることはできず、極めて重要なことは師匠から弟子に口伝のみで伝えられてきたといわれています。 

言葉で表現できないものをニュアンスだけでも伝える

とはいえ、本当にまったく言葉を使わずに教えを説くのはとても難しいので、言葉で表現できないものをニュアンスだけでも伝えるため、公案が用いられているのです。

では、実際の公案にどんなものがあるのかを見てみましょう。 

公案を読む①功徳を積む時は見返りを求めてはいけない

漢武帝
漢武帝

漢の武帝と、禅宗の開祖・達磨大師の問答とされている公案です。

▼武帝は、達磨大師にこう尋ねました。
「私は皇帝に即位して以来、寺を建て、写経をし、僧を出家させてきた。仏教に数えきれないほどの貢献をしてきたはずだ。この功徳(くどく)はどれほどになる?」

▼達磨大師は、こう答えました。
「それは功徳ではありません」

▼武帝は驚いて、さらに質問しました
「なぜだ?」

▼達磨大師は、こう答えました。
「陛下の行いは、この迷いの世界における小さな成果に過ぎません。それは、形があったとしても実像ではないのです」

▼武帝は再び尋ねました。
「では、真実の功徳はどのようなものだ?」

▼達磨大師は答えました。
「清らかな智慧というものは、もともと円満なるものであり、その実相は空寂(決まった形がない)です。ですから真実の功徳を、この世で求めることはできないのです」

武帝は、一般的に徳が高いとされている行動をアピールし、
「私は今までにこれだけのことをしてきたのだから、功徳になる(極楽浄土へ行ける)だろう?」
と、達磨大師に尋ねているのですが、達磨大師はそのアピールを
「功徳にならない」
と切り捨てています。

見返りを求めれば功徳にならない

なぜ、達磨大師が「功徳にならない」と言ったのか。それは武帝の行動が、「功徳を積みたい」「極楽浄土に行きたい」という、見返りを求める動機で行ったことだからです。どれだけ社会的に立派なことをしていても、見返りを求める気持ちが心の中にある場合は、功徳にならないのです。

公案を読む②功徳とは決まった形式があるわけではない

達磨を描いた 月岡芳年『月百姿 破窓月』
達磨を描いた 月岡芳年『月百姿 破窓月』

達磨大師は
「清らかな智慧というものは、もともと円満なるもので実相がない」
と言いました。それは一体どういう意味でしょうか。

私たちの目が曇っているせいで歪んで見えているだけ

禅の根本には
「この世はすでに完璧で、悟りの世界である。だが、私たちの目が曇っているせいで、歪んで見えているだけ」
という考え方があります。 

つまり、寺を建てたり写経をしたり僧侶に援助をすることだけが功徳なのではなく、この世にいるありとあらゆる人が行っていることすべてが功徳であり、決まった形式があるわけではないと考えるのです。

 誰もが自分なりの功徳を積んでいる

たとえば仏教を知らなくても、自分なりの方法で世の中に貢献している人はいます。出来心で悪事を働いたとしても、そのことをきちんと反省し、人間として成熟する人はいます。この世では、誰もが自分なりの功徳を積んでいるといえるのです。

公案を読む③不安な心を落ち着かせるには

また、このような公案もあります。 

▼達磨大師が壁に向かって坐禅をしていると、雪の中で立ち尽くしていた弟子の慧可(えか)が、自分の腕を斬り落としてしまいました。そして、こう言いました。
「私は、不安でどうしようもありません。お師匠様、どうか私の心を落ち着かせて下さい」

▼すると達磨大師は言いました。
「不安に思うその心を、ここに取り出してみろ。そうすれば安心させてやる」

▼慧可は考えた後、答えました。
「心を取り出すことはできません」

▼達磨大師は答えました。
「これでもう、おまえの不安はなくなった」

一休さんのとんち話にも似た公案ですね。心が不安でどうしようもないと訴える慧可でしたが、達磨大師の「ならばその心を取り出してみろ」という言葉で、心そのものを取り出すことはできない、つまり不安に思う心には実体がないことに気付き、不安がなくなったという公案です。

公案の読み方に決まった答えはない

公案の読み方をいくつか紹介しましたが、実は、公案には正しい読み方があるわけではありません。仏教の教義に照らし合わせてみて、「多分、こういうことを表現しているのだろう」と推察はできますが、芸術作品と同じで、公案からどういうテーマを読み取るかは、その人が置かれている状況や修行の進み具合によって異なるのです。 

様々な経験をすると以前とは違う公案の読み方ができる

子供の頃に読んだ童話や小説を大人になってから読み返すと、実は深淵なテーマが描かれていたことに気付くことがありますが、公案にも同じことが当てはまるといえるでしょう。様々な経験をしたり精神世界の洞察を深めると、以前とは違う公案の読み方ができるかもしれません。

現実そのものが公案である

また、決まった答えがなく、読む人によって様々な解釈が成り立ち、公案から何を学ぶかは人それぞれだと考えると、現実こそが人が取り組む最大の公案だと考えることができるかもしれません。 

  • 自分の身に降りかかってくる様々な出来事から、一体何を学び取るのか?
  • 今起きている現実は、どのような解釈ができるのか?

現実という公案に取り組むことは、間違いなくあなたを成長させてくれることでしょう。

 

最後に

ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。本記事で、禅の公案について、多少なりとも理解を深めることができたのなら、うれしく思います。

「禅問答と呼ばれる公案の意味と例」の要点は…

  • 公案は禅の修行者の間で交わされた対話
  • 公案を使う理由は真理のニュアンスを伝えるため
  • 公案を読む
    ①功徳を積む時は見返りを求めてはいけない
    ②功徳とは決まった形式があるわけではない
    ③不安な心を落ち着かせるには
  • 公案の読み方に決まった答えはない
  • 現実そのものが公案である

ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。


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