呪いの種類はどんなものがあるかお調べになっている方へ。
呪いは古くから行われている霊力による魔術の一種です。「呪い」と言いう言葉は、日常では使われません。サイコ・サスペンス・ドラマなどで、残虐な悪魔が、「呪い殺してやる!」などと叫ぶシーンでご覧になった方がほとんどではないでしょうか。悪魔の呪いにかけられた人々は、次々に謎の死を遂げていきます。この恐ろしい「呪い」とは、いったいどんなものなのでしょう。どうして「呪い」で人々に危害を与えることができるのでしょうか。呪いにはどんな種類があるのでしょうか?
ここでは、呪いの種類について、解説していきたいと思います。
呪いには大きく分けて「過去からの呪い」と「将来への呪い」があります
呪いは古くから行われている霊力による魔術の一種です。呪いの形態は、大きく分けると「過去からの呪い」と「現在から未来に対する呪い」に分けられます。
【過去からの呪いの形態】
- 祟り・・・死んだ人が心霊化して、呪いをかけるのを「祟り」と呼びます。日本の三大祟りとしては、菅原道真、平将門、崇徳院の祟りが有名です。菅原道真や崇徳院が無くなった後、都には大きな災いが引き起こされています。その原因は、強力な怨霊のなせる業とされ、鎮魂のための神社が建てられました。将門の首塚が祀られているのも、祟りを恐れてのことです。
- 碑文などに書かれた呪文・・・エジプトの王家の墓の呪いのように、石板に呪いの呪文が書かれて、墓に侵入した者に死を与えるというような呪いです。
- 宝石類などにかけられた呪い・・・何千年あるいは何百年前の血塗られた怨念が、宝石類に宿り、持ち主にふりかかっていく呪いです。
- 魔剣と言われる刀剣類につく呪い・・・有名な名工が造った刀剣類でも、何かの原因で、名刀とならず魔剣ができてしまうことがあります。その魔剣を持つと不思議に人を切りたくなるという呪いがあります。
- 船舶などにつく呪い・・・いわゆる幽霊船です。バミューダ海域には、謎の沈没船が多く沈んでいます。霧の深い夜に、その海域を通ると幽霊船が現れます。幽霊船に乗り込むと死の呪いが待っています。
【現在から未来に対しての呪い】
- 呪術や呪文・・・恨みや憎しみから、プロの祈祷師に頼んで、悪霊の霊力などを借りて呪いをかけ、他人に害をあたえようとするもの。
- 宗教的な祈祷・・・神仏の霊力を借りて、敵対する相手を調伏しようとする場合に行います。「護摩焚き」などの方法で、導師と言われる人が一心に拝みます。
- 黒魔術的な方法・・・プロの呪術師に頼んで、呪いに効く動物や植物を加工してもらい、それを相手に気づかれないように持たせる方法。
- 人形や紙を人型に切り抜き呪う方法・・・藁人形などを使い、刺したり、切ったりして呪いを込める方法。
- 護符や呪いの札による方法・・・プロの祈祷師や導師に頼んで、護符や呪いの札を書いてもらい、部屋に貼り付ける方法。
- 呪いの手紙・・・恨む相手に差出人不明の手紙を出します。最近は、炭疽菌を模した「白い粉」が入っているものもあります。
- 呪いの電話による方法・・・恨む相手に無言電話をかける方法。ただし、番号表示になっていると、「迷惑罪」で警察のご厄介になります。
【世界の国別に特色のある呪いの形態】
また世界の国々にも多少の違いはありますが、いろいろな呪術や呪いがあります。
中国の蟲毒(こどく)
古代中国では、蟲毒(こどく)と言われる呪術が行われました。現在は主に中国の華南地方の少数民族に受け継がれています。動物を使うもので、犬を使うものは犬神、猫を使うものは猫神と呼んでいます。具体的な方法として、蛇やムカデなどを互いに共食いさせ、勝ち残ったものを神霊として祀ります。この動物の毒にあたると命を奪う効果があると言われています。
メソポタミアの呪いの人形
約5千年前のメソポタミアでは、憎い相手の人形を作り、心臓にあたる部分に赤色でバツ印を書き、針を突き通しました。やがて憎い相手は死ぬとされています。
エジプトのツタンカーメン王の呪いの碑文
王家の墓で見つかったピラミッドの墓の入り口の発掘の時に発見されたツタンカーメン王の呪いの碑文が有名です。ツタンカーメン王の呪いについては、後述致します。
ペルシャのゾロアスター教に由来する呪い
ペルシャのゾロアスター教に由来する呪いと言われています。白いロウで相手の像を作り、相手の髪の毛を3本、その像の中に入れます。この像に「憎しみ」の言葉を3回唱えて川に流すと、相手は水難によって死ぬと言われています。
ギリシャ・ローマの呪い
憎い相手に向かって、サタンの名において相手の不幸を願います。
フランスの呪い
ブルターニュ地方に伝わる呪いは、土や粘土で壺を作り、半獣半人の悪魔の絵を描き壺に入れます。さらに不幸を願う手紙を入れます。満月の夜、木の根元に埋めると、悪魔が壺から抜け出して相手の所へ行き願いの手紙の実行を行います。
ドイツの呪い
グリム童話の世界に伝えられた呪いの話は有名です。「白雪姫」、「シンデレラ」、「眠れる森の美女」など数々の魔女の呪いの話があります。グリム兄弟の集めたドイツの民話とされていますが、多少フランスやその他の地方の言い伝えも含まれているそうです。しかし、グリム兄弟が、グリム童話として、数々の民話をこの世に発表した功績は大きいと言えます。
イギリスの呪いの館
イギリスには古くから呪いの館(やかた)が数多くあり、幽霊が住んでいると言われています。その中でも有名な話が最近でもありました。イギリスのエセックス州にある家です。中世の時代から「魔女狩り」の刑場として使われた家なのです。過去8名の魔女が処刑されました。2004年に事情を知らないヴァネッサ・ミッチェルさんという女性が購入したところ、霊的存在が出てきて、後ろから蹴飛ばされたり、突き飛ばされたり、散々な目にあいました。売却しようとしましたが、売れないそうです。
アメリカの呪いの館
代表的な呪いの館は、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスです。アメリカのカリフォルニア州のサンノゼにある豪華で不思議な屋敷です。ウィンチェスターは、西部開拓時代に大活躍したライフルでも有名です。ところが、ウィンチェスター家に数々の不幸が降りかかりました。霊媒師によると、ライフルで命を落とした人々の呪いだと言うのです。その呪いを消すためには、家の増築をしなければならないと言われ、年中休みなく増築し続けました。その結果、広さの総面積は2万4千平方メートルの敷地に、建物が7万2千坪(7階建て)、部屋数が160室というホテルのような家となりました。この家は、ディズニーランドのホーンテッド・マンションのモデルとも言われています。
日本の呪い
日本には古くから言霊信仰(ことだましんこう)がありました。言葉に霊が宿ると言う信仰です。言葉の霊力は強力で、日本の飛鳥時代、大和時代、奈良時代、平安時代と言霊の力が信じられていました。
聖徳太子が、中国の隋(ずい)の皇帝・煬帝(ようだい)に対して書いた手紙には、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書きました。これは、「日出ずる」で、発展を表わすからです。「日没する」で衰える意味になります。
この手紙には、裏の意味がありました。当時、隋は朝鮮半島の支配に困っていました。そこで、日本を支配下において朝鮮半島を攻略したかったのですが、聖徳太子は、中国とは対等の地位を確保したかったという意味がありました。(言霊信仰については次のコーナーで詳しくご説明します)

言霊信仰による呪い(古代日本の呪い)
言霊信仰(ことだましんこう)とは、言葉に霊が宿っているという信仰です。古代の日本人は、言霊信仰を持っていました。言葉に宿る霊の力の働きは、現実を作用すると考えていました。良い言霊を持っている言葉を使えばよい現象が生まれ、悪い言霊を持っている言葉を使えば、悪い現象が生まれるというものです。
現代でも、結婚式などで使ってはいけない「忌み言葉」(いみことば)というものがあります。例えば、「壊れる」「切れる」「落ちる」「終わる」「死ぬ」「絶える」「流す」などです。これも言霊信仰のなごりと言えるでしょう。
【聖徳太子の呪い】

「唐本御影」聖徳太子が描かれた肖像画
聖徳太子が中国の皇帝に出した手紙
聖徳太子は、中国の隋の煬帝(ようだい)という皇帝に手紙を出しました。文面は「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」というものです。歴史の時間で習うことは、日本の地位を対等に表現したというように勉強しましたが、言霊信仰から考えると、文面の意味は「これから発展する日本の天子から、これから没落する中国の天子に手紙を書きました」となります。とんでもない挑戦的な文面となるのです。
聖徳太子は、「呪い」をかけたのです。政治的な背景としては、隋は朝鮮半島の高句麗と対立し交戦中でした。朝鮮半島には、高句麗の他に新羅(しらぎ)と百済(くだら)という国があり複雑な関係でした。確かに下手な戦争をすれば、大帝国の隋でしたが、没落の危険性を持っていたのです。
法隆寺にかけられた「呪い」
参照:新潮社
法隆寺は仏法を広めるだけではなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂するために建てられたものです。梅原猛(うめばらたけし)氏の「隠された十字架」という本の中で、聖徳太子の呪いのことが書かれています。そのいきさつと言うのは、以下の順で説明いたします。
- 601年・・・聖徳太子が、斑鳩寺(法隆寺の旧称)を建立。
- 621年・・・聖徳太子の死亡。
- 643年・・・蘇我氏が聖徳太子一族を斑鳩寺に追い詰め惨殺。
- 646年・・・大化の改新で藤原氏が蘇我氏を滅ぼす。
- 669年・・・斑鳩寺が全焼する。
- 670年・・・法隆寺を再建。
- 737年・・・藤原氏の重要人物の四兄弟が天然痘で急死。その後は光明皇后が政権を担いました。その間、藤原氏による政治の関与はなく、藤原仲麻呂まで空白の期間がありましたが、その仲麻呂も不運に見舞われ、乱を起こした結果、斬殺されました。
【聖徳太子の呪い(アーネスト・フェノロサに対する呪い)】

法隆寺夢殿の本尊観音菩薩立像
法隆寺の夢殿には、聖徳太子の像といわれる救世観音(ぐぜかんのん)が安置されています。この救世観音は千年以上、秘仏として布に巻かれていました。それは、「開封すると呪われる」という言い伝えがあったからです。それを無理やり開封させた人がいました。
アメリカの東洋美術史家 アーネスト・フェノロサ
その人は、1884年(明治17年)に日本に訪れたアーネスト・フェノロサというアメリカの東洋美術史家です。彼は、救世観音の布を開封することを要求しました。法隆寺からは反対されましたが、最終的に開封することになりました。私たちは、そのおかげで救世観音の姿を見ることができましたが、不運なことに、アーネスト・フェノロサは、1908年(明治41年)、ロンドンの大英博物館で心臓発作のため亡くなりました。開封からは24年後ですので、呪いというのが当たらないという人もありましたが、場所が大英博物館という「呪い」のかかった展示物が多く陳列された場所でしたので、当時の新聞では評判になりました。
【万葉集の言霊信仰】
万葉集の言霊信仰では、「呪い」というよりは、「願い」を込めた歌が多くあります。言霊信仰が「呪い」だけではなく、相手に対する「愛」の感情や無事を願う思いも言霊にたくしたという例をご紹介致します。
山上憶良(やまのうえのおくら)の長歌
「そらみつ倭(やまと)の国は皇神(すめがみ)の厳(いつく)しき国、言霊の幸(さき)はふ国と語り継ぎ言い継がれけり」という歌があります。これは、遣唐使に対して贈られた歌です。
この歌の意味は、「日本の国は神様がいる尊い国です。言霊の作用で、幸福が語り継がれていきます。だから無事に帰ることができるのです」となり、親しい人が遣唐使の務めを果たして、無事に帰還することを願う思いが込められています。
柿野本人麻呂(かきのもとひとまろ)歌集
「言霊の八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占(ゆうけ)問ふ占(うら)正(まさ)に告(の)る妹(いも)はあひ寄らむ」、この歌の意味は、「たくさんのにぎやかな通りには、夕刻になるといろいろな精霊が動き出します。占いでは愛しいあなたと寄り添うことになると言っている」という意味です。男性から女性に送った恋の歌です。
恋愛の成就を願う時には、昔の世でも占いに頼っていたようです。柿野本人麻呂が生きていた大和時代の占いの詳しい内容はわかりませんが、多分好きな人の名前を紙に書き、「恋の思いが叶うように」と書き添えて、香木などで良い匂いをつけて、綺麗な花の咲く木の枝に結わえたりしたのではないでしょうか。言葉は霊となり、匂いは風にのり、恋する人の周りに漂い、「言葉の霊の作用」で恋する思いが伝わったのかもしれません。科学が発達した現在でも、人気の高い占い師さんのところに集中しています。恋の闇路を照らす方法は、やはり今でも占いという昔からの方法に変わらないということのようです。
ツタンカーメン王の呪い(古代エジプトの呪い)

ツタンカーメンの黄金のマスク
photo by MykReeve
エジプトのピラミッドの発掘の中で、王家の墓で見つかったツタンカーメン王の墳墓の発掘に関係した人々が、発掘作業の直後、次々と急死したという事件から、ツタンカーメン王の呪いという伝説が生まれました。
【カーナヴォン卿の突然死】

カーナヴォン卿
ジョージ・ハーバート・カーナヴォン卿(1866~1923)は、イギリスの貴族であり考古学者でした。古代エジプトのツタンカーメン王の王墓発掘の資金提供者として知られています。1922年11月4日、ハワード・カーターが率いる考古学調査隊は、エジプトの王家の谷で古代エジプト第18王朝のファラオ、ツタンカーメン王の墓の入り口を発見しました。カーナヴォン卿もこの発掘に立ち会っていました。
【ツタンカーメンの墓の入り口にあった碑文】
その発掘の時に、王墓の入り口に次のような碑文がありました。
「偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう」
この碑文には、王の墓を暴いたものに死が与えられるという呪いの言葉が書かれていたのです。この発掘の5か月後、カーナヴォン卿が、カイロのコンティネンタルサヴォイホテルで死亡しているのが発見されました。この不可解な死は、「ツタンカーメン王の呪い」として、世界に知られることとなりました。
【相次ぐ死亡者が出たという噂が世界に流布された】
1923年に墓の開封式が行われた時には、出席していたのは26人でした。カーナヴォン卿の死後、「ツタンカーメン王の呪い」のために、犠牲者は1930年までにツタンカーメンの墓の発掘に関わった22人が死亡したという伝説が生まれました。
【ツタンカーメン王の呪いはねつ造だった】
しかし、その後の調査によって、発掘に関係した人々は、1930年までに死んではいませんでした。また、呪いのもとになった碑文も実際にあったのかどうか確認できませんでした。関係者の中でも下記の12名は、特に長生きした人々です。
- ジェイムス・ブレステッド・・・実際の没年は、1935年(70歳)
- ハワード・カーター実際の没年は、1939年(65歳)
- アーサー・キャレンダー・・・実際の没年は、1939年(60歳)
- ヘンリー・バートン・・・実際の没年は、1940年(61歳)
- アルフレッド・ルーカス・・・実際の没年は、1945年(78歳)
- P・E・ニューベリー・・・実際の没年は、1949年(80歳)
- ハーバート・ウィンロック・・・実際の没年は、1950年(66歳)
- ウォルター・ハウザー・・・実際の没年は、1959年(66歳)
- アラン・ガーディナー・・・実際の没年は、1963年(84歳)
- ダグラス・デリー・・・実際の没年は、1969年(87歳)
- リンズレー・F・ホール・・・実際の没年は、1969年(86歳)
- イヴリン・ハーバート・・・実際の没年は、1980年(78歳)
この発掘がもとで、亡くなったのは、カーナヴォン卿だけであったことがわかりました。カーナヴォン卿の死因については、1901年にドイツで自動車事故に遭遇し、後遺症のため健康状態は良くありませんでした。発掘後、たまたま髭剃りの時に誤って顔を傷つけてしまいました。そこに黴菌が入り、熱病に感染してしまいました。病気は悪化し、最後は肺炎を併発し、心不全となったようです。ツタンカーメン王の呪いとは、デタラメであったようですが、当時の新聞社が面白くするためにねつ造したもののようです。
【不思議なピラミッド・パワー】
ピラミッドには不思議な力があることが知られています。ロシアのクラシュノホロヴェツ博士の研究によると、次の効果があると確認されました。
- 免疫力が向上する。
- 細胞の再生が速くなる。
- 毒薬を飲まされた鼠の死亡率が激減する。
- 植物の発芽率や生産能力があがる。
- オゾン層に改善がある。
- 地震が減少する。
- 異常気象が減少する。
- 放射性物質の放射能レベルが低下する。
- バッテリーが自然に充電される。
- ピラミッド内部では、水がマイナス40度でも凍らない。
ピラミッドの中に入ると精神的にも安定するそうです。ピラミッドは、宇宙意識との結合を可能にする力があると言われています。実際に小さなピラミッドを部屋に置いて、その中に入って瞑想する人たちの話をお聞きすると、精神が安定し、ヨガなどの練習に効果があるそうです。
ホープダイヤモンドの呪い(欧米の持ち主を不幸に陥れた呪い)

ホープダイヤモンド
後の世にホープダイヤモンドと呼ばれるダイヤモンドは、9世紀頃、インド南部のデカン高原にあるコーラルという町を流れる川で、農夫によって発見されました。このダイヤモンドは、大きさも巨大ですが、神秘の力も大きく持ち主に不幸を与えることで有名になりました。その歴史を追うと次のようになります。
【ホープダイヤモンドの歴史】
インド北西部の農民が発見したダイヤモンドは、ペルシャ軍に強奪され、ダイヤモンドを奪った軍の隊長は、ペルシャ国王に献上しましたが、まもなくこの隊長は謎の自殺を遂げました。17世紀になると、このダイヤモンドは、インドの寺院にあるラマ・シタという仏像に埋め込まれました。
- 1645年・・・フランス人のジャン・バティスト・ダヴェルニエは、仏像に埋め込まれたダイヤモンドをくりぬいて強奪しました。その大きさは、約112カラットありました。彼はフランスに持ち帰り、ルイ14世に売却しました。しかし、その後、ロシアで野犬に食い殺されました。
- 1668年・・・ダヴェルニエからフランス王ルイ14世がダイヤを購入し、カッティングされ、大きさは約67カラットとなりました。王の儀式用のスカーフに付けられ、フレンチ・ブルーとかブルーダイヤモンドと呼ばれました。ルイ14世の不幸の時代は、国家の財政難に悩まされました。子どもや孫にも先立たれてしまう事件も起きました。ルイ14世も天然痘にかかって死亡しました。
- 1749年・・・フランス王ルイ15世は、このブルーダイヤを自分の金羊毛騎士団用のペンダントに付け替えました。
- 1792年9月11日・・・ルイ16世の時代には、フランス革命が起き、王妃のマリ―アントワネットは処刑されました。国王一家が幽閉されているさなかに窃盗団が王室の宝石庫に侵入し、ブルーダイヤモンドを含む宝石類が強奪されました。
- 1812年9月・・・強奪から20年経ち、イギリスのダイヤモンド商ダニエル・エリア―ソンがこのブルーダイヤモンドを所有していることがわかりました。彼は、乗馬中に落馬して死亡してしまいました。
- 1824年・・・次の所有者は、イギリスの銀行家のヘンリー・フィリップ・ホープです。ブルーダイヤモンドは、彼の宝石コレクションとして記録されています。
- 1839年・・・ヘンリー・フィリップ・ホープの死後、3人の甥が10年以上にわたって、所有権を裁判で争いました。その結果、ヘンリー・ホープがこの宝石の相続人になりました。
- 1862年12月4日・・・ヘンリー・ホープの死後、妻のアデルがダイヤを引き継ぎました。
- 1887年・・・ヘンリーとアデルの孫であるヘンリー・フランシス・ホープが、このダイヤを引き継ぎました。
- 1896年・・・フランシス・ホープが破産し、ダイヤモンドの売却をせまられました。
- 1902年・・・ロンドンの宝石商アドルフ・ウィルが買い取りました。次いで、アメリカのダイヤモンド商のサイモン・フランケルに売却されました。
- 1908年・・・次に買い取ったのは、パリのソロモン・ハビブでした。
- 1909年・・・次に買い取ったのは、パリの宝石商のローズナウでした。
- 1910年・・・次に買い取ったのは、ピエール・C・カルティエでした。
- 1911年・・・アメリカの社交界の名士、エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンが買い取りました。このダイヤモンドの入手後、マクリーン夫妻の10歳の息子が交通事故死となり、夫婦関係は悪化、離婚となりました。その後、マクリーンは精神に異常をきたし、精神病院で狂死しました。ダイヤモンドは、妻のエヴァリンに渡りましたが、彼女の娘が睡眠薬を飲みすぎて死亡、その後エヴァリン自身も肺炎を起こし死亡しました。
- 1949年・・・ニューヨークのダイヤモンド商のハリー・ウィンストンが買い取りました。
- 1958年・・・ウィンストンは、ダイヤモンドをスミソニアン協会に寄贈しました。
このダイヤモンドを持っていると不幸が訪れるのがよくわかります。最後はようやくスミソニアン博物館で落ち着いたようです。
黒魔術の呪いを使ったアンジェリーナ・ジョリー(ハリウッドの呪い)
ハリウッドで最もホットなカップルと言われたブラッド・ピットとジェニファー・アニストンの仲を裂いたのは、アンジェリーナ・ジョリーの仕掛けた黒魔術のせいでした。
【アンジェリーナ・ジョリーの呪い】
ニューヨークのある新聞社の報道によると、ブラッドの友人がブラッドの車の中で小瓶を見つけました。ブラッドの話によると、「事故除け」のためにとアンジェリーナからもらったものだと言うのです。ガラスの小瓶には、グレーの粉が入っていました。その粉は、「コウモリ」らしいのです。
【コウモリの粉は離婚に効果がある】
ブードゥーの専門家のドクター・スネイク氏によれば、当時の妻であるジェニファー・アニストンからブラッド・ピットを奪うためにアンジェリーナ・ジョリーが、ブラッドに「コウモリ」の粉を渡したに違いないとしています。「コウモリの粉は黒魔術では、恋愛関係を壊すときに使われます。コウモリの心臓を使って作ったまじないの香料などは、結婚や恋愛を壊す魔力があるのです」と語っています。
【アンジェリーナ・ジョリーと破局】
2016年にアンジェリーナ・ジョリーから離婚を申請されてしまいました。一方、元妻のジェニファー・アニストンは、2015年にジャスティン・セローと結婚しましたが、2018年2月、破局が発表されました。意外な展開として、ブラッド・ピットとジェニファー・アニストンの急速接近のニュースが伝わりました。ブラッド・ピットは、ジェニファー・アニストンの誕生日を二人で祝いました。ブラッドの両親は、ジェニファーとの復縁を懇願しているそうです。ブラッドは、今度は、「コウモリ」の粉を持たないように気をつけなくてはいけません。
日本の庶民の呪い方(古くからポピュラーな丑の刻参り)

丑時参 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』
日本の呪いの中で、庶民の生活の中で行われてきた呪いは、「丑の刻参り」(うしのこくまいり)です。
【丑の刻参り】
- 丑の刻参りの一般的な方法は、藁人形(わらにんぎょう)を用意します。
- そして普通の釘よりも長い5寸釘を一本用意します。一寸は3.3センチですので、16.5センチの長さの釘です。それに、鉄の金づちが必要です。
- 藁人形には、相手の爪や髪の毛を入れます。
- 服装は白装束で、一枚歯の高下駄を履き、鏡を持ちます。
- 頭の上には金属製の「五徳」(ごとく)を逆さにして、そこに3本のローソクを立てて、頭にかぶります。
- 深夜、丑三つ時(うしみつどき)、午前2時から3時にかけて、7日間、神社に参ります。
- 次に、藁人形を5寸釘で神木に打ち付けます。満願の7日目に相手は死ぬとされています。
呪い返し(呪いからの防衛方法)
photo by 唐山健志郎
祟りや呪いから防ぐためや、相手を調伏するなどの目的で、平安時代に伝わった密教などでは、「護摩焚き」という呪法が行われました。
【護摩とは】
護摩(ごま)とは、「供物やいけにえをささげる」という意味です。インドのサンスクリット語で、「ホーマ」の音訳です。もともとは、バラモン教の宗教儀式です。ゾロアスター教(拝火教)とも共通する文化です。
【護摩の方法】
護摩壇に火をたき、その日の中に供物を入れ、護摩木を投じて、一心不乱に祈祷を行います。これを外護摩と言います。それに対して、内護摩という方法があります。自分を護摩壇として、心の中で煩悩や業に火をつけ焼き払うという考え方です。下記に護摩焚きの種類を記載いたします。
- 息災法(そくさいほう)・・・地震や火災から守ることを祈ります。
- 増益法(そうやくほう)・・・幸福や長寿を目的とする祈祷です。
- 調伏法(ちょうふくほう)・・・時代劇などによく出て来る護摩炊きです。怨敵や魔障を除去する祈祷です。
- 敬愛法(けいあいほう)・・・調伏とは逆に平和や円満を祈ります。
- 鉤召法(こうちょうほう)・・・諸尊、善神など敬愛する神仏を集める祈祷です。
【鏡やミネラルウォーター、水晶の効果】
ふだんの生活の中で、「護摩焚き」をするわけにもいかないと思います。
- 昔から、「鏡」は呪いを跳ね返すと言われています。部屋を掃除して、手鏡や鏡台を磨きましょう。そして、「鏡は悪い呪いを反射して送る者へ返します。私はいかなる呪いにもかからない」と宣言しましょう。
- また。体を清める意味で、天然の水を飲むようにしましょう。ミネラルウォーターでもかまいません。飲みながら、「私は清められている」と念じましょう。
- 水晶を部屋に置くのも効果があるとされています。水晶はあらゆる悪霊や呪いを吸い取る効果があるからです。また、水晶のアクセサリーを身に着けるのも良いと思います。
最後に
「呪い」は、人を害することも可能ですが、自分自身にも影響が及ぶと言われています。ことわざにも、「人を呪わば穴ふたつ」というものがあります。これは、他人を殺そうとして呪うと、自分自身にも報いを受けて、もうひとつ墓穴を掘らなければならないという意味です。
医学的にも、人間は怒りを感じると脳から、怒りのホルモンと言われる「ノルアドレナリン」が分泌されます。もし異常なほどの怒りを感じた場合は、「ノルアドレナリン」が多量に放出され、血管の収縮が起こり、血液は脳の内部に集結します。これによって、体内の器官に異常が発生することがあります。「脳溢血」や「脳梗塞」、「心筋梗塞」などの恐ろしい病気のもととなります。呪いたいほどの怒りは、自分自身を死に至らしめることになります。そのことをよく認識して、怒りをなだめることが大切です。
呪いの種類とは
- 呪いには大きく分けて「過去からの呪い」と「将来への呪い」があります
- 言霊信仰による呪い(古代日本の呪い)
- ツタンカーメン王の呪い(古代エジプトの呪い)
- ホープダイヤモンドの呪い(欧米の持ち主を不幸に陥れた呪い)
- 黒魔術の呪いを使ったアンジェリーナ・ジョリー(ハリウッドの呪い)
- 日本の庶民の呪い方(古くからポピュラーな丑の刻参り)
- 呪い返し(呪いからの防衛方法)
ということでした。以上、最後までご覧いただき、有難うございました。
解決しない悩みは、人に聞いてもらうと気持ちが安らぐだけでなく、自分では全く見えてなかった意外な事で解決方法が見えてくることもあります。
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