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呪いの種類はどんなものがあるか?一覧で紹介

ホープダイヤモンドの呪い(欧米の持ち主を不幸に陥れた呪い)

ホープダイヤモンド

ホープダイヤモンド

後の世にホープダイヤモンドと呼ばれるダイヤモンドは、9世紀頃、インド南部のデカン高原にあるコーラルという町を流れる川で、農夫によって発見されました。このダイヤモンドは、大きさも巨大ですが、神秘の力も大きく持ち主に不幸を与えることで有名になりました。その歴史を追うと次のようになります。

【ホープダイヤモンドの歴史】

インド北西部の農民が発見したダイヤモンドは、ペルシャ軍に強奪され、ダイヤモンドを奪った軍の隊長は、ペルシャ国王に献上しましたが、まもなくこの隊長は謎の自殺を遂げました。17世紀になると、このダイヤモンドは、インドの寺院にあるラマ・シタという仏像に埋め込まれました。

  1. 1645年・・・フランス人のジャン・バティスト・ダヴェルニエは、仏像に埋め込まれたダイヤモンドをくりぬいて強奪しました。その大きさは、約112カラットありました。彼はフランスに持ち帰り、ルイ14世に売却しました。しかし、その後、ロシアで野犬に食い殺されました。
  2. 1668年・・・ダヴェルニエからフランス王ルイ14世がダイヤを購入し、カッティングされ、大きさは約67カラットとなりました。王の儀式用のスカーフに付けられ、フレンチ・ブルーとかブルーダイヤモンドと呼ばれました。ルイ14世の不幸の時代は、国家の財政難に悩まされました。子どもや孫にも先立たれてしまう事件も起きました。ルイ14世も天然痘にかかって死亡しました。
  3. 1749年・・・フランス王ルイ15世は、このブルーダイヤを自分の金羊毛騎士団用のペンダントに付け替えました。
  4. 1792年9月11日・・・ルイ16世の時代には、フランス革命が起き、王妃のマリ―アントワネットは処刑されました。国王一家が幽閉されているさなかに窃盗団が王室の宝石庫に侵入し、ブルーダイヤモンドを含む宝石類が強奪されました。
  5. 1812年9月・・・強奪から20年経ち、イギリスのダイヤモンド商ダニエル・エリア―ソンがこのブルーダイヤモンドを所有していることがわかりました。彼は、乗馬中に落馬して死亡してしまいました。
  6. 1824年・・・次の所有者は、イギリスの銀行家のヘンリー・フィリップ・ホープです。ブルーダイヤモンドは、彼の宝石コレクションとして記録されています。
  7. 1839年・・・ヘンリー・フィリップ・ホープの死後、3人の甥が10年以上にわたって、所有権を裁判で争いました。その結果、ヘンリー・ホープがこの宝石の相続人になりました。
  8. 1862年12月4日・・・ヘンリー・ホープの死後、妻のアデルがダイヤを引き継ぎました。
  9. 1887年・・・ヘンリーとアデルの孫であるヘンリー・フランシス・ホープが、このダイヤを引き継ぎました。
  10. 1896年・・・フランシス・ホープが破産し、ダイヤモンドの売却をせまられました。
  11. 1902年・・・ロンドンの宝石商アドルフ・ウィルが買い取りました。次いで、アメリカのダイヤモンド商のサイモン・フランケルに売却されました。
  12. 1908年・・・次に買い取ったのは、パリのソロモン・ハビブでした。
  13. 1909年・・・次に買い取ったのは、パリの宝石商のローズナウでした。
  14. 1910年・・・次に買い取ったのは、ピエール・C・カルティエでした。
  15. 1911年・・・アメリカの社交界の名士、エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンが買い取りました。このダイヤモンドの入手後、マクリーン夫妻の10歳の息子が交通事故死となり、夫婦関係は悪化、離婚となりました。その後、マクリーンは精神に異常をきたし、精神病院で狂死しました。ダイヤモンドは、妻のエヴァリンに渡りましたが、彼女の娘が睡眠薬を飲みすぎて死亡、その後エヴァリン自身も肺炎を起こし死亡しました。
  16. 1949年・・・ニューヨークのダイヤモンド商のハリー・ウィンストンが買い取りました。
  17. 1958年・・・ウィンストンは、ダイヤモンドをスミソニアン協会に寄贈しました。

このダイヤモンドを持っていると不幸が訪れるのがよくわかります。最後はようやくスミソニアン博物館で落ち着いたようです。

続いて、黒魔術の呪いを使ったアンジェリーナ・ジョリーについてお話しいたします。