禅語のひとつ「本来の面目」という言葉の意味を知りたい方へ。
禅や仏教に多少馴染みがある人であれば、「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)の本来の面目(めんぼく)」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんね。自分だけではなく、父と母が生まれる前の自分とは、一体どのようなものなのでしょうか。
本記事では、禅宗の本来の面目の意味を分かりやすく解説します。
①「本来の面目」とは「本当の自分」のこと
「本来の面目」とは、自分の本性、つまり「本当の自分」のことです。禅や仏教には、「今、自分だと思っている自分は本当の自分ではない」という考え方があります。
②社会的な属性は「本来の面目」ではない
「本来の面目」「本当の自分」という言葉で、あなたはどんなことを思い浮かべるでしょうか。
「〇〇という会社に勤めている私」、「〇〇という職業の私」、「〇〇という学校を卒業した私」、「××という人と結婚している私」、「××という人と付き合っている私」「△△という子の父親(母親)である私」……
色々思い浮かぶかもしれませんが、これはすべてあなたが所属しているものに過ぎず、本当のあなた自身(本来の面目)ではないと、禅や仏教では考えるのです。
③生まれてから今までの記憶も「本来の面目」ではない
また、生まれてから今までの間にあなたが経験してきたこと、あるいは、今までの人生であなたが培ってきた記憶や考え方も、あなた自身ではありません。
本当の姿を見えなくしてしまうもの
両親や学校から学んだこと、社会で過ごすために身に着けてきたあらゆる常識などは本来の面目(あなた自身)ではなく、むしろ、あなたの本当の姿を見えなくしてしまうものですらあるのです。
④両親が生まれる前のあなたこそ、本当のあなたである
夏目漱石が禅寺で授けられた有名な公案に、「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)の本来の面目とは何か?」というものがあります。
公案とは、禅の修行に使われるクイズのようなもの。そして「父母未生以前」とは、両親が生まれる前という意味です。
一般的な常識では、両親が生まれる前に子供である自分が存在するなど、あり得ないことです。これは一体、どういう意味なのでしょうか。
⑤「本来の面目」とは赤ん坊より前に戻ること
生まれたばかりの赤ん坊の心の中には、常識や善悪の観念、両親の価値観などは一切存在しません。「父母未生以前」とは、少なくとも、赤ん坊の状態より前に戻るということです。
とはいえ、両親が生まれる前の自分に戻るというのも難しいと思いますので、まずは、生まれた瞬間の自分や赤ん坊の頃の自分に戻ることを目指してみてはいかがでしょうか。
⑥快・不快の感覚に従うと「本来の面目」に近付く
生まれたばかりの自分・赤ん坊の頃の自分に戻るとはいってももちろん、床に手をついてハイハイしたり、赤ちゃん言葉で話すという意味ではありません。
お腹が空いたりおむつが濡れている時に赤ちゃんが泣くのと同じく、自分の快・不快の感覚に素直になるのです。両親や学校の先生から教わった常識や良識などは、一旦すべて忘れて下さい。
世間ではいいとされているけれど自分は好きになれないもの、もしくはその逆をひとつひとつ洗い出してみると、本来の自分に近付けることでしょう。すると、本当の自分の心の声がだんだん感じ取れるようになっていきます。
⑦人は生まれる前に人生の設計図を決めてくる
多くの神話や民話、伝承では、人はこの世に生まれてくる前にどんな人生を送るかを大まかに決めてから生まれてくると言われています。
ですが、結末を知っている映画を見ていても、心からドキドキハラハラできませんよね?同じように、生まれる前の記憶を持ったままでは心から人生を楽しめないので、一旦、記憶をすべて消してから母親の胎内に宿るとされているのです。そのため、本来生まれる前に決めてきたのとは違う人生を歩んでしまい、本来の面目(本当の自分の人生)から遠ざかってしまう人も多いのでしょう。
⑧天才は自分が歩む人生を知っている
特別な才能を持つ人、いわゆる天才と呼ばれる人たちは、子供の頃から独特なセンスや才覚を表していた人が多いといわれています。3才や5才など、子供の頃から、将来自分が携わる分野に興味を持つこともあります。
モーツァルトなどは、3才にして初めて作曲をしたと言われています。ですが、もし彼の父親が作曲家でなければ、3才の子供が作った曲など見向きもされなかったかもしれません。あたかも、モーツァルトがもっとも才能を発揮できる環境を選んで生まれてきたかのようです。
⑨この世に生まれてくる理由は業(カルマ)を解消するため
仏教には、業(カルマ)という考え方があります。業とはいわば借金のようなもので、私たちがこの世に生まれてくるのは、前世で行った悪行の借金を返すためだというのです。
そのため、モーツァルトのような天才でない普通の人間でも、もっとも前世の業を解消しやすい、今生での課題をクリアしやすい環境や性格を選んで生まれてくるといわれています。
⑩本来の面目とは清らかな仏性(ぶっしょう)のこと
禅では、どんな人にも仏性(仏の清らかな性質)が宿っていると考えます。「本来の面目」とは、誰でも持っている清らかな心のこと。人生の課題を解き終えて、前世から背負ってきた業を解消し終えた時、本当の自分である「本来の面目」が表れてくるのでしょう。その時に、どんな自分と対面するのかを楽しみにしながら、人生を歩んでいきましょう。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
「本来の面目」とは聞き慣れない言葉かもしれませんが、本当の自分と対面した時、人は自分の今までの人生の意味や、この世での役割を知ることができるといいます。今生で「本来の面目」を知ることができるよう、一歩一歩歩んでいきましょう。
禅宗の思想「本来の面目」の要点は…
- ①「本来の面目」とは「本当の自分」のこと
- ②社会的な属性は「本来の面目」ではない
- ③生まれてから今までの記憶も「本来の面目」ではない
- ④両親が生まれる前のあなたこそ、本当のあなたである
- ⑤「本来の面目」とは赤ん坊より前に戻ること
- ⑥快・不快の感覚に従うと「本来の面目」に近付く
- ⑦人は生まれる前に人生の設計図を決めてくる
- ⑧天才は自分が歩む人生を知っている
- ⑨この世に生まれてくる理由は業(カルマ)を解消するため
- ⑩本来の面目とは清らかな仏性(ぶっしょう)のこと
ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。