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ライトパーソンとは何か?その特徴をご説明します

⑧浅野忠信はセルゲイ・ボドロフ監督との出会いで世界的名優になった

浅野忠信は、日本の代表的な映画俳優です。彼を世界的な名優にしたのは、映画監督のセルゲイ・ボドロフ監督です。セルゲイ・ボドロフ監督は、浅野忠信にとって、「ライトパーソン」と言えます。俳優として優れた才能を持った浅野忠信を見出して、主演のチンギス・ハーンの役に抜擢したセルゲイ・ボドロフ監督との出会いは、偶然のなかにも両者の引き合う魂(そうる)の出会いでありました。

【生い立ち】

母方の祖父は、名前をウィラード・オバリングと言い、北欧系のアメリカ合衆国の人です。第2次世界大戦時以降は、アメリカ陸軍の料理兵であったそうです。戦後は、日本に駐留し、配属された横浜で、浅野の祖母である浅野イチ子と出会いました。結婚して、1950年に長女・順子(忠信の母)が生まれました。順子は18歳で結婚し、1971年に長男の久順(ひさとし)が生まれ、1973年に次男の忠信が誕生しました。

【芸能界にデビュー】

1988年に父親からテレビドラマ「3年B組金八先生III」のオーディションを受けることを勧められ、合格しました。好きなバンド活動も開始して芸能界で活躍しました。1990年、漫画を映画化した「バタアシ金魚」で、わき役で出演しました。これが初の映画デビューでした。その後、1996年に、「Helpless」で主演を果たしました。活動の場は海外にも及び、国際的にも注目を高めていきました。次々と映画出演し、数々の男優賞を受賞しました。

【セルゲイ・ボドロフ監督との出会い】

ロシアの映画監督のセルゲイ・ボドロフ監督は、映画「モンゴル」のチンギス・ハーンの役を誰にするか迷っていました。数ある男優の中で、チンギス・ハーンの役を演じられる人は誰か、たくさんの名簿やビデオを見て選んだそうです。その中に浅野忠信が出演した映画「殺し屋1」で、浅野忠信のどこかミステリアスな雰囲気と演技に魅せられて、「この役を演じられるのは浅野しかいない」と浅野忠信にチンギス・ハーンの役を依頼しました。この作品は、第80回アカデミー賞・外国語作品部門でノミネートされました。

【その後の輝かしい大活躍】

  • 2011年、映画「マイティー・ソー」・・・初のハリウッド映画に出演
  • 2012年、映画「バトル・シップ」・・・ハリウッド映画では、2作目の出演
  • 2014年、映画「私の男」・・・モスクワ国際映画祭で最優秀男優賞、第57回ブルーリボン賞・主演男優賞を受賞しました。
  • 2015年、映画「岸辺の旅」で第68回カンヌ国際映画祭で、黒沢清監督が監督賞を受賞しました。
  • 2016年、映画「淵に立つ」が、第69回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しました。

最後に

ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
「ライトパーソン」は、ソウルメイトとして何千年の長い期間の輪廻転生の中でお互いに出会いを繰り返しています。それでも、その出会いは、偶然によるのです。ライトパーソンを真剣に求める姿勢が大切です。特に注意を要するのは、出会い系サイトで知り合ったことで、事件に巻き込まれた人たちもいます。見知らぬ相手との出会いは、リスクを伴います。その点は十分に考慮しないといけません。正しい人との出会いを求め、真剣に探すことで、正しい人との出会いがあり、豊かな人生を得ることができるのです。

以上、最後までご覧頂き、有難うございました。