霊界について知りたい方へ。
霊界とは、死後の世界のことです。「あの世」とも言います。臨死体験をした人は、霊界の存在を信じて疑いません。しかし、臨死体験とは、脳の一部分がまだ生きていて、幻覚を見ているだけだと言う医師もいます。
私たちは、霊界を見ることはできませんが、亡くなった人のためにお葬式をします。お彼岸やお盆にはお墓参りもします。霊界の存在を確信してはいませんが、否定もできないのではないでしょうか。
本記事では霊界とはどんなところか?スピリチュアル的に解説いたします。
①亡くなると霊界に旅経つ霊魂
人は亡くなれば、霊魂となり霊界に旅経つと言われています。死によって肉体は滅びますが、霊魂は残ります。
霊魂が浮遊すると鬼火(火の玉)になると言われています。鬼火(火の玉)の現象は、古いお墓がある場所でよく見られます。大きなものは直径が1メートルぐらいになります。夏になると地面も空気も熱くなります。昔は土葬でしたので、遺体に含まれるリンが発生し、それが燃える現象だといわれています。
冥土の旅
さて、本題にもどります。人は死ぬと、「死出(しで)の旅路」に出ます。この旅を「冥途(めいど)の旅」とも言います。冥途の旅の最初は、死出の山路です。暗く長い道のりを独りで歩いて行かなければなりません。山を越えるのに7日間かかります。
最初の7日目を初七日と言いますが、7日を過ぎたところで、裁判があります。その日から7日ごとに7人の裁判官による裁判が行われます。その裁判が終わるまで49日かかります。私たちが49日法要をするのは、亡くなった方の罪を軽くしてあげるためのものです。
最初の裁判が終わると、三途の川に着きます。大きな川でとても簡単に渡ることができません。オリンピックの水泳選手でも、この川の広さを泳ぎ切ることはできません。
三途の川の向こう岸に行くには、渡し船に乗っていかなければなりません。しかも船の船頭さんは、恐ろしい鬼なのです。昔は渡し守の鬼に六文の銭を渡すと向こう岸に渡してくれたそうです。着物の襟などに六文の銭を縫い付けました。
戦国時代、真田家の家紋が六文銭であったのは、この三途の川の渡し賃に由来します。戦死しても心配は要らないという意味なのでしょう。
閻魔大王

最後の裁判が終わると、次は「六道」の中のいずれかの場所に行くことになります。「六道」とは、「天道」「人道」「阿修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」のことです。
ここで簡単に六道を説明しておきます
- ⑴「天道」・・・善行を積んだ人たちだけが行ける場所です。
- ⑵「人道」・・・人間として「不浄」「苦」「無常」を再び味わう場所です。
- ⑶「阿修羅道」・・・毎日三度戦いに狩り出される場所です。
- ⑷「畜生道」・・・「獣」として生きることを強いられる場所です。
- ⑸「餓鬼道」・・・飢えで苦しむのが「餓鬼」です。満足はありません。
- ⑹「地獄道」・・・六道の中の最下層。一般的に言う地獄です。

「地獄道」に行き先が決まった人は地獄に行きます。では地獄とはいったいどんな所でしょう。
地獄
平安時代、源信という僧侶が書いた「往生要集」(985)に、地獄の記載がとても詳しく書かれています。地獄は、八大地獄と呼ばれ、いったん地獄に落ちたならば、抜け出ることができません。最下層の地獄は阿鼻地獄という恐ろしい地獄です。
⑴「等活地獄」(とうかつじごく)
殺人を犯した者が行く地獄。いつも殺し合いをせまられる世界です。殺さなければ殺されるような世界なのです。そこには監視役の鬼がいます。殺しの現場が見つかると、肉を引き裂かれるという地獄です。
⑵「黒縄地獄」(こくじょうじごく)
強盗や詐欺、窃盗をした者が行く地獄。体に網目のような模様を付けられ、その線に沿って、鬼に引き裂かれるという地獄です。
⑶「衆合地獄」(しゅうごうじごく)
セクハラや姦淫を犯した者が行く地獄。絶世の美女がいる地獄ですが、喜んではいられません。サボテンのような木の上から、美女が誘いをかけます。彼女をものにしたいという欲望が心の底から湧き上がってきます。どうしても美女のそばに行きたくなります。木を登り始めると、たくさんの木の葉がカミソリのように鋭利な刃物となって降りそそぎ、体を切り刻みます。
⑷「叫喚地獄」(きょうかんじごく)
叫喚地獄は、酒を飲みすぎた者が行く地獄。ここでは、酒のかわりに熱く溶けた銅を飲まされるところです。
⑸「大叫喚地獄」(だいきょうかんじごく)
大叫喚地獄は、ウソをついた者が行く地獄。熱い鉄の針で唇と舌を刺し通されます。あるいは熱い鉄のハサミで舌を抜かれます。
⑹「焦熱地獄」(しょうねつじごく)
焦熱地獄では、仏教の五戒を破った者が落とされます。熱い鉄の棒でくし刺しにされます。そして地獄の業火であぶり焼きにされてしまいます。
⑺「大焦熱地獄」(だいしょうねつじごく)
大焦熱地獄では、五戒を破った者の中でも極悪人が送られてきます。金属も溶けるような熱い火の海に放り投げられるという地獄です。
⑻「阿鼻地獄」(あびじごく)
仏教の戒律を守らず、大衆を救わず、信者の布施を受けて、楽な暮らしをしてきた僧侶が行く一番罪の重い地獄です。恐ろしい巨大な犬に嫌と言うほど噛まれては引き裂かれます。
③極楽とは
幸いにも極楽に行くことが決まった人は、苦しみや悩みから解放されます。何の心配もいりません。ただ毎日を楽しく暮らすことができます。
極楽とは、阿弥陀仏が作られた浄土です。「阿弥陀経」には、その極楽の由来が書かれています。
「極楽」の由来
「その国にいる人々は、あらゆる苦もなく、ただ楽を受けるのみなので、極楽と名付けられました。阿弥陀仏の極楽浄土に生まれた人には、一切の苦しみはなく、楽しみがあるだけなのです。だから極楽というのです」
「極楽」のある場所
極楽のある場所は、西方十万億土の彼方(とても遠いという意味)に広々とした極楽の世界が広がっています。とても広いので、終わりがない世界です。この浄土は、荘厳な美しさに満ちています。
「極楽」はどんなところ?
「七宝の池」という池があり、澄んだ清らかな水に満ち、池の底には、金の砂が敷き詰められています。池には蓮華の花が咲き、輝くばかりのあらゆる色の光を放っています。
宮殿には、柱や天井、あらゆる場所が宝物や宝石で飾られています。庭の木々も金の樹木、銀の樹木、瑠璃の樹木、水晶の樹木があります。それらの宝石でできた花を咲かせています。宝の実がなり、それを食べるたくさんの美しい鳥が飛び、美しい声で鳴き、美しい音楽が流れ、良い香りが漂っています。
美しい衣服や美味しい食事も思いのままです。何の不自由もありません。寒くもなく暑くもなく過ごしやすい温度で、病気をすることもなく快適な生活ができます。苦しみや悩みもなく楽だけがあるという満ち足りた世界なのです。
④輪廻転生から抜け出すためには
仏教の世界では、輪廻転生を苦しみととらえています。修行僧が苦行をしたり、お寺で勤行が行われたり、いろいろな供養がされるのは、人々がこの苦しみから解放されるようにするためです。
ほとんどの人々は、「六道」の中でも、特に「人道」に行きます。「人道」に行く人たちは、輪廻転生から抜け出ることができません。「六道」の中の「天道」にしても、ある期間が過ぎれば、人間界に生まれ変わります。
どうすれば輪廻転生の苦しみから抜け出し、「極楽浄土」に行くことが出来るのでしょうか。「極楽浄土」に行くためには、輪廻から「解脱」しなければなりません。
私たちも「解脱」するには、修行僧のように、いろいろな難行苦行をしなければならないのでしょうか。浄土宗や浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、極楽に行けることになっています。しかし、信仰と言うのはそれほど易しいものではありません。
本当に「阿弥陀仏」を信じなければ、いくら「南無阿弥陀仏」と拝んでみても、何も変わるわけではありません。三心四修といって、誠実にまじめに阿弥陀仏に救いを求め、一心不乱に取り組むことが必要なのです。
⑤キリスト教の聖書の中での死とは
キリスト教の聖書の世界では死をどのように受け止めているのでしょう。
聖書の中でも代表的な福音書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書です。その中に、ラザロというとても貧乏で、哀れな人が出てきます。病気にもかかっています。ラザロの話を例にキリスト教での死とはどう言うことか考えてみましょう。
⑴ルカの福音書のラザロ
ルカの福音書に出て来る貧乏なラザロは、お金持ちの家に行き、食卓から落ちるものでお腹を満たしていました。しかもラザロは、できものだらけでした。犬がやってきては、ラザロをなめていました。やがてラザロは死にました。
ラザロは死ぬと、天使によって宴席にいるアブラハムのそばに連れていかれました。アブラハムは信仰の父と言われています。ラザロは、アブラハムから祝福を受けたのでした。
一方、お金持ちも死にましたが、ラザロのようにアブラハムの宴席には呼ばれませんでした。それとは反対に、お金持ちは苦しみの世界に置かれたのでした。お金持ちはアブラハムに抗議しました。しかし、お金持ちは許されませんでした。
イエスは、弟子たちに「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことだろう。金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通る方がもっとやさしい」と言いました。
⑵ヨハネの福音書のラザロ
[caption id=”attachment_2204″ align=”aligncenter” width=”800 ラザロの蘇生
また、ヨハネの福音書では、イエスがラザロを生き返らせる話が出てきます。イエスは、ラザロが病気と聞いて、かけつけました。しかし、すでにラザロが葬られてから4日が経っていました。
イエスは、ラザロの死を悲しみ、墓の前に立って、「ラザロ、出てきなさい」と声をかけました。するとラザロが墓から出て来たではありませんか。これを見た人々はイエスを信じ始めました。
イエスはこのように言っています。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか」
イエスは、わざわざラザロと言う貧乏な者を選び出し、信仰の力で、死んだ者を生き返らせるという奇跡を起こしました。人々は驚いたことでしょう。イエスは生き返らせることで、対価を求めたわけではありません。「信じる力」が、奇跡を起こすことを人々に示したかったのです。
イエスが愛したラザロとは
イエスが愛したラザロとはどんな人だったのでしょう。聖書には詳しく書かれていませんが、純朴で神を疑うことなどなく、貧乏でも盗みなど考えもしない正直な人柄のようです。それだけに、イエスはラザロが死んだことを聞くと、哀れな者の死として終わりにしませんでした。人々にわざわざラザロの復活の奇跡を示すためにラザロの墓に行ったのです。
貧しきものが祝福を受けられる
仏教では、死んでから極楽浄土へ行くための信仰に重きが置かれているのですが、イエスの教えは、貧しきもの弱きもののが、生きている間であっても死んでしまってからも、神の恵みがあり、祝福を受けられるというものです。命と言うものを考えるときに、生きることも死ぬことも区別がありません。
⑥偉大な詩人ダンテの神曲による地獄のイメージ

スウェデンボルグ
17世紀のスウェーデン王国に一人の天才が出現しました。その名は、スウェデンボルグ(1688~1772)。彼は科学者、数学者、哲学者、神秘思想家であり、9か国語を自在に話しました。
彼は偶然、この世と死後の世界を行き来できるようになりました。そして「霊界日記」を書きました。その他にもたくさんの著作を残しましたが、当時の教会からは異端視されましたが、幸いにも王室の庇護を受けることができました。
彼によれば、霊界は三つの世界に分かれています。
スウェデンボルグが見た霊界
- ⑴精霊界・・・人が死ぬとこの世界に入ります。そしてしばらくすると、それぞれの好みに従って、天国や地獄へ行きます。
- ⑵天国・・・霊界の太陽にもっとも近く、霊界の生命の恩恵を受けることができます。
- ⑶地獄・・・霊界の太陽からはもっとも遠く、光がほとんど届かない暗い世界。自己愛に満ちた霊が集まる場所。生前、権力者で思いのまま人々や富を支配した人たちも、地獄の世界では奴隷とされてしまいます。そのような強欲な人々が集まっていますから、いつも争いが絶えません。
誰しも地獄に行くことは望まないはずですが、自己愛の強い人たちは、進んで地獄に入って行きます。なぜなら自己愛の強い霊は、欲念を持っていることに快感を覚えるからです。
彼らは最初、地獄の悪霊たちに歓迎されます。そこが地獄とは気が付きません。しかし、それから、嫌がらせを受けるようになります。次は、虐待が行われます。最後は、強いものが勝ち、負けたものは奴隷になります。また、悪霊の中から、強いものが現れ、反乱を起こします。この争いは永遠に続くのです。
⑧現代科学での霊の検証
霊魂についての研究は、大変興味のある結果を示しています。
⑴霊魂の重さ
アメリカのマサチューセッツ州の医師、ダンカン・マクドゥーガル博士は、1907年に発表した研究記録では、入院していた瀕死の患者の体重を精密に測りました。その結果、死後の体重は、21グラム減っていました。つまり魂の重さは21グラムということです。
⑵霊魂は意識
またケンブリッジ大学の数学者、宇宙物理学、理論物理学者のロジャー・ベンローズとアリゾナ大学の医学博士スチュワート・ハメロフ教授は、臨死体験の現象を「量子脳理論」で「意識」を説明しています。ベンローズ氏は、脳そのものは、思考の主体ではなく、単なる量子コンピューターであると主張しています。
⑶臨死体験中、脳機能は停止
臨死体験をした外科医のエベン・アレグサンダー博士は、彼の著書「プルーフ・オブ・ヘヴン」で美しい死後の世界を書きました。彼は、医師として患者から、臨死体験の話は何度か聞いたことがありました。しかし、それを信じようとは思いませんでした。ところが、自分が深刻な脳血管障害を起こし昏睡状態になりました。
そして、魂が体を抜け出す体験をしたのです。その後、奇跡的に意識を回復した博士は、昏睡状態の時の脳の活動の記録から、臨死体験は、活動を停止した脳に起きた現象ではなく、意識は脳から離れて存在することを信じるようになったのです。
最後に
霊界はまだ想像の世界でしかありません。科学的な解明も現在進行形です。
日本の民俗学的な見方では、日本にはかつて霊も普通に存在した時代があったと言われています。平安時代には、安倍晴明のような陰陽師などもいて、宮廷で重要な役割を担っていました。悪霊や生霊による災いを陰陽師が撃退するなどの仕事が実際にあったのです。
いつからそのような霊の世界が否定されてきたかと言えば、明治以降西洋文明が既存の日本の精神文化を壊していったからでしょう。
近代的な科学の発達で、非科学的な事は全て否定されてしまいました。私たちもそのような現象を見ても信じなくなりました。それに見たくないものは見えないのが人間の心理です。
一度、そのような唯物論的なものの考え方を否定してみるのも霊の世界に近づく方法かもしれません。
まず、目を閉じて、暗闇の世界で何が見えるかトライしてみましょう。都会の喧騒から離れて、何の騒音も聞こえない山寺で、静かに座禅をしてみましょう。
暗闇の中に何かが見えてきます。静かな環境の中で、心を落ち着かせ、耳を澄ましてみましょう。どこからか霊の声が聞こえてくるかもしれません。
霊界とはどんなところか?スピリチュアル的に解説
- ①亡くなると霊界に旅経つ霊魂
- ②地獄めぐり
- ③極楽とは
- ④輪廻転生から抜け出すためには
- ⑤聖書の中で死とは
- ⑥ダンテの神曲(地獄のイメージ)
- ⑦スウェデンボルグの霊界
- ⑧現代科学での霊の検証