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瞑想が危険だと言われる理由とその対策

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瞑想が危険だと心配な方へ。

瞑想のノウハウ本やリラックスを謳うメディアなどでは、あまり語られることはありませんが、「瞑想は素人がやると危険」との声もあるのは事実です。

そうした情報を得て、瞑想に興味がありながら二の足を踏んでいる方もいることでしょう。

瞑想って、本当に素人には難しく危険なものなのでしょうか。危険だとしたら、どんなことが起こり得るか、なぜ、そのようなことが起こるのか。そして、どうしたらそうならずに安全で効果的な瞑想がおこなえるのか。

深層心理セラピスト 斎木サヤカ
深層心理セラピスト 斎木サヤカ

この記事では、深層心理セラピストの斎木サヤカが、瞑想にまつわる危険と対策についてお話しします。

瞑想とは

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瞑想とは、なんらかの対象について深く観じてみたり、個人的な問題を理解しようとしたり、また、人々や地球、宇宙に対して愛や祈りを感じたり、内なる智慧に触れたりすることです。

瞑想の第一の目的は「思考を止める」こと。頭で考えるのをやめて頭を空っぽにして、ニュートラルな自分になること。それを目指すのが瞑想のスタートです。

苦しい辛い自分の考え方から解放されて、本来の魂の自由さを取り戻していく・・・。そこへ向かうための一歩が「思考を止めること」にあるのです。

そして、苦しい自分の考え方から開放されるとポジティブな思考になり、ポジティブなことを引き寄せる力の質を整えることが出来ます。

ポジティブなことを引き寄せるために、ネガティブな思考を止め、本当の自分の心と向き合うのが「瞑想」なんです。

瞑想とは?その8のポイントを分かりやすく解説
瞑想とは何か知りたい方へ。瞑想しているとき、わたしたちの心や頭、体では何が起こっているのでしょう?そもそも瞑想とは、どういう状態のことなのでしょうか。そんな瞑想の「なぜ」を、ひとつひとつ解き明かしてゆきます。この記事では、深層心理セラピストの斎木サヤカが、瞑想とは何か?分かりやすく解説していきます。

瞑想は危険なのでしょうか?

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もちろん、瞑想そのものは危険なものではありません。それは火が危険なものか、という問いと同じこと。全てはそれを用いる動機と姿勢によるのです。

でも、瞑想合宿に参加しておかしくなった人の話も聞くし、返って感情が不安定になったりする場合もあるとか・・・。瞑想に不安を抱いているのは、おそらくそういう情報を耳にしたことがある方でしょう。

確かに、方法を習いながら瞑想をおこなっても、そうした状況に陥るケースがあるのは否定できません。ですが、それもやはり、どうして何のために瞑想をするのか、という動機の問題です。

技法だけを磨くとある種の危険を伴う

瞑想を単なる癒しや悟りのための技法だと捉えるとき、誤った方向にいってしまう場合があります。技法というものは心が伴ってこそ活きるもの。道術などで言う「心技体」の言葉は、瞑想にも通じるものなのです。技法だけを抽出して磨くと、それはある種の危険が伴うのは当然と言えば当然なのです。

気軽に瞑想するのは危ないのでしょうか?

瞑想 座禅 精神統一 ヨガでは、ノウハウ本を見ながら気軽に瞑想するのは危ないのかというと、もちろん、そんなことはありません。むしろ、日常の中にどんどん取り入れていくのがお勧めです。

瞑想を生活の一部に

リラックスするため、心を楽にするため、願いを叶えるため・・・。といったごく身近な動機だってかまわないのです。5~10分程度の瞑想で危険が生じることはありませんし、瞑想することを生活の一部にするくらいのスタンスのほうが瞑想の恩恵を受けやすいです。

神秘体験が目的の瞑想

また、神秘体験を得たいという目的を持って瞑想をする人も少なくないと思います。そうした動機を持つ場合、気軽な姿勢で瞑想をするのは邪道だと考えがちかもしれません。ですが、そうした動機を持つ人ほど、気軽に瞑想をスタートさせることをお勧めします。

なぜなら、神秘体験を得たいと望みながら、もし、その人が神秘や精神性とは程遠い生活をしていたとしたら・・・。それこそ、危険が伴うからです。スピリチュアルなセンスや能力を過信した瞑想は、迷い道へと入り込む要素になり得ます。

瞑想で危険に陥りやすいタイプの人

つまり、瞑想で危険に陥りやすい人は、実はスピリチュアルなセンスがある(と思っている)タイプなのです。

感性が豊かな分、瞑想状態に入りやすい

スピリチュアルな感性の豊かな人が瞑想をする場合、神秘体験を求めるほか、さらに潜在能力を目覚めさせたい、といった動機で始めることも多いと思います。感性が豊かな分、瞑想状態に入りやすく、直感や洞察も得やすいことでしょう。

「力」に魅せられがちな心の闇の部分

ですが、「力」に魅せられがちな心の闇の部分が瞑想中に闊歩してくると、「力」に足元をすくわれてゆきます。いわゆる憑依と呼ばれる状態になることもありますが、大抵の場合、それは、抑圧してきたパーソナリティーや感情が一時的に自己をのっとっとる形になっています。

感情を抑圧していると気づいてない人

感情を抑圧しがちなタイプは、危険に陥る素養があると言えますが、「抑圧している」と自覚している人は、実はそれほど危険ではありません。本当に危険なのは、自分では抑圧していることに気づいていないタイプです。誰にでも抑圧している部分はあるものですが、心のダークサイドを否定したい、隠したい気持ちが強いほど、危険に陥りやすいと言えるでしょう。

瞑想の危険性~禅病・偏差

瞑想中に泣き出したり、笑いが止まらなくなったり。怒りや不安の感覚などこみ上げてきて震えがくるケースもあります。

また、瞑想後に頭痛や発熱、耳鳴りといった身体の不調が残ることもまれにあります。これらの症状を禅病、身体にあらわれるものについては主に偏差と言います。

心と身体に溜め込んでいた感情が表に出てくる

これらのケースは、深層の意識に触れることで、心と身体に溜め込んでいた感情が顕れてきています。癒されるために表に出てきているのであり、本来、好転反応とも言える状態です。

バラバラになっていた身体と心が結びつくプロセスなので、抑えるよりは、感じ尽くすことで次第に落ち着いていきます。ただし、なかなか治まらなかったり、精神疾患がある場合には、専門家の助言を仰ぐのが賢明です。