瞑想とは何か知りたい方へ。
瞑想を取り入れたヨガ教室なども増え、特に精神修行に興味がない人にも親しまれるようになってきている瞑想。誘導されるままにならやったことがある、という方は多いかもしれません。心が落ち着いたり、リラックスできたり、アイデアや気づきを得たりと、その効果を経験した方もいるはずです。
ではなぜ、瞑想はそうして心に好影響をもたらすのでしょう?瞑想しているとき、わたしたちの心や頭、体では何が起こっているのでしょう?そもそも瞑想とは、どういう状態のことなのでしょうか。そんな瞑想の「なぜ」を、ひとつひとつ解き明かしてゆきます。
この記事では、深層心理セラピストの斎木サヤカが、瞑想とは何か?分かりやすく解説していきます。
瞑想とは?
瞑想には色々な方向性があります。
わたしたちの心には感じる力があります。感じる力は「知覚識(センスコンシャスネス)」と「心識(メンタルコンシャスネス)」のふたつに分けることができます。
- 「知覚識」とは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感のこと。
- 「心識」は怒りや悲しみなどの感情の部分を指しますが、感情はマインドセットから生まれるものなので、マインドセットを形作る思考作用、信念や観念、記憶の蓄積もこちらのほうに含まれます。
瞑想はこの心識の活動です。
その心の活動の中では、「瞑想をしようとしているわたし」が「わたしの心」を観察してゆく、ということがおこなわれていきます。「わたし」が「わたしの心」を理解してみたり、諭してみたりしてゆくわけです。
なぜ瞑想をするのでしょう?
古来より、精神修行の場では欠かせないものとされている瞑想ですが、ではなぜ、わたしたち人は瞑想をするのでしょうか。それは、「心」というものを見つめることがひとつの目的として挙げられます。
心は身体に納まっているわけではない
わたしたちは大抵「心」が自分の体の中にあると思っていますよね。「わたしの気持ち」は、外ではなく、自分の内にあり、自分と心とが一体になって過ごすことがほとんどだと思います。
ですが、実際は、「わたしの気持ち」は自分の内にだけあるものではありません。わたしたちは、意識せずとも他者の気配やその場の空気を感じとることができるように、当然ながら、自分自身も気配や空気をかもし出しています。つまり、心は、身体に納まっているわけではないのです。
他者や世界とのつながりをより感じる
思考や感情を鎮めてゆく瞑想はそのことに気づかせてくれます。「わたしの気持ち」が鎮まると、自分の意識の外側への感覚が開き、自分と外との境界線が緩まるためです。
ひとりでする瞑想だけれど、実は他者や世界とのつながりをより感じて、さらに絆を取り戻してゆくためのものだということ。だからこそ、古来より脈々と受け継がれてきていて、現代を生きるわたしたちにとっても、リラックスできたり安心できたりするものとなるのです。
瞑想のかたち
瞑想には色々なかたちがあります。実際にやったことのある方は、「これも瞑想?」と意外に思った経験もあるのではないでしょうか。そう、座禅を組んで目をつぶり、ただひたすら沈黙して内観していく・・・というスタイルのものだけが瞑想ではないのです。
ながら瞑想
もちろん、静かな場所でじっとしているほうが深い瞑想ができますが、たとえば、歩きながらでも、乗り物で移動中でも、家事をしながらでも瞑想をすることは可能なのです。筆者の体験では、自転車に乗って移動しているときなどに「あ、そうか」という気づきやアイデアを得ることがあります。
動的瞑想
武道や書道などのあらゆる「道」は、いわば動的瞑想であり、ご神事で舞を奉納したりすることを見ても、踊りにも瞑想的な要素があると考えられます。また、図形や色を用いたり、カード、特定のサウンドを使って、潜在意識や無意識とつながっていく方法もあったりと、瞑想のかたちはかなり自由な発想で広がっています。
瞑想は「するもの」ではない
動いていても瞑想はできる、ということをお話しましたが、それは、そもそも瞑想は「するもの」というより、「ある心の状態」を指すからです。
精神修行をしていた人々の逸話の中には、掃除をしたり、木を伐ったり、泳いだりしているときに、空性を悟ったという話もあります。もちろん、修行者の人々は、日頃から瞑想しているため、その「心の状態」に入りやすくなっていて、深い智慧に触れることができたのですが、それに近い感覚は、修行僧ではないわたしたちでも、少なからず体験したことがあるのではないでしょうか。
最初は型通りにおこなう
そうした状態にあれること。それを目指すのが言わば瞑想です。そうなるためには、最初は型通りにおこなうのが一番早く身に着く方法です。慣れてきたら、色々な方法を試してみることをお勧めします。