木花咲耶姫(このはなさくやひめ)をお調べになっている方へ。
「木花咲耶姫」は、日本の神話の世界に出て来る絶世の美女です。縁結びの神様としてご存じの方もいらっしゃると思います。「古事記」や「日本書紀」という日本の史書のなかに出て来る有名なお姫様ですが、数奇な運命をたどります。
本記事では、コノハナサクヤヒメについて分かりやすく解説いたします。
①木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は愛の女神様です
「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)は、「古事記」や「日本書紀」に出て来るお姫様です。とても美しいお姿のお姫さまでしたので邇邇芸命(ににぎのみこと)が、すぐに恋に落ちてしまいました。
「さくら」のイメージは、美しく華麗な花です。宝塚歌劇団に、木花咲耶(このはなさくや)という芸名の女優さんがいました。また、最近の朝ドラ「まんぷく」でも、ヒロイン役の安藤サクラさんも「さくら」の名の通り、日本全国に明るい元気の良いイメージを広げてくれました。「さくら」の花の持つ華やかな運命の力は計り知れません。
【万葉集のさくらの花の歌】
万葉集でも、「さくらの花」の歌があります。大伴家持(おおとものやかもち)の歌を一首ご紹介いたします。
あしひきの山桜花(やまさくらばな)、一目だに、君とし見れば、我(あ)れ恋ひめやも
現代語訳:美しく咲きほこる山の桜、あなたと一緒に一目だけでも見ることができたら、こんなに思い焦がれることもないだろうに(このように美しく山の桜が咲いているのに、あなたに会えないのはとても辛い)
【木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の生まれ】
「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)は、地の神々である国津神(くにつかみ)の首長の大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘です。木花(このはな)というのは、「桜の花」のことです。「木花咲耶姫」の意味は「桜の花の咲くように咲き栄える女性」ということを表わしています。
桜は神の木です。彼女は神々しく桜の花のように美しく絶世の美女だと言われています。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)と結婚しましたが、身ごもった子どものことで、邇邇芸命(ににぎのみこと)に疑いをもたれてしまいました。たった一度、夜をいっしょにすごしただけで妊娠したからです。そのために、壮絶なお産をして身の潔白を証明します。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、愛情にあふれた優しい女神様ですが、同時に不倫の疑念を晴らすために、燃えさかる火の中でお産をするという激しさを併せ持つ女神様です。(⑥の出産の時の壮絶なエピソードに詳しくご説明いたします)
②運命の男神の邇邇芸命(ににぎのみこと)の登場
邇邇芸命(ににぎのみこと)が、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と出会うまでには、たくさんの歴史的な出来事がありました。
【日本の始まり】
日本の始まりの時期の地上の世界は、「古事記」によれば、イザナギとイザナミが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や須佐之男命(すさのおのみこと)、月読命(つくよみのみこと)は、イザナギから生まれています。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の夫となる邇邇芸命(ににぎのみこと)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたります。イザナギの命令で最初に地上を目指したのは天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟である須佐之男命(すさのおのみこと)でした。
【下界の統治をめざす須佐之男命(すさのおのみこと)】
イザナギは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に高天原の統治を命じました。暴れん坊で有名な須佐之男命(すさのおのみこと)は、姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)から、下界の平定を任されました。出雲の地に降り立った須佐之男命(すさのおのみこと)は、ヤマタノオロチを退治し、草なぎの剣を手に入れ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に献上しました。
【須佐之男命の子孫の大国主命により平定が終わる】
須佐之男命(すさのおのみこと)は、出雲のクシナダヒメと結婚しました。その6代目の子孫が、大国主命(おおくにぬしのみこと)です。大国主命は、根気よく出雲の国を平定しました。その出雲の国の一帯は、「葦原の中つ国」(あしわらのなかつくに)と言われていました。天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)に地上の国を差し出すように命じました。大国主命は、長年かかって苦労して平定した「葦原の中つ国」(あしわらのなかつくに)を差し出すことにしました。
③邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に降りることに(天孫降臨)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、自分の子供の天忍穂耳尊(あめのほしほみみのみこと)に地上を治めるように命じました。しかし、地上はまだまだ、荒くれ者の神々が暴れているところがありました。これは、命がいくらあっても足りません。そこで、この仕事を子どもの邇邇芸命(ににぎのみこと)に任せることを天照大御神(あまてらすおおみかみ)に言いました。
【邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に向かう】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)に命令下しました。邇邇芸命(ににぎのみこと)は、「葦原の中つ国」(あしわらのなかつくに)を治めるために地上に向かいました。その時、邇邇芸命(ににぎのみこと)が持って行ったのが、三種の神器でした。
【三種の神器】
直系の天孫を証明する三種類の道具のことです。
- ⑴八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
- ⑵八尺鏡(やたのかがみ)
- ⑶天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)または、草那芸剣(くさなぎのつるぎ)
【猿田毘古神(さるたびこのかみ)の出迎え】
この時、地上から猿田毘古神(さるたびこのかみ)という勇猛果敢な巨漢の神様が出てきました。道をふさごうとでもしているようでした。それに気が付いた天鈿女命(あめのうずめのみこと)が猿田毘古神の前に出ました。天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、とてもおおらかな女性の神様です。笑いながら、「そこで何をしているのか?」と問いかけました。驚いた猿田毘古神は、「私は、邇邇芸命(ににぎのみこと)の先導をしたくて迎えに来たのだ」と言いました。邇邇芸命(ににぎのみこと)たちは、途中の妨害を受けず、無事に地上に降り立ちました。降り立ったところが、日向(ひゅうが)の高千穂峰というところでした。このことを「天孫降臨」(てんそんこうりん)と言います。天孫降臨の正確な場所については、2つの説があります。ひとつは、九州南部、霧島連峰にある高千穂峰です。もうひとつは、宮崎県高千穂町です。高千穂町の天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)には、天照大御神が隠れていた「天岩戸」と伝わる洞窟があります。
④木花咲耶姫と邇邇芸命の出会い
地上に降り立った邇邇芸命(ににぎのみこと)は、笠沙(かささ)の岬という景色の美しい所に着きました。そこに御殿を建て住むことに決めました。ある日のこと、その岬に美しい木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が現れました。邇邇芸命が、お尋ねになると、
「私は大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘です。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と申します」と答えました。
「わしはお前を嫁にもらいたいが、どうだ?」
「それは父の大山津見神(おおやまつみのかみ)にお聞きください」
邇邇芸命(ににぎのみこと)は、早速お嫁にもらいたいと大山津見神(おおやまつみのかみ)に結婚を申し込みました。大山津見神(おおやまつみのかみ)は、大変喜びました。
「私の娘を尊い方に嫁がせることができるのはなんと嬉しいことでしょう」
すぐに結婚は成立しました。そして立派な婚礼が執り行われました。
⑤不運な石長比売(いわながひめ)
大山津見神(おおやまつみのかみ)は、娘の結婚を喜びました。そして、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と姉の石長比売(いわながひめ)を同時に、邇邇芸命(ににぎのみこと)に差し出しました。ところが、石長比売(いわながひめ)は、あまり美しくなかったので、返されてしまいました。邇邇芸命(ににぎのみこと)は、女性の表面の美しさしか目に入らなかったのでしょうか。邇邇芸命(ににぎのみこと)は、男の神様としては性格的に褒められないところがあるようです。
【石長比売(いわながひめ)の意味】
大山津見神(おおやまつみ)は、恥じ入って、「私が木花咲耶姫に、わざわざ石長比売(いわながひめ)を付き添いにつけましたのは、理由があるのです」と言いました。その理由とは、姉の石長比売(いわながひめ)には、長寿の願いが込められていました。それが、返されたために天孫の寿命が短くなることになってしまいました。
⑥木花咲耶姫の出産時の壮絶なエピソード
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、一夜で身ごもりました。ところが、それを怪しんだ邇邇芸命(ににぎのみこと)は、国津神の子どもではないかと疑いました。確かに一夜で身ごもるのは、神の世界でもあまりない事なのでしょう。邇邇芸命(ににぎのみこと)は、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の不貞を疑ったのでした。
【怒る木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は誓約(うけい)をする】
誓約(うけい)というのは、真実を証明するための占いの言葉です。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、「もし私たちの子どもでなかったなら、決して無事にはお産はできません。その証明には、どのような状況であっても、必ず無事に生まれます」と言いました。
【火事の中でのお産】
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、身の潔白を証明するために、お産のための家を建てました。しかし、この家には出口がありません。その中に入ると、お産の準備をしました。お産が始まると、なんと家に火をかけました。お産は、燃えさかる家の中で行われました。
火は燃え広がって、どんどん炎が上がっている時に生まれたのが、「火照命」(ほてりのみこと)です。次に生まれたのが、「火須勢理命」(ほすせりのみこと)です。最後が、「火遠理命」(ほおりのみこと)です。こうして、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、三人の子どもが無事に生まれたことで、邇邇芸命(ににぎのみこと)との子どもであることを証明しました。
⑦木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の孫は神武天皇
兄の「火照命」(ほてりのみこと)は、海で漁をするのが大変得意でした。そこで「海幸彦」と呼ばれました。弟の「火遠理命」(ほおりのみこと)は、山で漁をするのが大変得意でした。そこで、「山幸彦」と呼ばれました。ある日、兄弟の道具を交換して、それぞれ不得意の漁をしますが、全く獲れませんでした。そこで、また道具をもとにもどすことになりました。ところが、弟の山幸彦は、海に出た時に、大事な釣り針をなくしてしまっていたのです。兄の海幸彦は怒って、探して来いと言いました。
【海の神さまの所へ行く】
山幸彦は、釣り針を探して海の神さまの所へ行きました。そこで、美しい豊玉姫(とよたまひめ)に出会いました。二人は結婚し3年が過ぎました。山幸彦は兄との約束を思い出し、失くした「釣り針」と霊力のある玉を二つ貰い地上にもどりました。兄は釣り針が戻りましたが、弟を許さず虐めました。そこで、山幸彦は霊力の玉を使い、兄を懲らしめ忠誠を誓わせました。山幸彦と結婚した豊玉姫(とよたまひめ)は、子どもを生みました。それが鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)です。そして、その子が神武天皇(じんむてんのう)になります。
⑧木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀った神社
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀った神社は日本全国にあります。これらの神社は、木花咲耶姫が、火事の中でも丈夫な子どもを産んだことから、火の神として祀られています。ただし、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、水の神として噴火を静めるために祀られています。また、妻の守護神、安産の神、子育ての神、酒の神として信仰を集めています。
【全国の木花咲耶姫を祀った神社】
- 磐椅神社(いわはしじんじゃ)・・・福島県
- 箱根神社(はこねじんじゃ)・・・神奈川県
- 稲毛浅間神社(いなげせんげんじんじゃ)・・・千葉県
- 多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)・・・東京都
- 富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)・・・静岡県
- 静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)・・・静岡県
- 子安神社(こやすじんじゃ)・・・三重県伊勢市
- 木花神社(このはなじんじゃ)・・・宮崎県
- 高千穂神社(たかちほじんじゃ)・・・宮崎県
- 霧島神宮(きりしまじんぐう)・・・鹿児島県
- 新田神社(にったじんじゃ)・・・鹿児島県
- 大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)・・・愛媛県
- 縣神社(あがたじんじゃ)・・・京都府
- 櫻井子安神社(さくらいこやすじんじゃ)・・・千葉県
これから、赤ちゃんをお産みになる女性の方がいらっしゃれば、是非お参りをして頂きたいと思います。きっと木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の力で安産となるでしょう。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の花は、さくらの花です。咲くのも豪華ですが、散りゆくのも華麗な姿です。そして、山桜は、ソメイヨシノとは違い、花と赤い葉が同時に出るのです。山桜が咲くと桜の花と葉の色のグラデーションが見事なのです。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)のイメージもこの山桜であったろうと思います。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、恋と妊娠とお産という女性にとって、大切な事柄にそれぞれに事件が起きました。そのたびに心が乱れたのではないでしょうか。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、女性の生き方を象徴している女神と言えるでしょう。日頃からもっと親しくしても良い神様だと思います。
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の要点は
- 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は愛の女神様です
- 運命の男神の邇邇芸命(ににぎのみこと)の登場
- 邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に降りることに(天孫降臨)
- 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)との出会い
- 不運な石長比売(いわながひめ)
- 出産の時の壮絶なエピソード
- 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の孫は神武天皇
- 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀った神社
ということでした。以上、最後までご覧いただき、有難うございました。