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カルマの法則とは?恋愛・離婚・中絶・悪口・病気などに関係が?

カルマの法則とは?恋愛・離婚・中絶・悪口・病気などに関係が?カルマの法則とは何か?を調べておられる方へ。

恋愛・離婚・中絶・悪口・病気などに悩んでいませんか。それらの様々な問題の原因が前世の業(カルマ)のせいだとしたら、いったいどうしたら良いのでしょうか。

カルマとはどのようなものなのでしょう。本記事では、カルマの法則を理解して、様々な問題から逃れる手助けとなるべく考えていきたいと思います。。

カルマの法則とは「因果応報」

カルマの法則とは、簡単に言うと「因果応報」です。 

カルマはサンスクリット語です。その意味は、「行動」です。生前に、善い行いをしていれば、生まれ変わった人生では良い結果が得られるという考え方です。

カルマの法則の歴史

ブッダこのカルマの思想は、シャカムニ・ブッダの死後、弟子たちがブッダの教えをアーガマ(阿含または阿含経)にまとめました。その後、アーガマの研究がすすみ、4~5世紀に成立した「アビダルマ・コーシャ・バーシャ」という仏教論書ができました。仏教はインドから中国に伝わり、玄奘(602-664)により漢訳されて「阿毘達磨俱舎諭」(あびだつまくしゃろん)となりました。カルマは、「業」と訳されました。 

仏教が日本に入ってきて、この「業」による因果応報の思想は、歴史的にも私たちの生活に深く浸透してきました。「自業自得」とか、「業突く張り」や「業が深い」など日常生活に「業」の考えは密着してきました。

悪い事をしてはいけないという教え「五戒」

カルマの法則による因果応報は、時間の流れを超越しています。カルマの法則が、途中で途絶えることはありません。「自分で蒔いた種は、必ず自分で刈り取らなければならない」という事象が続くのです。 

お釈迦様は、そういう悩みを解決するために、五戒という戒めを私たちに教えています。

  • ⑴不殺生戒(ふせっしょうかい) 殺さない事
  • ⑵不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗まない事
  • ⑶不邪淫戒(ふじゃいんかい) 不倫・浮気などをしない事
  • ⑷不妄語戒(ふもうごかい)   嘘をつかない事
  • ⑸不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲まない事

これは、「悪い事をしてはいけない」という教えです。そういう悪いことをすると生まれ変わった時に、悪い結果がでますよという戒めとなっています。反対に、良い事をすれば、良い結果が得られると言うことです。 

カルマの法則では、運命的に誰と恋愛関係になるか決まっている

私たちは、恋とか愛という言葉を聞くとロマンティックな印象を持ちますが、なぜ特定の人を好きになってしまうのかについては、あまり考えません。恋愛関係は、自由な選択の中から生まれるものです。「好み」や「相性」が合えば、つきあっても良いという気楽な気持ちがあるからかもしれません。 

しかし、カルマの法則によれば、人間の「好み」は、カルマによって決められています。そして、人との結びつきは、カルマの法則による必然的な結びつきとなっているのです。

恋愛関係は自由で偶然の出会いから始まるとされていますが、実は、カルマの法則の面から言うと、運命的に誰と恋愛関係になるか決まっているのです。悪いカルマを持った女性が恋愛関係を持つと、恋人や夫から裏切られたり、捨てられたりすることが起きてしまうのです。 

前世での悪いカルマの例

前世での悪いカルマとはどんなものでしょう。

例えば、外見が美しく、努力しなくても多くの男性からもてた女性が、真剣に相手を愛すことをせず、享楽的に次から次へと男性遍歴を繰り返し、読み飽きた雑誌を捨てていくように男性を扱った場合、次の人生で彼女は、愛の重さを学ばねばなりません。 

彼女は、次の人生では、浮気性の男性を好きになります。初めは真面目そうに見えた男性でも、結婚してしばらくすると、彼は浮気性の性格が出てきます。彼は他の女性と浮気をします。悲しさから彼女は離婚をします。彼女に次の男性が現れます。彼は元の彼よりも誠実そうに見えました。今度こそ、幸せになると信じていたのですが、運命のイタズラなのでしょうか、今度も彼は他の女性と浮気をしてしまうのです。彼女に何か欠点があったのでしょうか。いいえ、そうではありません。これがカルマの法則なのです。

中国の歴史に残る、史上最悪のカルマを作った女性たち

史上最悪のカルマを作った人々と言うと、中国の歴史の中にそれを見ることができます。有名な悪女とされた人たちは、呂后、則天武后、妲己などに加えて西太妃、毛沢東夫人の江青も大悪女とされています。その理由は、彼女たちは国家を存亡の危機に陥れた罪に加えて、残虐な行為があったからです。 

とりわけ、呂后と則天武后は、残虐性において他に例を見ることができません。

残虐な復讐を行った、呂后の最悪のカルマ

呂后は、漢の劉邦の妻でした。劉邦が地方の身分の低い役人であったころから漢の皇帝になるまで、献身的に尽くした良妻賢母でした。劉邦は、豪胆な気性から人に好かれるタイプでした。難点と言えば、酒と女が大好きだったことです。それでも彼を支え、二人の子どもを育てました。 

ところが、劉邦は皇帝になっても酒と女に溺れる悪い癖は直りませんでした。若い美人の側室、戚婦人を特別に寵愛し、呂后の怒りを買いました。戚婦人は、自分の子どもを太子にしてほしいと言い出しました。これには呂后も黙っていられませんでした。

劉邦が亡くなると、皇帝の求愛を受けていた側室の戚夫人の息子を毒殺し、さらに戚夫人の手足を切り落とし、両目をえぐるなど、残虐な復讐を行いました。 

自分の娘を犠牲にして皇后になった則天武后の最悪のカルマ

則天武后則天武后の生い立ちは、武という名家に生まれ、照と名付けられました。小さい時からとても聡明であったので、唐の太宗の後宮に入りました。太宗は、彼女の美しさと聡明さを気に入りました。ところが、彼女の聡明さがあまりにもずば抜けているので、周りの人々から恐れられ、悪い噂を流されました。そのため太宗は彼女を遠ざけてしまいました。身の危険を感じた彼女は、太宗の息子に近づきました。そして、太宗の子、高宗の寵愛を受けることに成功しました。

しかし、高宗には正式の皇后の王氏がいました。そして側室に簫淑妃(しょうしゅくひ)という美しい女性がいました。王氏は、簫淑妃を遠ざけるためには、武照をそばに置いて、高宗の関心を引き付けることにしました。それは成功したのですが、今度は高宗が武照だけを愛するようになったので、王氏と武照は、表面的には平安を保っても、心の中では憎しみ合うことになりました。

そうかといって武照は、側室の身分ですので、皇后の王氏にかなうはずはありません。そこで、なんとか皇后の王氏を滅ぼすことを考えたのです。

武照の策略は、なんと自分の娘を犠牲にしたのです。皇后の王氏が武照の部屋に立ち寄った時、武照の娘は部屋で寝ていました。王氏が部屋を出た後、武照は娘を殺してしまいます。

そして、「私の娘が殺された。王氏の仕業だ」と大声で叫んだのです。こうして王氏を罪に陥れ、さらに皇后の座を勝ち取りましたが、それだけではすみませんでした。かつての皇后の王氏とライバルであった簫淑妃の四肢を切断し、酒壺に投げ込みました。

悪いカルマが消えないと、幸せな人生を歩めない

自分勝手に生きた人や、傲慢な生き方をした人、残虐な行為をした人などは、現在の人生では、過去の人生と全く違う環境の中で生きることになります。このような悪いカルマが消えないと、幸せな人生を歩むことは難しいのです。

③離婚してしまう人には、どんなカルマが?

離婚の原因について、一番多いのが「性格の不一致」と言われています。これはとても便利な言葉で、全ての事にあてはまります。しかし、男性と女性が完全に性格が一致することがあるでしょうか。

冷静に考えれば、生まれも育ちも全く違う男性と女性が出会って、性格が一致するはずがありません。かえって性格が違う方がうまくいくのではないでしょうか。それでは結婚がうまくいかない原因は何なのでしょうか。

恋愛結婚とお見合い結婚を比べると、離婚率は恋愛結婚の方が多いと言われています。恋愛結婚の恋愛感情は一時的ですが、お見合い結婚の場合は、愛が着実に時間をかけてはぐくまれていくと考えられているからです。

一般的には、離婚原因は些細なことから始まり、感情的にこじれてしまい、お互いに歩み寄りができなくなってしまったということですが、カルマの法則の面からみれば、出会いによって恋愛が始まり、結婚し、離婚に至る結果を自ら招いているのです。

前世においてどんなことがあったのでしょうか。

離婚に至ってしまったカルマの例

  • ⑴前世で夫から愛されない生活が長く続き、恨みを残して死んだ女性は、夫に対する恨みが消えません。それが悪いカルマとなります。
  • ⑵前世で浮気性の男性に騙されては捨てられ愛を信じられなくなった女性は、どの男性と出会っても不信感が消えません。次の人生でもその不信感がカルマとして残ってしまうと、男性に対する強い疑いの信念は、いつしか事実になってしまいます。
  • ⑶裏切られるのが怖くて複数の男性にもてないと気が済まない人も極度の不安がカルマに残ってしまうと、男性を心の底から愛することができなくなります。

その他、いろいろな悪いカルマを作る原因は数限りなくあります。

  • ⑷性的要求が強く理性を押さえられず夫婦関係に不満を持った人。
  • ⑸夫婦関係のセックスに苦痛を感じてしまった人。
  • ⑹夫婦関係に飽きがきて、夫の面倒を見るのが嫌になった人。
  • ⑺夫のわがままを許すことができず、別れてしまった人。
  • ⑻恋愛相手を振って、金持ちの男性に嫁いだ人。
  • ⑼性的な魅力で男をだましては金品を取り上げた人。
  • ⑽金持ちの年老いた男性と結婚して老後は贅沢をした人。
  • ⑾戦乱で生きるために娼婦になり男性に嫌悪感を持った人。
  • ⑿手段を選ばず好きな男性を手に入れようとした人。

思いやりを持てば、離婚の運命から逃れることができる

愛に苦しむカルマと同様に、そのカルマを最小限に抑えるためには、怒りや不安があっても、それを抑えて意識的に人に対する思いやりを持つように心がけることができれば、離婚の運命から逃れることができます。

④中絶とカルマの関係

結婚して妊娠するのはおめでたいと考えるのが一般的です。それは愛の結晶です。新しい生命だからです。ところが、夫婦間のいろいろな事情で、中絶しなければならない悲しいこともあります。

この場合、中絶を「新しい生命を絶つ」という意味でとらえるか、夫婦間の避けられない事情による緊急避難的措置と考えるかで意識は違ってきます。法律的には、中絶は一定条件のもとに許されています。中絶したからと言って、殺人罪に問われることはありません。

しかし、道義的に新しい生命を絶つことでとらえれば、意識の上では夫も妻も殺人の罪を負うことになります。ところが、やむを得ない理由で中絶した場合でも殺人という罪の意識を負わなければならないのでしょうか。

水子供養

水子地蔵昔は中絶した子どもを「水子」(みずこ)と言いました。亡くなった胎児を海に流したことでその呼び名に由来があります。江戸時代には、飢饉などで貧困から堕胎や間引きによって嬰児殺しが農村を中心に行われました。お寺では、そうした水子を葬る墓があり、水子塚と呼ばれました。また水子供養といって、そうした水子の法要をする習慣も生まれました。

中絶の悲しみから出られないのも悪いカルマ

もし、中絶したことを悔やんで悲しみから出られないとしたら、それも悪いカルマとなります。水子供養もひとつの方法です。あるいは、亡くなった子どもに対する愛情を他の子どもに対してかけてあげることは、とても重要です。愛を自分から放出することによって、心が幸せな気分で満たされます。

中絶は「不垢不浄」

般若心経の経文の中に、「不垢不浄」という言葉が出てきます。物事は汚くもなく清くもないという意味です。簡単に言うと、悪くもないし良くもないと言う意味にも取れます。中絶が、悪いとも言えるし、そうとも言えないと解釈できるのです。

中絶されてもひとつの人生を生きた新生児の魂のカルマ

実は、カルマの世界で言えば、初めから中絶の運命を負った魂は決まっているのです。胎児は外の世界に出ることはありませんが、輪廻転生には変わりません。妊娠して数か月の運命ですが、生命としての役割を果たしているのです。その魂は、中絶されてもひとつの人生を生きたのです。それが新生児の魂のカルマなのです

新生児にとって、両親の愛を受けずに短い一生を終えてしまいますが、その新生児に入り込んだ魂は、前世のカルマによって、短い一生でしか生まれ変わることができないという運命を持っていたからです。

⑤悪口のカルマ

悪口を言い続ける人がいます。悪口を言われれば、気持ちの良いものではありません。とても腹が立つことです。悪口を言う相手に文句を言っても聞き入れません。ますますエスカレートして悪口はいっそう激しくなるばかりです。

悪口を言い続けるカルマを持つ人を見ると、どんな幸せな状況にいても満足できないようです。そして他人のことは全く考えない「自己中心的な性格」を持っています。この人たちにはどんなカルマがあるのでしょう。

不満と憎悪、妬みや嫉妬で溢れている餓鬼

餓鬼こういう自己中心的な人は、どんなに物を与えられても精神的に満足できないという性格の人です。前世においては、そうとう苦しみぬいた生活を強いられたという人生です。そのため、心の中は不満と憎悪、妬みや嫉妬などで溢れています。

仏教的には、このような者を「餓鬼」と言います。餓鬼は常に飢えと渇きに苦しんでいます。どんなに食物や飲み物を与えても満たされることがありません。

餓鬼の種類は多く36種類あると言います。現代でも私たちの周りにいそうな餓鬼の種類を挙げておきます。

  • ⑴針口餓鬼(しんこうがき) 欲張りな心を持つために困っている人に物を与えない。
  • ⑵食吐餓鬼(じきとがき) 自分だけ美味しいものを食べる人。
  • ⑶無食餓鬼(むじきがき) 自分の権力をふりかざし、罪のない人を牢獄に押し込める人。
  • ⑷食毒餓鬼(じきどくがき) 財産を奪うために毒殺した人。

餓鬼と出会ったお釈迦様の逸話

お釈迦様の逸話の中で、そのような満足できない人との話が残っています。そのお話とは、お釈迦様がいつものように下界をお歩きになり、困った人を助けておいでになっていた時のことです。

炎天下に骨と皮だけの痩せこけた体の人が、道端で倒れて苦しんでいました。口からは、苦しそうにハアハアと息をして泡を吹いているではありませんか。お釈迦様はお声をおかけになりました。

「どうしたのですか」とお尋ねになると、その人は言いました。

「私は何も食べていないのです。お腹が空いてたまらないのです。何か食べさせてください」と言うではありませんか。

お釈迦様は、蓮華の花を摘み取り、それを美味しそうな食べ物に変えました。それをその人にあげると、「ああ、こんな美味しいものは食べたことがない。もっとください」と言います。

お釈迦様は、お花を摘んでは食べ物に変えていきましたが、その人は満足しません。とうとうお釈迦様のまわりには一本もお花が無くなってしまいました。あたりは暗く寂しい世界になってしまいました。それでもますます「もっとくれ、お腹が空いてたまらない」と言い続けています。

お釈迦様は、自らの手を差し出して、「これを食べなさい」と言いました。

その人は、お釈迦様の手を食べながら、「なんと美味しいものなのだ。命が長くなった気がする。もっとくれ」と言い続けました。

お釈迦様は、その人に言いました。「これ以上何を食べてもあなたは満足しないでしょう。あなたにふさわしい世界にあなたを連れて行ってあげましょう」と言って、その人を地獄の餓鬼道というところに連れて行きました。

そこは、その人と同じような人がたくさんいて、「よく来たな。こっちへ来い。美味いものがあるぞ」と招くではありませんか。普通の人がそれを見たらとても美味しそうな食べ物には見えませんが、彼らがガツガツと食べ物にかぶりついた様を見ると、「本当に美味しいそうだ」と思えるのでした。

その人は喜んで、お釈迦様に言いました。「わたしの望んでいるのはこういう世界です」と言って、その群れのなかに飛び込んでいきました。彼らは、食べ物に群がるハゲタカのように先を争って獲物に食いついていました。その人ももはや人間の姿ではなく、黒く汚い毛におおわれた恐ろしい獣となり嬉々として、食べ物に群がっていくのでした。

⑥病気のカルマ

生まれながらにして、難病で苦しんでいる人がいます。それは何かカルマと関係があるのでしょうか。安易な考え方から、前世からの因果応報で報いを受けているのだということを言う人もいるでしょう。

例えば、ある人が前世で他人に虐待を与えた人とか、殺人をした人が、生まれ変わった時に難病を持って生まれた胎児に入って行くと考えることは、あまりにも短絡的です。カルマの法則は、そのような懲罰的な意味を持っているわけではありません。

逆に精神的に強いカルマを持った人が、難病の方に生まれ変わったと言えるでしょう。その方たちは、難病と闘う強い人生観を持っておられます。

病気は、難病であればあるほど原因を究明することは難しいのです。現在の医学でもってもわからない病気はたくさんあります。だからといって安易にカルマでもって間違った認識を持つことは、病気を治すことにはつながりません。

難病になったが数々の成果をあげた科学者、スティーヴン・ホーキング博士

スティーヴン・ホーキングイギリスの有名な科学者で、スティーヴン・ホーキング博士と言う人がいます。彼は、「車いすの物理学者」として知られています。学生時代に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症しました。発症すると5年ぐらいで死に至る病であると考えられていましたが、彼の場合は発症から50年以上も生き続けました。その間、ずっと研究を続け数々の成果をあげました。晩年は意思伝達のために音声装置を使って、コンピュータプログラムの合成音声によりスピーチや会話をすることができました。

彼は病気になったことで最初は大変苦しみました。しかし、彼は病気に悩むことを止めました。「自分ほど幸せなものはいない。なぜなら考えることができるからだ。自分の頭の中には広大な宇宙がひろがり、いろいろな科学的な研究ができる。これほど自由なことはない」と考えました。

彼が印象的に語ったことは、宇宙の始まりはビッグ・バンだということです。ビッグ・バンが起きたのは、138億年前です。目にも見えないミクロよりもっと小さい点から始まりました。その爆発は、数秒後には広大な宇宙となったのです。その宇宙は現在でも高速で広がっています。私たちの見ている夜空に輝く銀河の光は、138億年前の星の光なのです。

現在の科学で宇宙はビッグ・バンによって作られたことは誰も知っています。すると神が宇宙を創造したというのは誤りなのでしょうか、聖書の話はおとぎ話や作り話なのでしょうか。それとも神と言う存在は、宇宙を超える存在なのでしょうか。宇宙が作られる前の世界とは、どんな世界なのでしょう。神はどのような存在なのでしょう。

たとえ筋萎縮性側索硬化症(ALS)であっても、このように広大なことを考えられるスティーヴン・ホーキング博士は偉大だと思わざるを得ません。報いを受けてこの世に生まれてきた魂とは到底思えません。

 

最後に

誰でもカルマを持って生きています。カルマは始まりもなく、終わりもありません。カルマは無限なのです。カルマのひとつひとつが、新しい生命を生み出す力を持っているのです。良いカルマ、悪いカルマを合わせて持っていることもあります。

例えば、戦争などの場合、敵の人間を殺さなければなりません。同時に戦友や家族の命を救うことにもなります。どちらのカルマが優先されるか、答えは明白です。その人にとって、殺人は本意ではありません。次の人生で好ましくない状況に生まれ変わることはありません。

私たちは精神的にどれほど高く成長したか、あるいは、どれほど高い実践を行ったかによって、次の生命を選ぶことができます。悪いカルマを持っているからと言って、悲観することはありません。どこに生まれようと、どんなハンディキャップをもって生まれようと、今の人生を生き抜くことしかありません。どんな不幸な状況にあっても、生き抜く力を私たちは自然に持っているのです。