「最後の審判」について知りたい方へ。
キリスト教徒ではない人でも、「最後の審判」という言葉を聞いたことがある人は、多いのではないでしょうか。上に引用した絵画、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた壁画である壮大なフレスコ画(絵画技法)を思い浮かべる人もいるかもしれませんね。この世の終末の後に訪れる最後の審判とは、どのようなものなのでしょうか。
本記事では、「最後の審判」とは何か?について、その意味を分かりやすく簡単に解説いたします。
最後の審判とは
神あるいは、神的な存在が、生前の人間の思い、言葉、行ないを裁く事を「審判」と言います。そして、その審判が世界の終末に全人類に対して行われる事を「最後の審判」と言います。
それぞれの宗教の教義によって細かい部分に違いがありますが、「最後の審判」で起きる出来事自体はだいたい似通っており、共通点が多くあります。
ユダヤ教における「最後の審判」
ではまず、キリスト教の土台となったユダヤ教における「最後の審判」がどのようなものか、解説していきましょう。
ユダヤ教では「ヤハウェの日」
ユダヤ教には「主の日」、もしくは「ヤハウェ(エホバ)の日」というものがあるとされています。「ヤハウェ」とはユダヤ教、キリスト教、イスラム教で信仰されている唯一絶対の神のことです。
ヤハウェの日になると、神は救世主を地上へと遣わし、神の王国を築く準備をさせるといいます。その後は、神が直接人間の歴史に介入し、ユダヤ民族を含む地球上のすべての民族を裁いた後、地上に神の国を作るといわれているのです。
神が裁きを行う
神が、地上に天国を作り上げたその時、善人は永遠の命を授けられ、天国となった地上で生き続けることになりますが、悪人は永遠の滅びに落とされるといいます。
キリスト教の「最後の審判」
ユダヤ教を土台として誕生したキリスト教にも、もちろん「最後の審判」の世界観は受け継がれています。
イエスが裁きを行う
神は、神の子イエスを地上へと遣わし、最後の審判の時に裁きを行う権威をイエスに与えました。そして、世界が終末を迎えるその時に、イエスが復活し、あらゆる死者を蘇らせるといいます。
最後の審判での復活に備える
ちなみに、キリスト教やイスラム教で死者が土葬されるのは、この最後の審判の時の復活に備えるためです。土葬で遺体が形を留めているのならともかく、火葬して灰になってしまうと、神の力でもさすがに復活させられないということでしょうか。
善人は永遠の命を与えられる
最期の審判の日に蘇った死者はすべて裁きを受け、善人は永遠の命を与えられて神の国(天国)へ立ち入ることを許され、悪人は地獄へと落とされることになります。
いのちの書
この世には「いのちの書」というものがあり、この地上に誕生したすべての人の名前が記されているといいます。ですが、罪を犯したまま死んだ人の名前は、いのちの書から消し去られてしまいます。罪人の裁きは、この、いのちの書から名前が消されていることを確認した後、下されるということです。
使命をきちんと果たしたかが重要
なお、善人、悪人を分ける基準は、単に善行を積んだかどうかではなく、どれだけ神の意志に沿う生き方をしたかという部分が、重要となるようです。分かりやすく言うと、生きている間に地上できちんと使命を果たしたかどうかが重要というところでしょう。
イスラム教の最後の審判
ユダヤ教、キリスト教の後に生まれたイスラム教にも、もちろん最後の審判があります。
天変地異が起きる
世界の終末に最後の審判が行われるのは、ユダヤ教、キリスト教と共通しています。イスラム教において最後の審判を迎える時には、あらゆる天変地異が起き、人心が乱れ、殺人などのあらゆる犯罪が増えるといわれています。
善行と悪行を記したノート
そして訪れた最後の審判の日に、今まで地上で生を受けたあらゆる人々が復活します。復活した死者は、生前に行った善行と悪行を記したノートを首から下げているといいます。
悪行を積んでいると地獄行きになる
復活した死者たちは、ノートを首から下げたまま橋を渡るのですが、もし善行よりも悪行をたくさん積んでいる場合、ノートの重さで橋から落ちてしまい、地獄行きになってしまうといいます。
悪行の埋め合わせ
余談ですが、イスラム圏を旅行する際、現地の人がやたらと親切にしてくれることがあります。これは、イスラムの教えで旅人に親切にすることを奨励しているためもあるのですが、その日に犯してしまったちょっとした悪行の埋め合わせのため、親切にしてくれている場合があります。
最後の審判の起源はゾロアスター教
「最後の審判」の起源となったのは、古代ペルシア発祥のゾロアスター教だといわれています。
ゾロアスター教の主神は光の神
ゾロアスター教の主神は「アフラ・マズダ」と呼ばれる光の神です。ゾロアスター教には、光の象徴のひとつである火を拝む習慣があるため、「拝火教」と呼ばれることもあります。
悪心アンリ・マンユ
「アフラ・マズダ」と対極の存在とされているのが、悪神「アンリ・マンユ(アーリマン)」です。アンリ・マンユは、この世界が始まる前にアフラ・マズダとの戦いに敗れ、闇へ堕とされたといいます。
戦いの後に最後の審判の日が訪れる
ですが、アンリ・マンユは徐々に勢力を取り戻し、再びアフラ・マズダと戦うことになるとされています。最終的にはアフラ・マズダが勝利するのですが、その後、最後の審判が行われるといいます。
天から彗星が落ちてくる
最後の審判が行われるその時には、今まで地上に生を受けた人々がすべて蘇るといいます。そして、天から彗星が落ちてきて、世界中のすべての鉱物が溶け、復活した死者たちを呑み込んでしまうといいます。
悪人はもがき苦しむ
たとえ彗星が落ちてきても、善人は痛みをまったく感じることがないそうです。逆に、悪人は苦痛でもがき苦しむといわれています。ですが最終的には、すべての罪が浄化され、全員が理想の世界に生まれ変わるといいます。
最後に
「最後の審判」について、少しでも理解を深めることができたでしょうか?
復活の日に裁きを受け、結果によっては地獄に落とされてしまうというのは、少し恐ろしいですね。
地獄に落とされるのはあくまでも、悪行を積んだ人だけとされています。己に恥じない生き方をしていれば、きっと天の国に入ることができるのではないでしょうか。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。