仏教における「餓鬼道」の意味が知りたい方へ。
「餓鬼道」は、死後の世界「六道」の内のひとつです。「餓鬼」というと「ガキ大将」とかいう言葉を連想しますが、いったいどんな世界なのでしょう。
本記事では餓鬼道とは何か?分かりやすく解説します。
①「餓鬼道」とは、亡者の世界です
「餓鬼道」とは、生前強欲で物おしみしたり、いくら食べても飽き足らず、食べ物をむさぼり食ったり、嫉妬心が強く他人のことを羨んでねたんだりした者が、死後生まれ変わった時に行く世界のことです。
そこに堕ちると、ガリガリにやせ細った亡者となり、常に空腹でのどが渇き、食べ物や飲み物を手にすると、たちまちそれらが火に変わるという決して満たされない飢えと渇きにもがき苦しむ世界です。
場所は、須弥山世界の瞻部(せんぶ)州の地下約7千キロメートルの深さのところにあります。
②餓鬼の3つの種類「無財餓鬼」「少財餓鬼」「多財餓鬼」
衆賢の著作とされる仏教論書「阿毘達磨順正理論」(あびだつまじゅんしょうりろん)では、「餓鬼道」に堕ちた亡者には、3つの種類があると言います。
- ⑴無財餓鬼・・・まったく食べることができません。何かを食べても、口の中で火となり内臓を焼き尽くされるという苦しみを与えられます。施餓鬼供養などで供えられた食べ物だけは、食べることができます。
- ⑵少財餓鬼・・・少し食べることはできますが、食物として与えられるのは、不浄のものばかりです。
- ⑶多財餓鬼・・・「餓鬼道」の中では、恵まれた存在です。彼らだけは、例外的に富めることが許されているのです。しかも天界の宮殿にも出入りができます。そこであらゆる楽しみを享受できるのです。もちろん美味しいものも食べることができます。
なぜ多財餓鬼は、恵まれているのでしょうか。それは、餓鬼の特性によるものなのです。餓鬼は、満足というものを知りません。物がなくて追い求めるのも餓鬼ですが、いくら物を与えられても、飽き足らないというのも餓鬼なのです。餓鬼の寿命は、1万5千年と言われています。その間ずっと満足することなく生き続けなくてはなりません。
③「餓鬼道」には36種類の餓鬼がいます
「正法念処経」(しょうぼうねんじょきょう)によれば、「餓鬼」は36種類にもなります。
- 鑊身(かくしん)・・・動物を殺した者。目と口は無く火に焼かれる。
- 針口(しんこう)・・・貪欲な者。口が針のように小さい。
- 食吐(しょくと)・・・食べても吐いてしまう。
- 食糞(じきふん)・・・糞尿を食べる。
- 無食(むじき)・・・どんなものも食べられない。
- 食気(じっけ)・・・供物の香気だけを感じる。
- 食法(じきほう)・・・飲食はできず説法だけを聞く。
- 食水(じきすい)・・・水が飲めない。供えられた水のみ飲める。
- 悕望(きもう)・・・供物だけ飲食できるが、身はボロボロ、嘆きまわる。
- 食唾(じきた)・・・人の吐いた物しか食べられない。
- 食鬘(じきばん)・・・仏のお花の装身具だけしか食べられない。
- 食血(じきけつ)・・・生物の血液だけしか飲めない。
- 食肉(じきにく)・・・肉だけは食べられる。
- 食香烟(じきかえん)・・・供物の香りだけが食物。
- 疾行(しっこう)・・・墓地を荒らし屍を食べる。
- 伺便(しべん)・・・人の排便を食べる。
- 地下(じげ)・・・地下にしか住めず、鬼たちから責め苦を受ける。
- 神通(じんつう)・・・神通力を持つが、他の亡者の苦しみを見る。
- 熾燃(しねん)・・・体が燃える火に苦しみ山林を走り回る。
- 伺嬰児便(しえいじべん)・・・自分の子を殺されて他人の嬰児の命を奪う。
- 欲食(よくじき)・・・売春したものがなる。食物は盗んで食べる。
- 住海渚(じゅうかいしょ)・・・商人をだました罪で朝露のみが食物。
- 執杖(しつじょう)・・・閻魔王の使い走り。風だけが食物。
- 食小児(じきしょうに)・・・赤ん坊を食べる。
- 食人精気(じきにんしょうき)・・・人の精気を食べる。
- 羅刹(らせつ)・・・人を襲い殺害して食べる。
- 火爐焼食(かろしょうじき)・・・燃え盛る炉心の中で残飯を食べる。
- 住不浄巷陌(じゅうふじょうこうはく)・・・汚い場所に住み嘔吐物を食べる。
- 食風(じきふう)・・・風だけが食物。
- 食火炭(じきかたん)・・・火葬の火を食べる。
- 食毒(じきどく)・・・毒に囲まれ毒漬けとなる。
- 曠野(こうや)・・・猛暑の中、水を求めて走り回る。
- 住塚間食熱灰土(じゅうちょうかんじきねつかいど)・・・灰や土を食べる。
- 樹中住(じゅちゅうじゅう)・・・木の根元に捨てられたものを食べる。
- 四交道(しきょうどう)・・・四つ角に住み、鋸に切られ、引き延ばされる。
- 殺身(さつしん)・・・熱い鉄を飲まされる。
④仏教行事の一つ「施餓鬼」の由来
「施餓鬼」は、「施餓鬼会」(せがきえ)とも言われ、仏教行事のひとつです。その由来は、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経」(くばつえんくがきだらにきょう)というお経によるといわれています。
「施餓鬼会」とは
「施餓鬼会」とは、餓鬼道で苦しむ者たちに食事を施して供養をする法要のことです。その供養で、餓鬼道に落ちている者は救われ、仏の道を歩み、人々を救うと言われています。多くの寺ではお盆の時期になると、「施餓鬼会」を行います。一方、お盆の法要を「盂蘭盆会」(うらぼんえ)と言いますが、「施餓鬼会」と「盂蘭盆会」には違いがあります。「施餓鬼会」とは、餓鬼道で苦しむ者たちに食事を施して供養することで、必ずしもお盆の時期に限定しません。「施餓鬼会」を毎日行う寺もあります。「盂蘭盆会」は、餓鬼道にかかわらず、ご先祖様の御霊の冥福を祈る行事ですので、毎年お盆の時期として、7月13日~16日までに行われます。
「救抜焔口餓鬼陀羅尼経」による施餓鬼の起源
釈尊の十大弟子のひとり、阿難尊者(あなんそんじゃ)と言う人がいました。阿難というのは、歓喜という意味の名前です。彼はとても美男子で、時々女性と関係を結ぶので釈迦から出家をなかなか許されず、ヒマラヤ山中に住む長老のウヴァッタの下で修業を積みました。その後、ようやく出家が許されました。
阿難が、一人で瞑想しているときに、焔口(えんく)という恐ろしい餓鬼が現れました。痩せ細った体で口からは火を吐き、髪は乱れて眼光だけがギラギラと光っていました。
「お前は3日後に死んで餓鬼道に落ちるぞ」
「なんということでしょう。私は一生懸命修行しています。どうしたらそのような恐ろしいことから逃れることができるのでしょうか?」
「餓鬼道に住む我々に食物を施すことだ。そうすれば、お前の寿命は延び、我々も苦難を脱することができるのだ」
阿難は、びっくりして釈迦のもとに走り込みました。すると釈迦は、
「観世音菩薩の秘密の呪文を教えてあげよう」
と言い、器に食物を供え、
「この加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)を唱えなさい」
と言いました。
そう言って、
「のうまく さらば たたぎゃた ばろきてい おん さんばら さんばら うん」
と唱えました。この呪文の意味は、わずかな食物でも、たちまち多くの美味しい食物に変わり、あらゆる餓鬼を満足させることができるというものです。阿難も教えられた通り、この呪文を唱え、一生懸命拝むと不思議なことに、餓鬼からの災いから救われ、寿命を延ばすことができました。これが施餓鬼の起源とされています。
「施餓鬼会」の由来
「施餓鬼会」の由来は、恐ろしい餓鬼に阿難尊者が、施しを与え災難から逃れたことから始まりました。お釈迦様から教えていただいた呪文は、どんな食べ物でも美味しい食べ物に変えてしまうという有り難い呪文でした。餓鬼は美味しい食べ物を食べて供養を施されることで、仏の道を歩むことができるのです。この話にちなんでお寺では、「施餓鬼会」の法要を仏教行事として行うようになりました。
⑤幼児を奪い食べ続けていた「鬼子母神」
「鬼子母神」(きしもじん)は、現在は安産や子どもを守る神様として信仰されています。これには、深いいわれがあります。
餓鬼は常に「飢え」と「渇き」に苦しみ、どんなに食べても貪欲な食欲が止まらない状態にあります。人間の子どもを捕えては食べていた鬼子母神にも満足はありませんでした。お釈迦様は、鬼子母神が餓鬼道に落ちているのをご覧になり、子を失う母親の悲しみとは、どれほど辛く切ないものであるのか、鬼子母神に教えようとなさいました。次の逸話は、鬼子母神が餓鬼道から抜け出し、子どもを守る神様になったお話です。
鬼子母神のもとの名前は訶梨帝母(かりていも)と言いました。彼女は夜叉毘沙門天の部下で八大夜叉大将の妻でした。子どもが多く千人の子どもを産んだと言うことです。自分の子どもを養うのに栄養をつけるために、近隣に出かけては人間の幼児をとって食べるので人々から憎まれました。
お釈迦様はそれをご覧になって、訶梨帝母(かりていも)の一番末の子どもを隠してしまいました。彼女は嘆き悲しみました。いくら探しても見つかりません。彼女は、お釈迦様に助けを求めました。
「お釈迦様、我が子のひとりが行方不明です。私は心配でたまりません。どうか探し出してください」
お釈迦様は、言いました。
「あなたには、たくさんの子どもがいるではありませんか。ひとりぐらいいなくなっても問題ないでしょう」
「いいえ、千人いても子どもは全部可愛いのです。どうかお助けください」
お釈迦様は、優しく言いました。
「あなたのように千人の子どもがいても、たった一人でも失うことは悲しい事に変わりはないのですよ。人の子を食べてしまえば、その父母の嘆きはどんなに深い事かわかるでしょう」
と諭されたのです。
彼女は今までの過ちを悟りました。そして、人の子どもの安産や子育ての神となることを誓ったのです。
⑥「死んだ子を諦めきれない母親の話」
もうひとつ子どもをなくした母親の話があります。餓鬼道の苦しみの中に執着心があります。子どもを失った母親の悲しみや苦しみがいかに辛いものであっても、死んだ子を生き返らせることはできません。死んだ子どもへの愛情が失われることはありませんが、その子の「生」に対する執着心を捨てて諦めなければならない時があります。仏教では、諦めることを「諦観」(たいかん)と言いますが、ただ諦めるのではなく、原因を明らかにして道理を理解するという意味で使っています。次の逸話は、お釈迦様が、子どもを失った母親の執着心を取り除き仏の道を説いたお話です。
ある日のことです。お釈迦様が街を歩いていると、死んだ子どもを抱きかかえて、何かをわめいている母親に会いました。お釈迦様がそばまで行くと、母親の言っていることが聞こえました。
「薬をください。薬をください。」
お釈迦様はお尋ねになりました。
「どうしたのですか?」
「子どもが死にそうなのです。薬が欲しいのです」
お釈迦様が子どもを見るとすでに死んでいました。昔のことですから、流行性の悪い病気が広まれば、たちまち多くの人たちが死んでしまいます。特に小さな子どもは抵抗力もありません。
「子どもはすでに亡くなっている。早く葬ってやりなさい」
そう言われても、母親は言うことを聞きませんでした。自分の子どもは死んでいないから、薬さえあればこの子は元気になると言い張りました。
お釈迦様は、
「それならけしの粒をもらってきなさい。ただし、誰も死人を出していない家のものでなければなりません」
そうと聞いて、母親はけしの粒を探しました。けれども死人を出していない家などありませんでした。疲れ果てて母親はお釈迦様のもとへ帰ってきました。いまだに死んだ子を抱きかかえて、もう生きる元気もないという様子です。
母親の子に対する愛情の深さははかりしれません。お釈迦様もよくわかっていますが、けしの粒が見つかっても、死んでしまった子どもが生き返るわけではありません。
お釈迦様がけしの粒を探させた理由とは?
それでは何故お釈迦様は、けしの粒をさがさせたのでしょう。ひとつは、死人の出ていない家がないことを分かってもらうことです。悲しみはひとりだけではなく他の家のどこの家の母親も抱えていたのです。小さな子どもであれば、お腹が空いてたまらなかったでしょう。死ねば魂となり餓鬼の世界に行くかもしれません。子どもが餓鬼の世界に行かないように母親は供養をしてあげなければなりません。
その母親はお釈迦様の導きで悟りを開き供養に努めたそうです。
⑦芥川龍之介の小説「羅生門」の中の「餓鬼道」
「羅生門」は、芥川龍之介の小説です。この小説のもとになったのは、今昔物語の巻第29第18話です。今昔物語では、「羅城門」(らじょうもん、らせいもん)芥川龍之介が題名を「羅城門」とせずに「羅生門」としたのは、謡曲の「羅生門」をとったのではないかと言われています。小説の「羅生門」をお読みになった方は多いと思いますが、あらすじを述べてみます。
※まず餓鬼道との関係は?
「羅生門」のあらすじ
ある日の夕方、雨が降っていました。羅生門で雨宿りするひとりの男がいました。都は数々の災害で荒れ果てていました。羅生門の壊れ方もひどく修理なども行われず荒れ放題となっていました。そこには引き取り手のない死人を捨てていくのが習慣になっていました。
昼間は死人の肉をついばみに多くのカラスが集まってきます。しかし今は闇につつまれたせいか、カラスも見えません。男は仕事も失いなすこともなく座っていました。しかし、夜の冷え込みは厳しく、男はどこか温かい場所はないかと梯子を登って楼閣の上に行きました。すると誰かが小さな灯りをつけて何かをしていました。
男はいくつもの死体をよけながら、灯りの方へ近づいていきました。するとそこには、ひとりの老婆がいました。なんとその老婆は、若い女性の死体から髪の毛を引き抜いているのでした。男は恐ろしさも忘れて、その老婆に憎悪を感じました。男は、大刀に手をかけながら老婆に大股で歩み寄りました。老婆はびっくりして逃げようとしました。男は老婆を捕まえて、何をしていたかを問い詰めました。老婆は、髪を引き抜きカツラを作るのだと言いました。
聞けば、死体の女は、蛇を切り刻んで干し魚だと言って売っていたそうです。老婆はこの女のしたことを悪いことだとは思ってはいないし、自分のしていることも悪いとは思わないと言うのです。そうしなければ、餓死するだけのことは誰でもわかることだからです。
老婆の話を聞いて、男は勇気がわいてきました。「それでは、オレがお前の着物をはぎとっても恨むことはないだろう。オレだって餓死してしまうからな」と言うと、男は、老婆の着物をはぎ取りました。老婆は男の脚にしがみつきましたが、男は老婆を蹴り倒しました。そして、着物を小脇にかかえてまたたくまに梯子を駆け下りました。そして闇の中に消えてしまいました。男は強盗になる決心をして、雨の中、京都の町へ急いで走っていきました。
羅生門のテーマ「人間が飢えた時に人間らしくいられるか」
この「羅生門」という小説の中で扱われているテーマは、人間が飢えた時に人間らしくいられるかという問題を私たちに投げかけています。主人公は飢えのために餓死しようかとも考えました。しかし一方で、飢えをしのぐには、餓鬼道に落ちて、人を殺し、物を盗み、それを売って金をつくり、生きていこうかとも迷いました。「生きる」というのは人間の本能です。男は羅生門の屋根裏で、ひとりの老婆が、餓鬼道に落ちて、若い女の死体から髪の毛を抜いているのを見て、老婆を殺そうとします。しかし、老婆は男に対して、生きていくためには、その髪の毛でカツラをつくるのだと開き直りました。男は、ハッとして決心しました。餓鬼道の中で生き抜かなければならないと思ったのでした。男はこの老婆から着物をはぎ取り、逃げていきました。作者の芥川龍之介は、餓鬼道を肯定したのでしょうか。皆さんも是非「羅生門」をお読みになって考えてみてください。
⑧「捨身飼虎図」飢えた虎に体を与えた釈迦の前世
「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)とは、法隆寺の玉虫厨子(たまむしのずし)に描かれた絵のことです。この絵のもととなる話は、釈迦の前世でサッタ王子の時の話です。
「捨身飼虎図」による釈迦の前世の話
ある日、サッタ王子が山中を歩いていると、飢えた母親の虎と7匹の子どもの虎がうずくまっていました。そこでサッタ王子は、高い崖に登り、そこから飛び降ります。虎はサッタ王子を食べて生きることができました。この時、天地は王子の行いに感動して褒めたたえました。そして生まれ変わってお釈迦様になったという話です。飢えた者への施しの精神が描かれているのです。
このほかにも釈迦の前世の物語があります。生前、餓鬼道に落ちている者をお救いになり、終に仏陀となられるという過程のお話です。
⑴尸毘王(しびおう)の話・・・釈迦の前世で慈悲深い王の話です。バラモン僧に両眼を与えました。実はそのバラモン僧は、帝釈天で両眼を元に返したということです。この話には、次のような背景がありました。帝釈天は、命が尽きかけていました。世の中に覚者(菩薩となるもの)を探していましたが見つかりませんでした。そこで評判の高い尸毘王(しびおう)を試してみたくなりました。帝釈天は、目の見えないバラモン僧に姿を変えました。僧は目の見えないことを嘆いて、「眼も見えずこの世で何の楽しみがあろうか」と泣き叫びました。尸毘王(しびおう)は、それを聞き、片目をあげました。すると、僧は、「おお、見えた」と喜びましたが、欲が出てきました。「もう片方もくれ」と言いました。尸毘王(しびおう)は、惜しげもなく残りの眼も与えました。バラモン僧のくせに餓鬼道に落ちていたのです。この尸毘王(しびおう)の布施は、帝釈天を喜ばせ、尸毘王(しびおう)が、あの世に転生した時に両眼を返したというお話です。
⑵雪山童子(せっせんどうじ)・・・施身聞偈(せしんもんげ)で知られています。釈迦の前世である童子がヒマラヤで修業していると、羅刹(らせつ)という鬼神が腹をすかせて出てきました。羅刹は、毘沙門天に仕える従者です。地獄の獄卒とともに働いていますが、その性格は気が荒く、人を惑わし人肉を食らうという魔物の性格も持っています。童子は教えを乞いました。すると羅刹は、童子が美味そうに思えてきました。「腹がすいてたまらん」という思いで、童子を騙して食ってやろうと、餓鬼道に落ちた鬼のような形相をして、「諸行無常・是生滅法」と言いました。羅刹は「この教えにはまだ残りがある」と言います。童子はどうしても残りを聞きたいと言いました。すると羅刹は「命と引き換えに教える」と言います。そこで、童子は残りの「生滅滅己・寂滅為楽」という言葉を聞くと投身しました。ところが、この羅刹は、帝釈天が鬼神の姿となって童子を試していたのです。羅刹は帝釈天に姿を変えると、童子の体を受け止めて、「未来に仏となり、我らを救いたまえ」と言った話です。餓鬼道に落ちた者に対し、自己を犠牲にしてまでも布施によって救うという釈迦の前世の話でした。
⑨「甘露門」布施を与え餓鬼を救う決心
お寺の行う行事の中に、「施餓鬼」という法要があります。これは、「餓鬼」に施すための儀式です。浄土真宗を除いてほとんどの各宗で盂蘭盆会(うらぼんえ)に祖先を供養するために行います。
盂蘭盆(うらぼん)というのは、餓鬼道に落ちた亡者が逆さまにつるされる苦しみを取り除くために行う行事です。この行事の由来は、「盂蘭盆経」という経典に、釈迦の弟子の目連が、餓鬼道に落ちた母親の苦しみを除こうとして供養したという伝説があり、それが盂蘭盆会のもとになっています。
施餓鬼の時に、「甘露門」(かんろもん)というお経が読まれます。「甘露」とは、サンスクリット語でアムリタと言います。その意味は、「不死」です。物理的な「不死」ではなく、「悟り」を意味します。
このお経は、餓鬼に食事を与えて、苦しみから救い、人々を悟りの世界に誘うことを誓わせています。お経の内容が長いので、一部を紹介すると次のようになります。
「餓鬼を呼び寄せて、食物を与えましょう。食事をしたら、苦しみを離れて真の自由の境地に達し、天に生まれて楽しみを得てください。そして悟りを得て永久に後戻りしないでください。そして人々を迷いから救い出して悟りの世界に入らせることを誓ってください。」
「餓鬼」を救うだけでなく、「餓鬼」が悟り仏のようになって、多くの人たちを救いなさいというメッセージなのです。悪い事ばかりしないようになだめて、善い行いをしなさいというお寺からのDJポリスのような呼びかけに聞こえてきます。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
「餓鬼道」の世界をご覧になって如何だったでしょうか。餓鬼の種類を見ると、飽くなき欲望の中に苦しむゾンビのように思えますが、私たちの生活の中でも、ついつい好物を食べすぎてダイエットに失敗したり、肝臓の数値(ガンマGPT)などが悪いのにお酒を飲みすぎてしまったりすることは、心の中に「餓鬼」の心が湧いてくるからです。
私たちの欲望は限りがありません。その意味では私たちも「餓鬼道」にいます。そういう時は、近所のお寺へ行って、「お布施」(お賽銭)を入れて、「どうかお助けください」と仏様にお願いするとスッキリするのではないでしょうか。
仏教における「餓鬼道」の要点は
①「餓鬼道」とは、亡者の世界です
②「餓鬼」の3つの種類
③「餓鬼道」には36種類の餓鬼がいます
④「施餓鬼」の由来
⑤「鬼子母神」
⑥「子をなくした母親の話」
⑦「羅生門」の中の「餓鬼道」
⑧「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)
⑨「甘露門」
ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。