「アガペー」という言葉の意味を知りたい方へ。
「神の愛」「無限の愛」というものがどんなものなのか、想像したことはあるでしょうか?精神世界や宗教にあまり縁がなかった人は、漠然と思い浮かべたことしかないかもしれませんね。
ここでは「無償の愛」「神の愛」などと表現されるアガペーとは何か?その意味について、詳しく解説していきたいと思います。
①「愛」の種類は1つではない
日本語では、男女の性愛も家族愛もすべて「愛」という言葉で1つにまとめられてしまいますが、古代ギリシアにおいては、愛情というのは1種類だけではなく、いくつも種類があると考えられていました。
▼まず、性愛を含む男女の愛は「エロス」と呼ばれていました。こちらは、現代の日本人にもイメージしやすい概念だと思います。
▼そして、友人に対する信頼や愛情、絆は「フィリア」と呼ばれていました。困った時に助けてくれる友人の存在は、人生において心強いものです。それは、古代ギリシアでも同じだったということでしょう
▼3つ目は「ストルゲー」。これは、親子や兄弟など肉親に対する愛情や絆のこと、いわゆる「家族愛」を指します。ここまでの3つは、皆さん方も理解できるし、実感したことがあるのではないでしょうか。
▼そして、4つ目が「アガペー」。神の愛と呼ばれているものです。
②アガペーとは人間に対する神の愛
「アガペー」という概念は、キリスト教の布教と共に広まったといわれています。「父なる神の無限の愛」「無償の愛」などと呼ばれますが、キリスト教に詳しくない人には、意味が分かりにくいかもしれませんね。
概念としては、生まれたばかりの赤ちゃんに対する親の愛情や、ペットに対する飼い主の愛情をより深く大きくしたものというと、分かりやすいのではないでしょうか。
③アガペーは無償の愛情
生まれたばかりの赤ちゃんは、ミルクを飲むか、寝ているか、泣くだけしかできない非力な存在ですが、親はそんな赤ちゃんの世話を無償で行います。赤ちゃんに蹴飛ばされたり、ウンチやオシッコをかけられたところで、本気で怒る親はめったにいません。
ペットも、飼い主に何かをしてくれるわけではなく、エサ代やワクチン代などお金がかかるだけの存在ですが、飼い主はそんなペットの世話を見返りなく行います。夫や妻、恋人とは別れることができても、ペットは手放すことができないという人も多いのではないでしょうか。
こうした損得勘定のない無償の愛情をさらに大きく、深くしたものが、アガペー(神の愛)なのです。
④神は善人だけを救うわけではない
神にとって人間は、生まれたばかりの我が子のようなものです。そして神は、善人だろうと悪人だろうと、等しく愛情を注いでいます。善人にはたくさん愛情を注ぐけど悪人には愛情を注がない、ということでは、「無限の愛」になりませんよね?
神の愛は親子の愛情に似ていると書きましたが、それでも、子供に対する親の愛情は「いい子でいれば愛してあげる」という愛し方がほとんどですので、善人も悪人も等しく愛する神の愛情とは少し違います。
そもそも、神の目から見ると、人間が行う悪事なんて微々たるものです。赤ちゃんやペットがちょっとイタズラをしたところで本気で怒る親がいないのと同じく、人間にとっての悪事が必ずしも神にとっての悪事になるとは限らないのです。
⑤キリストはユダの裏切りを知っていて赦した
ユダは、聖書において「裏切り者」の代名詞として扱われている人物です。彼の裏切りのせいでキリストが処刑されたと伝えられており、神の愛を受けるに値する人物とは到底思えないでしょう。
ですが、聖書外典の1つ「ユダの福音書」においては、ユダは天国に行く資格を持っているとされているのです。
「ユダの福音書」で、キリストはユダにこう言ったと伝えられています。
「お前は13番目(の弟子)となり、のちの世代の非難の的となり……そして彼らの上に君臨するだろう。最後の日々には、聖なる世代のもとに引き上げられるお前を彼らは罵るだろう」
つまりキリストはユダの裏切りをあらかじめ知っていて、その上で彼を赦し、最後の審判の時にユダが「聖なる世代のもとに引き上げられる」つまり天国に行くことになるだろうと言っているのです。
⑥内省こそが天国に至る鍵
また、釈迦の弟子の一人ダイバダッダは五逆罪という罪を犯し、無間地獄へ落とされたと伝わっています。ですが彼はその後、地獄を脱し、悟りを開いたともいわれているのです。
ユダとダイバダッダ、どちらも悪人として扱われているにも関わらず、後に天国へ行ったり悟りを開くことになるのはなぜでしょう。
おそらく、こういうことなのではないでしょうか。悪事を働いて罰せられた人は、己が犯した罪について考えたり、後悔する機会が人よりも多く与えられます。なぜあんなことをしてしまったのか、他に方法はなかったのか……自分の人生を振り返り、後悔することでしょう。その内省・内観こそが、天国へ至り、悟りを開く鍵なのだと思います。
⑦罪を犯した時こそ神の愛を知るチャンス
また、聖書にはこんな言葉もあります。
「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」
大罪を犯して赦された人と、小さな罪を赦された人、本気で感謝するのはどちらの人でしょうか。
たとえば、大きな罪を犯して死刑になることが決まっていた人が赦された時の気持ちと、小さな罪を赦された時の気持ちでは、感謝の度合いがまるで違うことが分かると思います。運命や神、あらゆるもののめぐりあわせに、心の底から感謝するでしょう。
そう考えると、大きな罪を犯した時こそが、無限の神の愛を知って感謝するまたとない機会なのかもしれません。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
このページが、神の無限の愛「アガペー」というものを想像する手助けになれば幸いです。善人だろうと悪人だろうと変わらずに愛情を注いでくれる誰かがいると考えると、つらい時も、生きるのが少し楽になるのではないでしょうか。
アガペーの意味の要点は
- ①「愛」の種類は1つではない
- ②アガペーは人間に対する神の愛
- ③アガペーは無償の愛情
- ④神は善人だけを救うわけではない
- ⑤キリストはユダの裏切りを知っていて赦した
- ⑥内省こそが天国に至る鍵
- ⑦罪を犯した時こそ神の愛を知るチャンス
ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。