素戔嗚尊/須佐之男命(スサノオノミコト)をお調べになっている方へ。
スサノオノミコトは神話の世界では、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した勇猛果敢な神様として有名です。性格は荒く粗暴で残酷な面を持ち、手がつけられないという性格ですが、黄泉の国まで母親に会いに行きたいと泣きわめくなど、感情的には子どものような性格も合わせ持っています。
日本で初めて妻のクシナダヒメのために和歌を詠んだと言う神様でもあります。ロマンチックな愛情あふれる神様でもあります。それだけにエピソードも多く残っています。
本記事では、素戔嗚尊/須佐之男命(スサノオノミコト)とはどんな神様か、分かりやすく解説いたします。
スサノオノミコト(素戔嗚尊/須佐之男命)は、感情豊かな神様
スサノオノミコトは、古事記では、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)と言われ、日本書紀では、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と呼ばれています。
スサノオノミコトの生まれ
スサノオノミコトの出生については、古事記と日本書紀で、微妙に違いがあります。
古事記での生まれ方
古事記においては、イザナギとイザナミが日本の島々を作った後で、イザナミが体を壊し、死んでしまいます。イザナギが黄泉の国へ行くと、イザナミが変わり果てた姿になっていました。恐ろしくなったイザナギは、天界に戻ってきます。そして、禊(みそぎ)という洗い清める行為を行い、アマテラスオオミカミとツクヨミノミコトとスサノオノミコトを生みました。古事記では、黄泉の国から帰ったイザナギが鼻を洗った時に生まれたとされています。
日本書紀での生まれ方
日本書紀では、イザナギとイザナミがまぐわって生まれたとされています。最初にアマテラスオオミカミが生まれ、ツクヨミノミコトが生まれ、そしてスサノオノミコトが生まれました。アマテラスオオミカミは、高天原を治め、ツクヨミノミコトは、夜の世界を治め、スサノオノミコトは、海を治めるように決められました。
スサノオノミコトの反抗から天界は大騒動
スサノオノミコトは、天界の神さまの中では一番、暴れん坊です。その反面、甘えん坊のところがあり、母親のイザナミが、亡くなって黄泉の国に行ってしまうと、自分も黄泉の国へ行きたいと言って泣きわめきました。
父のイザナギの怒りにふれて追放
以前、父親のイザナギは、妻のイザナミが亡くなった後、イザナミを追って黄泉の国へ行ったことがあります。変わり果てたイザナミの姿を見て黄泉の国から帰ってきました。そこで、父親のイザナギとしては、息子のスサイノオノミコトに対して、「黄泉の国へ行ってはいけない」とスサノオノミコトに言いました。スサノオノミコトは、それでも泣きわめき、天地に甚大な被害を与えました。イザナギは怒り、とうとうスサノオノミコトを天界から追放しました。
追放されて高天原(たかまがはら)へ
追放されたスサノオノミコトは、高天原(たかまがはら)にいる姉のアマテラスオオミカミ(天照大御神)の所に行って、自分の悲しみを訴えたいと思い、会いに行きました。ところが、なんの知らせもなく、高天原に行ったので、姉のアマテラスオオミカミは、「さては、高天原を自分のものにしようと攻めてきた」と誤解してしまいました。武装して迎え撃つ体制で待っていると、スサノオノミコトは、「攻めに来たのではなく挨拶に来たのだ」と言い、誓約(うけい)という無実の証明を行いました。
誓約(うけい)とは
スサノオはアマテラスの疑いを解くために、誓約(うけい)をしようと言いました。まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、三柱の女神が生まれました。
- タキリビメ・・・沖津宮に祀られました。
- タギツヒメ・・・中津宮に祀られました。
- イチキシマヒメ・・・辺津宮に祀られました。
次に、スサノオノミコトが、アマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、五柱の男神が生まれました。
- アメノオシホミミ
- アメノホヒ
- アマツヒコネ
- イツクヒコネ
- クマノクスビ
これによりスサノオノミコトは、「自分の心が潔白なので私の物から生まれた子は心の優しい女神だった」と言って勝利を宣言しました。アマテラスオオミカミもスサノオノミコトを許しました。
高天原(たかまがはら)で大暴れ
アマテラスオオミカミからの誤解は解かれましたが、本来暴れん坊のスサノオノミコトの粗暴な振る舞いが治るはずはありません。とうとう、アマテラスオオミカミは、天岩戸に隠れてしまいました。そのため、世の中は真っ暗闇の世界となってしまいました。
天岩戸に隠れたアマテラスオオミカミ
アマテラスオオミカミは、太陽神であり、強大な力のある神様です。しかし、弟のスサノオノミコトを成敗せず、天岩戸に隠れてしまうとは、いったいこれはどうしたことでしょう。この時のアマテラスオオミカミの心情は、神の世界にあっても、亡くなった母親への思慕の念や弟を思う愛情は変わらないということなのです。
アマテラスオオミカミは女神でもあり、母のイザナミを追い求める弟の哀しい思いを分からないはずはありません。弟を諫める代わりに天岩戸に隠れたと考えられます。この事件がきっかけとなり、高天原にいる八百万の神々(やおろずのかみがみ)の結集を促しました。
天岩戸の前でどんちゃん騒ぎ
天の岩戸の前に、八百万の神々(やおろずのかみがみ)が集まりました。「どうしたらアマテラスオオミカミを天岩戸から出すことができるだろうか」という話し合いがなされました。そこで考えられた作戦とは、アメノウズメという女神に踊らせて、その周りで大騒ぎをしました。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、「なんの騒ぎだろう」と疑問に思って、天岩戸から体を出したところを、怪力の男の神様に引き出され、ようやく戻すことができました。スサノオノミコトは、この罪によって、高天原から追放されてしまいました。
スサノオノミコトは出雲の国へ行き結婚
スサノオノミコトは、高天原を追放されて、出雲の国に行くことになりました。そこで八岐大蛇(やまたのおろち)を退治します。この大蛇から、出てきたのが草薙の剣(くさなぎのつるぎ)です。この剣は、アマテラスオオミカミに献上されました。
クシナダヒメとの結婚
スサノオノミコトは、クシナダヒメと結婚しました。そこで日本で初めて和歌を詠みました。クシナダヒメは、日本書紀では、奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)、眞髪觸奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)と書き表されています。
日本初の和歌
スサノノノミコトは、日本で初めての和歌を詠みました。
八雲立つ出雲八重垣
妻籠みに八重垣作る
その八重垣を
※意味(たくさんの雲がたなびく出雲、湧きたつ雲は幾重にも重なって、垣のようになっている。私は妻を守るために私はたくさんの垣をつくりました。あのたくさんの垣を)
こうして、スサノオノミコトは、子どもを授かり、一族は繁栄しました。
食物神(オオゲツヒメ)を殺し五穀豊穣の神様になる
スサノオノミコトは、高天原を追放された時に、空腹を覚えてオオゲツヒメ(大宜都比売、大気津比売神)を訪ねました。以下、オオゲツヒメと表記いたします。オオゲツヒメは、スサノオノミコトが来たことを喜んで、たくさんの食物をだして歓待しました。
食べ物がなんと尻からも出てくるなんて
スサノオノミコトは、いったいどんな調理をしているのか不思議に思い、調理場を覗いてみると、驚いたことに、オオゲツヒメは、口や鼻、それに尻から食物を出して、食事を出しました。それを見たスサノオノミコトは、怒ってオオゲツヒメを殺してしまいました。
オオゲツヒメの体は、いろいろな穀物に変わりました
すると不思議なことに、オオゲツヒメの頭が蚕になり、目は稲になり、耳は粟に、鼻は小豆に、陰部は麦に、尻は大豆になりました。それを地上に植えると、たくさんの収穫を得ることができました。そのため、スサノオノミコトは、五穀豊穣の神としてあがめられました。
スサノオノミコトを演じた三船敏郎
スサノオノミコトが、具体的にどのようなイメージになるかということでは、日本の名優である三船敏郎さん以外に体現できる人はいません。日本神話を初めて映画化したのが、1959年に制作された「日本誕生」です。この時スサノオノミコトの役を演じたのが、三船敏郎さんです。三船敏郎さんは、1920年に中国の青島市の生まれです。当時の日本は、軍事的に中国に進出し、多くの日本人が満州開拓のために移り住みました。三船敏郎さんのご両親も中国に渡りました。
少年時代はワル、軍隊生活では反抗的
軍隊生活では、満州国の陸軍第7航空隊に配属されましたが、上官に反抗的な態度をとったため、いつも倍のしごきを受けていました。それでも倒れなかったので、さらに暴行を加えられたそうです。終戦までの期間は、写真撮影の技術を買われ、司令部偵察機の偵察員となりました。戦争末期には、熊本の特攻隊に配属され、特攻隊員の遺影を撮る仕事をしたそうです。この体験は、「悪夢のような6年間」だったそうです。
映画界に偶然、俳優試験を受けることに
1945年に終戦を迎え、1947年に映画界に入りました。その時のエピソードとして、三船敏郎さんは、本当は俳優志願ではなかったのに、ニューフェイスの試験を受ける羽目になってしまい、面接で「笑え」と言われて、「面白くもないのに笑えません」と反抗的な態度をとったそうです。
日本誕生でスサノオノミコトに
三船敏郎さんの荒々しい性格は、スサノオノミコトの役柄とぴったり合い、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するシーンは、ゴジラで有名な円谷英二さんの特殊撮影で迫力満点の映画です。洪水のシーンでは、実際に10トンの水が使われ、火山噴火のシーンでは、7トン以上の溶けた鉄を使いました。巨大な地割れのシーンはトラック百台分の土砂を使った地面を人工的に引っ張り、地割れを起こし、その地割れに人が落ちるシーンも実際に人が落ちて迫力あるシーンを造り上げました。
荒々しい性格の反面、人を愛する優しさもありました
当時は、戦後の物の無い時代で、食費も節約され、スタッフにも十分に食事がいきわたりませんでしたが、三船敏郎さんは、食料を調達して食事を作ったという優しい性格もありました。
スサノオノミコトと同じとされる牛頭天王(ごずてんのう)
牛頭天王(ごずてんのう)は、そもそも仏教の世界の神様ですが、スサノオノミコトと同一視されてきました。インドでは、牛頭天王(ごずてんのう)は、はじめは災いをもたらす神として存在しましたが、やがてその荒々しさから疫病を退治する神様に変わりました。日本に仏教が伝来し、牛頭天王(ごずてんのう)の存在が伝えられました。
民衆の間では、日本古来のスサノオノミコトに合体され、厄除けの神様として信仰されるようになりました。また、次のような伝説から、牛頭天王(ごずてんのう)とスサノオノミコトが一体化されました。
牛頭天王と蘇民将来(そみんしょうらい)の伝説
安倍晴明(あべのせいめい)が編纂したという簠簋(ほき)内伝という書物によると、天界にあった天刑星が,地上に降りて,牛頭天王(ごずてんのう)と名のり,南海に向かいました。途中,巨旦(こたん)大王に宿を求めましたが,断られてしまいました。次に貧しい蘇民将来(そみんしようらい)の家では歓待されました。牛頭天王(ごずてんのう)は,やがて南海の竜王の娘頗梨采女(はりさいによ)を妻にもらい,8人の王子が誕生しました。その後、牛頭天王(ごずてんのう)は、巨旦(こたん)大王の一族を滅ぼしてしまいました。
スサノオノミコトと蘇民将来(そみんしょうらい)の伝説
備後国風土記(びんごのくにふどき)によると、スサノオノミコトが一夜の宿を借りようとして、裕福な巨旦(こたん)将来の家に行きますが、冷たく断られてしまいました。貧しい蘇民将来のところに行くと、心から歓待され、粟飯(あわめし)などを御馳走になりました。スサノオノミコトは、そのお礼にと、「蘇民将来之(の)子孫」という護符を渡し、茅(ち)の輪(わ)を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げました。不思議なことに、疫病が蔓延した時に巨旦(こたん)将来の家の者はみな死んでしまいましたが、蘇民将来の家の者はみな命が助かったという伝説です。
被災を免れたスサノオノミコトを祀った神社
信仰の力か科学の力か、スサノオノミコトを祀った神社は、東日本大震災の被害を受けませんでした。
被災調査の中から驚きの結果が
2011年3月11日に起きた東日本大震災は、私たちにとって記憶に新しいものです。被害調査を行った東京工業大学のグループが発表した論文に興味深いものがあります。それは、「スサノオノミコトを祀った神社は、東日本大震災の津波の被害を免れた」というものです。スサノオノミコトを祀る神社が、津波の被害を免れたのに対し、アマテラスオオミカミを祀った神社の大半は被災したと言うのです。
調査結果の示す数字
東京工業大学大学院の桑子敏雄教授によれば、研究グループは、宮城県沿岸にある神社の祭神と被害状況を調査しました。その結果、スサノオノミコトを祀った神社(17社)で津波の被害を受けたのはわずか1社であることが判明したのです。その一方、調査対象215カ所のうち、53社が津波で被災していました。驚いたことに、祭神による内訳では、アマテラスや稲荷大神を祭神とする神社が大半を占めているという事実でした。
スサノオノミコトを祀った神社が被災を受けなかった理由
スサノオノミコトに関連する神社が津波被害を免れた理由について、高田准教授は「スサノオノミコトは斐伊川(ひいかわ)に住むヤマタノオロチを退治したと古事記にありますが、川の氾濫をたとえた話といわれます。スサノオは水害など自然災害、震災を治める神だからこそ、そうした災いに遭わない場所に祀られたと考えられるのです。
スサノオノミコトを祀った神社
スサノオノミコトを祀った神社は、全国にたくさんありますが、中でも有名な神社をご紹介いたします。
須佐神社(島根県出雲市)
八岐大蛇(やまたのおろち)退治に関わる神社。スサノオノミコトが、自らの名前を付けた神社です。ここは唯一スサノオノミコトと妻であるクシナダヒメとその両親も祀ってあります。
須佐の七不思議
⓵塩井(しおのい)
境内の塩井は日本海につながり、この地に潮の花がふきます。スサノオノミコトが潮を汲んでこの地を清めたと言う伝説があります。浴用、飲用に用いれば万病にきくと言われています。
⓶神馬(しんば)
どんな馬でも白馬に変わり、吉凶を占ったという伝説があります。
⓷相生の松(あいおいのまつ)
男松女松が一本の大木となっていましたが、今は枯れてなくなりました。
⓸陰無桜(かげなしざくら)
出雲の須佐大社の桜が咲くと隠岐の国に影がさすと言われ、桜が切られました。その後は、隠岐の国の農業が栄えました。
⓹落ち葉の槙(おちばのまき)
スサノオノミコトとクシナダヒメが御子を出産した時に産具を槙の葉で包み、松葉で囲み、川に流したところ、流れ着いたところに槙(柏)と松が生えてきました。
⓺星滑(ほしなめら)
須佐の中山の頂きの近くに滑らかな岩肌が見え、そこが光り輝けば豊作と言われています。
⓻雨壺(あまつぼ)
神社の西を流れる須佐川にそって、1キロメートル下がると田の畔に岩があり、その岩の穴をかきまわすと、暴風雨が起きると言われています。
八重垣神社(島根県松江市)
日本初の和歌に出て来る「八重垣」という言葉から、「八重垣の宮」となりました。縁結び、安産祈願。クシナダヒメが姿を映したと言われる「鏡の池」があります。その池では、「占い」ができます。和紙の上に百円玉を乗せて、池に浮かべると、「願望達成」と吉方の文字が浮き出てきます。そして、近い所で沈めば、すぐに成就し、遠くで沈めば時間がかかるとされています。
八坂神社(京都府京都市)
元々祀られた牛頭天王(こずてんのう)が祇園精舎の守護神であったため、「祇園神社」と呼ばれていました。慶応4年(明治元年1868年)の神仏分離令により、「八坂神社」と改名されました。無病息災や厄除けのご利益があります。この神社のお祭りは、有名な祇園祭です。美しく装飾された山鉾(やまぼこ)が京都の町をめぐります。
熊野大社(島根県松江市)
この地で初めて「火」を生み出したといわれています。熊野大社は、日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、10月には火をおこす神事、鑽火祭(きりびまつり)が行われます。ご利益は、縁結び、良縁成就、夫婦円満、安産祈願など。
最後に
スサノオノミコトの波乱万丈の生涯は如何でしたでしょうか?
天界を追い出され、アマテラスオオミカミを困らせ、八百万の神々から追放されて、ようやく出雲の地に落ち着きました。彼ほどドラマチックな神様は、その後も出てきません。神話のモデルになった神様が実際にどんな人物だったか考えると、日本の国の成り立ちに大いに興味が湧いてきます。
日本の神話に出て来る神様は、私たちにとっては日々の願い事や冠婚葬祭などの行事に深く根付いています。もしスサノオノミコトが祀られている神社がお近くにあれば、彼のドラマチックな生涯を思い出して、是非お参りすることをお勧めします。
素戔嗚尊/須佐之男命(スサノオノミコト)とはどんな神様か?
- スサノオノミコト(素戔嗚尊/須佐之男命)は、感情豊かな神様
- スサノオノミコトの反抗から天界は大騒動
- スサノオノミコトは出雲の国へ行き結婚
- 食物神(オオゲツヒメ)を殺し五穀豊穣の神様になる
- スサノオノミコトを演じた三船敏郎
- スサノオノミコトと同じとされる牛頭天王(ごずてんのう)
- 被災を免れたスサノオノミコトを祀った神社
- スサノオノミコトを祀った神社
以上、最後までご覧いただき、有難うございました。