「ディバインエクスプレッション」をお調べになっている方へ。
「ディバインエクスプレッション」とは、ソウルメイトの中のひとつです。ソウルメイトは前世から繰り返し人生を共に生きているパートナーやグループです。「ディバインエクスプレッション」は、直訳では神聖なる表現者と訳されます。人生での指導者的な存在です。本記事では、「ディバインエクスプレッション」について、分かりやすく解説いたします。
①ディバインエクスプレッションとは人生の厳しい指導者
「ディバインエクスプレッション」は、DIVINE EXPRESSIONと表記され、直訳では「神聖なる表現者」となります。言い換えると、「ディバインエクスプレッション」は、神の代弁者という役割を持っています。そのため人生における厳しい指導者となります。「ディバインエクスプレッション」との出会いの特徴は次の通りです。
【ディバインエクスプレッションとの出会いの特徴】
- ⑴衝撃的に変わる人生・・・この「ディバインエクスプレッション」に出会うと、とても大きな衝撃や感動を与えられ人生が飛躍的に変わります。「ディバインエクスプレッション」は、私たちが人生の生き方や、いろいろな分野で正しい方向に進んでいないような場合に、指導者として威厳と怒りの念をもって私たちに大きな衝撃を与えます。その指導は私たちの心の奥底まで浸透し、人生に深い反省と変革を与え、その後の人生がどうあるべきか考えさせるものです。
- ⑵何が真実の生き方かを知る・・・容赦のない指摘と厳しい叱責で指導されることは、確かにありがたいことではありますが、楽しいものではありません。しかし、「ディバインエクスプレッション」は、真実に対して私たちの目を見開かせるのに必要な人物なのです。多くの場合、学校や会社、あるいは武術、芸術などの分野で、厳しい指導者となります。
- ⑶恋愛関係は絶対的な服従を伴う・・・「ディバインエクスプレッション」は、ソウルメイトのひとつです。そのため前世では、何度となく同じ世代をともに過ごしています。異性関係の場合は恋愛に発展する場合もあります。例えば、研究指導者とそれを補佐する助手との間に恋愛関係が生じます。厳しい研究をともに努力し困難を克服していく過程で、師弟関係をベースに、互いに愛情を抱き協力して人生を歩んでいくような愛情関係です。
- ⑷必然性を伴う出会い・・・ソウルメイトとして、前世でも同じような関係をもっていたと言えます。繰り返し生まれたときから、同じ特定の分野に興味を持っていたり、天才的な才能を持って生まれたり、人生の進むべき方向が、自然と決まっていたりします。従って、「ディバインエクスプレッション」とのソウルメイトとの出会いは、必然的なものです。
②ディバインエクスプレッションとの出会いで平凡な人間も超人になる
私たちは生まれたときから、得意な分野が示される人ばかりとは限りません。才能は持っていても、「大器晩成」の人もいます。前世からの才能の蓄積に気が付かないまま、人生を送っている場合もあります。
【隠れた才能を見つける「ディバインエクスプレッション」】
自分の才能に気が付かず、平凡な人生を送っていたとしても、神はそれを見逃しません。本人が意識していない才能まで見極めることができる「ディバインエクスプレッション」は、必然的な出会いで、隠れた才能を引き出します。それが、わかるのは人生を繰り返し生きているソウルメイトの関係だからです。
【才能に対して厳しく指導します】
指導者となる「ディバインエクスプレッション」は、才能を見抜く力があります。しかし、その指導はいつも厳しく矛盾を許しません。よほどの覚悟がなければ、いっしょにいられないほど過酷な人生となります。しかし、目標が達成された時は、深い信頼関係が築かれます。「ディバインエクスプレッション」は、ノーベル賞やオリンピックでの金メダル、エベレストの登頂成功など奇跡的な功績を残します。
【人生の師となる人との出会い】
- ⑴仕事で困難に直面した場合、「ディバインエクスプレッション」となった上司は、なかなか解答を与えてくれません。上司は、「自分で考えろ」と冷たく突き放します。厳しい上司に怒りを感じる時もありますが、その怒りで発奮して目標達成を果たします。
- ⑵学問の世界でも、厳しい関係があります。「ディバインエクスプレッション」となった教授の下では、なかなか自分の研究を認めてくれません。自分の甘さを指摘され、自己嫌悪に陥るかもしれません。しかし努力を続けることで目標を達成した時には、なぜそうされなければならなかったかを悟ることができます。
- ⑶芸術の世界では、他人の真似はできません。個性を表現できなければニセモノになってしまいます。基本的には助言は意味のないものかもしれません。芸術の世界で自己を極めるのは難しい世界です。師となった「ディバインエクスプレッション」は、厳しい指導を行い、弟子に自分の殻を破るようにしむけます。自分の殻を破るには、強烈な自己否定が伴います。苦しさのなかに新境地が見いだされたときに、師の心を理解できるようになります。
- ⑷武術においても、本人の技術の向上がなければ強くなれません。本質的に高度な世界では、教えるということは難しいのです。「ディバインエクスプレッション」は、手とり足とり親切に教えることはありません。むしろ厳しく過酷な修行を弟子に課します。武術の奥義は、親切に教えられるものではないからです。
③医療の世界のディバインエクスプレッション
多くの分野で指導的な役割を持つ「ディバインエクスプレッション」ですが、最近、特に重要な部門として、医療の世界の「ディバインエクスプレッション」が、注目されています。
【神の手と呼ばれる医者】
- ⑴脳神経外科医・・・福島孝徳医師。彼が手掛けた手術は24000人に達しました。そのうち脳神経外科頭蓋底手術は、16000例以上(世界記録)、頭蓋底脳腫瘍で10000例といった圧倒的な手術実績を持っています。
- ⑵心臓外科医・・・天野篤医師。2012年に天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀。日本屈指の心臓外科医として、これまでに6000件の心臓手術を手掛け、成功率は98%を誇っています。
- ⑶心臓移植手術・・・渡辺剛医師。彼は32歳で日本人最年少の心臓移植執刀医となり、その技術は「天才的心臓外科医」、「天使の手」と称されています。2005年には、手術ロボット「ダ・ヴィンチ」による日本初のロボット手術を行いました。渡辺医師は、手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」に憧れて医師を志したそうです。
患者さんへの約束は、
①日本でベストの手術を提供する
②患者さんを親のように思い治療にあたる
③必ず元気になって帰す
ミクロの世界の医療技術の世界では、少しの妥協も許されません。医療現場において、後輩の指導にもあたるこれらの医師たちは、厳しい指導を与え、より多くの患者さんを救うことを目指しています。まさに「ディバインエクスプレッション」の良き例と言えるでしょう。
④「巨人の星」で魔球を生み出した「ディバインエクスプレッション」
「ディバインエクスプレッション」として、アニメの世界に典型的な人物が描かれています。「巨人の星」という作品をご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。「巨人の星」は、梶原一騎原作、川崎のぼる作画の野球漫画です。主人公は、星飛雄馬(ほしひゅうま)という、左投げ左打ち(「新・巨人の星」では右投げ左打ち)の投手の話です。この話では、「ディバインエクスプレッション」は、父親の元巨人軍選手の星一徹(ほしいってつ)です。このアニメを読んだ日本の男の子たちは、熱烈に野球にあこがれるようになりました。
【極端に過酷な練習マシンで魔球が生まれました】
星一徹は、息子の飛雄馬に過酷な野球の練習を課します。有名な「大リーグボール養成ギブス」と呼ばれる筋肉増強器具を装着させ練習を強いました。あまりに過酷な練習のため、父親に反抗しますが、巨人軍へ入団前の王貞治や長嶋茂雄、そして強敵ライバル・花形満と出会い、野球のすばらしさに目覚め巨人軍入団を決意しました。苦しい練習の結果、「消える魔球」が誕生しました。実在人物と混在するアニメの世界で、現実と虚構の入り混じったドラマの展開に読者は魅了されました。
⑤手抜きを許さない黒澤監督は三船敏郎を世界のスターにした
世界的に有名な映画監督の黒澤明(くろさわあきら 1910~1998)は、数々の名作を残しています。三船敏郎を見出した監督としても有名です。オーディションで落ちた三船の才能を見出したのは黒澤明でした。無理やり合格させて、その後の黒澤作品の顔となりました。三船にとって、黒澤明監督は、まさに「ディバインエクスプレッション」でした。三船のデビュー作となった「銀嶺の果て」では、黒澤は脚本も手がけました。次の「酔いどれ天使」では、主演に起用、以来三船は黒澤作品の多くに出演しました。
【妥協を許さない演出】
完璧主義者と言われる黒澤明は、妥協を許さない厳しい演出で知られています。俳優たちは何度もリハーサルを行い、完全なものとなるまで、やり直しをさせられました。「羅生門」という作品では、高さ20メートルの巨大な門を大映京都撮影所に造らせました。カメラに映らないところにまで大道具や小道具を造りこむのも特徴でした。演技についても、映画の画面に映らない俳優にも演技をさせました。
例えば、戦国時代の武将たちのシーンを撮る時に、画面に入らない端役の人が手を抜いていたら、「映画は、どこを撮っても戦場になっていなくてはならない」と叱り、端役の人にも演技をさせました。また、「蜘蛛巣城」という映画では、クライマックスシーンで、三船が演じる主人公が、裏切りによって、全身に矢を射かけられるシーンでは、本物の矢を浴びせハリネズミのようになるところでは、三船は「俺を殺す気か」と怒らせたほどだと言います。その後の作品は世界的に有名になり、数々の賞を受賞しています。
- 「用心棒」・・・ヴェネチア映画祭主演男優賞
- 「赤ひげ」・・・2度目のヴェネチア映画祭主演男優賞
三船の出演した海外作品では、メキシコ人監督のイスマエル・ロドリゲスによる「価値ある男」にメキシコ人役で主演をしました。この作品で1962年のアカデミー賞にノミネートされ、ブルーリボン賞で主演男優賞を受賞、ゴールデングローブ賞では、シルバーグローブを受賞、サンフランシスコ国際映画祭では、ゴールデン・ゲート・アワードを受賞しました。
禅の修行も厳しいものです。悟りを開くのは簡単ではありません。達磨大師は、教えを乞うものに対して、「ディバインエクスプレッション」として、大変厳しい態度をとりました。
【達磨大師は、中国で教えを広めました】
達磨大師(378~528)は、「菩提達磨(ぼだいだるま)」とか、「達磨羅(だるまら)」とも言います。南インドにある香至国(こうしこく)に生まれました。インド人ですが、中国に渡り禅宗を伝えました。520年の9月21日、中国の広州に着きました。年齢は、120歳と言います。
【いくら仏教を保護しても功徳などはない】
当時の梁の武帝は、達磨大師を都の金陵(現在の南京)に招きました。梁の武帝は、仏教の信仰に厚く数えきれないほどのお寺を建てました。そこで、武帝は達磨大師に聞きました。
「わたしが与えられる功徳はどれくらいのものか」
「功徳はありません」
「それは、なぜだ?」
「善行といえども煩悩によるものに功徳はありません」
「どうすれば良いのだ」
「そんなことは忘れることです」
達磨大師の答えに、梁の武帝はすっかり腹を立ててしまいました。達磨大師は、さっさと梁の国を出て行ってしまいました。
【弟子の志願者に厳しい態度をとりました】
達磨大師は、北魏の国に行き、南東にあった嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)に滞在しました。そこへ噂を聞いた僧侶が訪ねていきました。ところが達磨大師は返事もしないで座禅をしていました。そこで僧侶は外で待つことにしました。雪が一晩中降って埋まりそうになりました。
達磨大師が、外に出て僧侶を見つけました。
「お前は何をしているのか?」
「仏の教えを受けたいのです」
「帰れ、教えとは命と引き換えるものだ」
命をなくしては、教えどころではありません。しかし、帰るわけにもいきません。僧侶は考えた結果、持っていた短刀で左腕を切り落とし、達磨に突き出しました。
「どうか、これで教えをお願いします」
「わかった。教えを授けよう」
この弟子は、「慧可(えか)」という名前を与えられました。そして、修行を積んで、禅宗の第二祖と言われるようになりました。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
「ディバインエクスプレッション」との出会いは如何でしたでしょうか?ソウルメイトとしての「ディバインエクスプレッション」は、他のソウルメイトとの出会いと違い、さぞかし気の重い印象を持たれたであろうと思います。現在、特別の分野で「ディバインエクスプレッション」から指導を受けている人もいらっしゃると思いますが、その苦労は、口に出して言えるものではないでしょう。しかし、物事を極めたいと思う熱情があれば、必ず「ディバインエクスプレッション」は、最大効率をもって教えてくれるのです。優しく指導するよりは、厳しく指導した方が、物事の達成は早いからです。悔しい思いも達成した時は、最大の喜びに変わります。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。