仏教用語「空観(くうがん)」「仮観(けかん)」「中観(ちゅうがん)」の意味を知りたい方へ。
仏教に興味を持って「空観」「仮観」「中観」という言葉について調べてみたけど、意味が分からなかった・理解できなかったという人は多いのではないでしょうか。
本記事では、現代人にも分かり易いたとえを使い、「空観」「仮観」「中観」について解説していきます。
「空観」「仮観」「中観」は北伝仏教(大乗仏教)の概念
「空観」「仮観」「中観」は、中国や日本で信仰されていた北伝仏教(大乗仏教)の概念です。お葬式などで唱えられることが多い般若心経は、「空(くう)」の概念を分かりやすく説明しているといわれています。
釈迦の死後、北伝仏教はヒンドゥー教の神話や世界観を取り入れ、どんどんスケールが大きく、ファンタジーの要素が大きくなっていきました。そんな北伝仏教の教義を体系化し、まとめたといわれているのが、龍樹(ナーガール・ジュナ)です。
龍樹は釈迦に次いで尊敬されている
龍樹はもともと学識と理解力に優れ、広く名を知られていました。
ですが学問を修めた後、「学問で結果を残したから、これからは今まで我慢していた快楽を味わおう」と決め隠身の術(自分の姿が他人の目に見えなくなる術)を学び、3人の友人と共に後宮へと忍び込んで、後宮にいる女性に乱暴を繰り返しました。
その出来事を知った王臣たちは、龍樹たちの行方を突き止め、龍樹の友人3人を斬り殺してしまいました。龍樹は身を隠して難を逃れましたが、この出来事をきっかけに出家することを決めました。
その後、仏門に入った龍樹は、まずは南伝仏教の経典を、その後、海の底の竜宮城にて北伝仏教の経典を読破し、悟りを得たといわれています。
ざっと説明しましたが、龍樹は、国によっては釈迦に次ぐほどの尊敬を得ており、世界中で名を知られています。仏教史を学ぶ際は、欠かすことのできない重要人物といってもいいでしょう。
「空観」の考え方
では、北伝仏教の中心となる教え「空観」とは一体どういうものでしょうか。
①この世界は幻である
「空」という概念は、「幻」や「縁起」と解釈することが多いので、「この世界のすべては幻である」「この世界のすべては繋がり合っている」と説明されることが多いです。
とはいえ、「この世界は幻」と説明されてもピンとこない人も多いのではないでしょうか。少なくとも、今あなたが手に持っているスマホや、目の前にあるパソコンは、とても幻とは思えませんよね。
②この世界はゲームの世界である
ですが、「この世界はゲームの世界である」と説明されると、納得できる人も多いのではないでしょうか。
目の前にあるスマホやパソコンは幻の産物とはとうてい思えませんが、この世界全体がゲームの世界で、パソコンやスマホはそのゲームに出てくるアイテムだと考えるとどうでしょう。ゲームに登場するキャラクターにとっては、スマホもパソコンも全部、実際に存在している道具であり、幻なんてとても思えないはずですよね。
そして、あなた自身も、プレイしているこのゲームがあまりにリアルなので、ゲームの世界の中の出来事だということを忘れてしまっているのだとしたらどうでしょう?
簡単に説明しましたが、こういった考え方のことを「空観」といいます。
「仮観」の考え方 ~ゲームだからこそ没頭して楽しむ
「この世界はゲームの世界である」という考え方が「空観」だとすると、「ゲームだからこそ、この世界に浸って楽しもう」という考え方が「仮観」になります。
たとえばゲームをプレイしている時、ミスをして画面の中のキャラクターが死んでしまっても、画面の外の私たちは傷ひとつ負いませんが、やはり悔しいですよね。また、ゲームの中でレアアイテムが手に入れば嬉しいし、好みのタイプの異性と仲良くなれると、ときめきますよね。楽しんでゲームをしている人の前で「たかがゲームじゃないか、バカバカしい」というのは野暮というものです。
ただ、どれだけゲームの世界に没頭していても、プレイしているあなたは「これはゲームの世界の出来事だ」ということを自覚しています。
このように「この世界がゲームの世界だということは分かっているけど、せっかくプレイしているんだから、ゲームの世界に浸って楽しもう」という考え方のことを「仮観」といいます。
「中観」の考え方
続いて、ここでは「中観」の考え方について解説していきます。
①ゲームキャラにはそれぞれ役割がある
RPGをプレイしていると、何度話しかけても「ここは、〇〇の町です」といったセリフしか言わない村人などが登場します。その村人相手に「この世界はゲームの世界なんだ!早く目を覚ませ!」と説得するプレイヤーは、まずいません。
また、ゲームの序盤でプレイヤーに倒されるためだけに登場するザコモンスターなどもいます。練習台になってくれるザコモンスターがいなくては、初心者はいつまでたってもレベルが上がりません。
もちろんゲームには、強いラスボスも必要です。ラスボスがいなくては、目標がないつまらないゲームになってしまいます。
このような「ゲームに登場するキャラクターには、それぞれ役割がある」という考え方のことを「中観」といいます。
②人との出会いはあなたの学びのためにある
この「中観」の考え方を、あなたの人生にも当てはめてみましょう。
あなたの人生に登場したすべての人物は、何かしら役割を持っています。あなたに人生の厳しさを教えるためかもしれませんし、反面教師として登場してきたのかもしれません。あなたにアドバイスをくれるために登場してきたのかもしれません。
あなたの人生に登場してきた彼らから、あなたが学んだことは何でしょうか。彼らと関わることで、あなたはどんな風に成長したでしょうか。深く掘り下げて考えてみると、あなたがこの世に生まれてきた目的も見えてくるかもしれませんよ。
最後に
ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
「空観」「仮観」「中観」という概念を、少しでも理解することができたでしょうか。この世界がゲームの世界だとしたら、このゲームをプレイすることであなたが学んできたことは何でしょうか。もしこの記事が、人生について考えるきっかけになれば、幸いです。
仏教用語「空観」「仮観」「中観」の要点は
- 「空観」「仮観」「中観」は北伝仏教(大乗仏教)の概念
- 龍樹は釈迦に次いで尊敬されている
- 「空観」の考え方
①この世界は幻である
②この世界はゲームの世界である - 「仮観」の考え方 ~ゲームだからこそ没頭して楽しむ
- 「中観」の考え方
①ゲームキャラにはそれぞれ役割がある
②人との出会いはあなたの学びのためにある
ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。