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キリスト教の予定説とは?その意味を分かりやすく解説

予定説キリスト教プロテスタントの「予定説」について知りたい方へ。

プロテスタントとカトリックでは、教義や聖書の解釈に様々な違いがありますが、大きな違いの一つが「予定説」です。予定説とは「天国に行けるかどうかはあらかじめ決まっている」という考え方です。

本記事では、キリスト教プロテスタントの「予定説」について、分かりやすく解説していきます。

①予定説とは「天国に行けるかどうかはあらかじめ決まっている」という考え方

「天国へ行ける人とそうでない人は、生まれる前から決まっている」という言葉を聞いて、どう思うでしょうか?それでは人間の一生は無意味じゃないかと考えてしまう人も多いかもしれませんね。この、「天国に行ける人とそうでない人は、あらかじめ決まっている」という考え方を、「予定説」といいます

②善行を積めば天国へ行けるとは限らない

キリスト教に詳しくない人でも、キリスト教に天国や地獄の概念が存在していることはご存知だと思います。キリスト教では、復活の日を迎えた時、全ての人がこの世に蘇り、天国行きと地獄行きを決められてしまう、と考えています。

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・カトリックでは善行を積むと天国に行けると考えた

そしてキリスト教徒にとっては、死後、天国に行けるかどうかは重要な関心事でした。カトリックでは、戒律を守り、寄付や懺悔などの善行を積めば天国に行けると考えていましたが、プロテスタントは違います。 

・プロテスタントでは人間が善行を積んでも天国へ行けるとは限らない

プロテスタントでは、「人間がちっぽけな善行をどれだけ積んだとしても、天国に行けるようになるわけではない。人間の目から見た善行が、神にとっての善行とは限らない。天国に行けるかどうかは、人間があずかり知らぬところで決められている」と考えたのです。

③人間から見た善行が神にとっての善行とは限らない

人間の目から見た善行が神にとっての善行とは限らない、とは、どういうことでしょうか?

・イエスは神の子だったが律法学者たちに罰せられた

イエス・キリストそれは、イエスがユダヤ教のあり方を批判したことで磔にされ、処刑されたことを考えると理解しやすいかもしれません。イエスは神の子でしたが、当時の民衆の多くは、そのことを信じませんでした。むしろ、ユダヤ教の律法学者はイエスを激しく批判しました。けれど現在のキリスト教徒は、イエスが神の子であることも、彼が唱えた教えも信じています。

④「予定説」は教会が腐敗していた時代に生まれた

免罪符photo by Jastrow

なぜ「予定説」のような考え方が生まれたかといいますと、当時のカトリック教会の腐敗のひどさが原因の一つです。

・予定説が生まれた原因の一つが「免罪符」だった

当時のカトリック教会は、資金集めの一環として免罪符を売っていました。本来必要な懺悔や巡礼などを行わなくても、免罪符を買うことで罪が赦されるというのです。

・真面目なキリスト教徒ほど教会に疑問を持った

お金を払うことで免罪され、罪がなかったことになるのであれば、地道な修行や信仰生活を送ることが馬鹿馬鹿しく思えてしまうのは無理もありません。むしろ真面目なキリスト教徒ほど、教会の姿勢に疑問を持ちました。「予定説」は、そんな時代背景の中で生み出された考え方なのです。

⑤プロテスタントでは布教を行わない

カトリックとプロテスタントには、もう一つ、大きな違いがあります。それは、プロテスタントでは異教徒への布教を行わないということです。

・「バテレン追放令」で弾圧されたのはカトリックだけ

歴史の授業で、戦国時代の日本では「バテレン追放令」というものが出されてキリスト教が弾圧されたと習ったのを覚えている人は多いのではないでしょうか。正確には、当時弾圧されたのはカトリックのみであり、プロテスタントは禁止されていませんでした。これは、プロテスタントの人はキリスト教の布教を行わなかったためです。

⑥プロテスタントが布教をしないのは「予定説」があるため

プロテスタントでは布教を行わない理由には、ここまで説明してきた「予定説」が深く関わっています。

・キリスト教に巡り合っていない時点で天国へは行けない

キリスト教では、正しい教え(キリスト教)に巡り合わなかった人は地獄行きとされています。そのため、カトリックでは一人でも多くの人を救うために布教を行うのですが、「天国へ行ける人はあらかじめ決められている」と考えるプロテスタントでは、そもそもキリスト教に縁がない人は天国へ行く資格がないと考えるので、布教する必要がないのです。

⑦グノーシス派にも「予定説」に似た概念がある

長い間、キリスト教で異端とされていたキリスト教グノーシス派にも、実は「予定説」に似た考え方があります。

・グノーシス派では人間を二種類に分けた

グノーシス派では、人間を「不死の世代」と「死を免れない生まれの者」の二種類に分けています。「不死の世代」は、死んだ後も魂だけで存在することができる人たちを指し、「死を免れない生まれの者」とは死んだ後そのまま消滅し、魂が残らない人たちのことです。信仰を持たない普通の人は「死を免れない生まれの者」に属します

・天国へ行けるのは「不死の世代」の人たちだけ

この二者のうち、死後に天国へ行くことができるのは、「不死の世代」に属する人たちだけなのです。「予定説」に似ていますね。

⑧精神世界に関心があればいつか天国へ行ける

ではどうすれば、天国へ行ける人とそうでない人を見分けられるのでしょうか?

キリスト教の場合は、洗礼を受けてキリスト教徒となった時点で天国へ行く資格を得られたと考えます。とはいえ、キリスト教徒が少ない日本で、この教義をそのまま信じることに抵抗がある人は多いのではないでしょうか。

・精神世界への関心があれば、いつかは天国へ行ける

個人的には、スピリチュアルや精神世界に興味がある人は、天国に行く資格を持っているのではないかと思います。精神世界に興味を持ってさえいれば、いつか正しい教えに辿り着くことができるのですから。

 

最後に

ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。
プロテスタントの「予定説」について、理解することができたでしょうか?「天国へ行ける人とそうでない人はあらかじめ決められている」という文言はショッキングですが、キリスト教という枠を外して考えてみると、理解できる部分も多いのではないでしょうか。

キリスト教の予定説の要点は

  • ①予定説とは「天国に行けるかどうかはあらかじめ決まっている」という考え方
  • ②善行を積めば天国へ行けるとは限らない
  • ③人間から見た善行が神にとっての善行とは限らない
  • ④「予定説」は教会が腐敗していた時代に生まれた
  • ⑤プロテスタントでは布教を行わない
  • ⑥プロテスタントが布教をしないのは「予定説」があるため
  • ⑦グノーシス派にも「予定説」に似た概念がある
  • ⑧精神世界に関心があればいつか天国へ行ける

ということでした。
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。

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キリスト教
この記事のライター

スピリチュアルライター。仏教校出身ということもあり、昔から精神世界や宗教、心理学などへの興味関心を強く持っていました。2012年頃から様々な神秘体験やチャクラが開く体験などを経験し、精神世界の勉強を再開。仏教やキリスト教などの教義を、現代人に分かりやすく解説するのが得意です。

水城 信乃(みずき しの)をフォローする
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