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	<title>六道 | Spiritual Media</title>
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	<description>Spiritual Mediaは、皆様をスピリチュアルな精神世界へいざない、今世を幸せに生きるヒントをご紹介致します。</description>
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		<title>仏教における「阿修羅道」とは何か？分かりやすく解説します</title>
		<link>https://spiritual-media.pink/ashurado/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[槐 隆久]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 Jan 2019 23:00:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[魂]]></category>
		<category><![CDATA[霊]]></category>
		<category><![CDATA[阿修羅道]]></category>
		<category><![CDATA[六道]]></category>
		<category><![CDATA[阿修羅]]></category>
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					<description><![CDATA[仏教における「阿修羅道」の意味が知りたい方へ。「修羅場」という言葉なら、テレビのニュースで使われています。ハチャメチャなとんでもない光景という意味ですが「阿修羅道」となると、どんな世界なのでしょうか。本記事では仏教における「阿修羅道」とは何か？分かりやすく解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div id="8221attachment_27288243" style="width: 669px" class="wp-caption &#8221;aligncenter&#8221; size-full wp-image-2728"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-8221attachment-27288243" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg" alt="須弥山の概念図" width="1024" height="819" class="size-full wp-image-2727" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-300x240.jpg 300w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-768x614.jpg 768w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-1024x819.jpg 1024w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><p id="caption-8221attachment-27288243" class="wp-caption-text">須弥山の概念図</p></div>
<p>「阿修羅道」のある場所は、須弥山のそばの大海から約３０万キロメートル下にあり、<span class="marker-under-red"><strong>４種類の「阿修羅道」が縦に重なっています</strong></span>。</p>
<ol>
<li>羅睺阿修羅道（らごあしゅらどう）・・・阿修羅道の一番上にある世界です。人間の５００年を１日として５０００歳の寿命があります。ここに住む羅睺阿修羅王の宮殿は、縦横８０万キロメートル、７層の城壁に囲まれ、美しい庭園があり、七宝造りのお城が輝いています。</li>
<li>勇健阿修羅道（ゆうけんあしゅらどう）・・・その下の世界。人間の６００年を１日として６０００歳の寿命があります。</li>
<li>華鬘阿修羅道（けまんあしゅらどう）・・・人間の７００年を１日として７０００歳の寿命があります。<span> </span></li>
<li>毘摩質多羅阿修羅道（びましつたらあしゅらどう）・・・一番下の世界。数として表せないほど長い寿命を持ちます。ここに住んでいるのが、毘摩質多羅阿修羅王ですが、彼には可愛い娘の舎脂（しゃし）がいました。舎脂が帝釈天に嫁いだので帝釈天の義理の父となります。</li>
</ol>
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<!-- 魂記事上レスポ -->
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  <div overflow></div>
</amp-ad></div><h2>③「阿修羅」はもともと天界の神でした</h2>
<p>人間界よりも下の世界であるはずの阿修羅の世界ですが、立派なお城に住み美女に囲まれた生活をしているというのは羨ましい限りです。これには理由があります。<span class="marker-under-red"><strong>もともと阿修羅は、天界の者</strong></span>でした。しかし、帝釈天との抗争の結果破れてしまい、天界を追放されたのです。</p>
<h3><span>帝釈天との抗争</span></h3>
<p>帝釈天との抗争とは、いったいどんな事情があったのでしょう。阿修羅はもともと天界のひとつ忉利天（とうりてん）に住んでいました。そこでの統率者は、神々の帝王である帝釈天（たいしゃくてん）でした。<strong>阿修羅はこの帝釈天に無謀にも戦いをいどんだ</strong>のです。</p>
<p>その戦いのきっかけは、阿修羅の娘に帝釈天が恋をしたことから始まりました。娘の名前は舎脂（しゃし）と言いました。</p>
<h4>阿修羅の娘に恋をした帝釈天</h4>
<p>ある日の事、帝釈天は娘を見かけました。なんという美しさなのでしょう。帝釈天は、娘に話しかけました。<span> </span></p>
<p>「あなたの名前は何というのですか？」<br />
「私は舎脂と言います。阿修羅の娘です」<br />
「阿修羅の娘か、そなたを嫁に欲しい」<br />
「まあ、そんな急なお話、私にはどうして良いか分かりません」<br />
「それなら、私から阿修羅に話をつけよう」</p>
<p>帝釈天は、早速、阿修羅の所に行き、縁談をもちかけました。</p>
<p><span> </span>「あなたの娘を嫁に欲しいのだ」</p>
<p>阿修羅は驚きました。帝釈天は神々の王なのですから、その王から娘を嫁に欲しいと言われ、阿修羅は、これを名誉と思いとても喜びました。</p>
<h4>阿修羅の娘を宮殿に誘拐した帝釈天</h4>
<p>ところが、帝釈天は娘を一刻も早く自分のものにしたいと思い、娘を強引に自分の宮殿に誘拐してしまいました。そうとは知らない阿修羅は娘が行方不明になったと思い心配でたまりませんでした。そこへ娘が帝釈天のところにいることを知らせるものがいました。阿修羅は激怒しました。</p>
<p>「帝釈天が神々の王であっても勝手な行為は許せない」</p>
<h4>帝釈天に戦を仕掛けた阿修羅</h4>
<p>阿修羅は大軍を率いて戦いを挑みました。その回数は何億回にも及んだと言います。阿修羅は、闘争の結果、執念の鬼となります。しかし、強さにおいて帝釈天にかなうはずもありません。この壮烈な戦いは、阿修羅の敗北に終わり天界を追放されてしまいました。<span> </span></p>
<h2>④日本の奈良県興福寺の「阿修羅像」</h2>

<p>奈良の興福寺には、有名な阿修羅像があります。３つの顔と６本の腕を持つ少年のような可憐な像です。それを三面六臂（さんめんろっぴ）と言います。一般的に阿修羅と言えば、戦いの神として憤怒の表情をしています。しかし、興福寺の阿修羅像の表情はどこか憂いがあり、悲しげな思いが伝わってきます。</p>
<h3><span>阿修羅像の作者 将軍万福</span></h3>
<p>この阿修羅像の作者は将軍万福という仏師です。当時、唐からもたらされた「金光明最勝王経」（こんこうみょうさいしょうおうきょう）をもとに造られたと言われています。そこでは、阿修羅は、これまでの罪を懺悔して釈迦に帰依することが説かれています。</p>
<h3><span>光明皇后が阿修羅像の製作を依頼</span></h3>
<p>この阿修羅像は、光明皇后（こうみょうこうごう）が母親の一周忌供養のために造らせたと言われています。光明皇后（７０１～７６０）は、仏教を熱心に信奉して、東大寺大仏の造営や国分寺の建立に寄与しました。また一説では、阿修羅像のモデルは、幼くして亡くなった基（もとい）親王を偲んで、光明皇后が造らせたものとも言われています。</p>
<h2>⑤飛鳥時代は「阿修羅」たちの世界</h2>
<p>飛鳥時代は、皇位継承をめぐって暗殺や謀反の疑いをかけて殺してしまうなど、血みどろの戦いが繰り広げられました。</p>
<p>この時代の最初の「阿修羅」は、蘇我入鹿（そがのいるか）です。</p>
<h3>⑴蘇我氏の横暴</h3>
<p>推古天皇が病死後（６２８年）、後継者争いが始まりました。山背大兄王（やましろのおおえのおう）と田村皇子（たむらのみこ）との争いは、田村皇子が勝利し、舒明天皇となり即位しました。（６２９年）</p>
<p>ところが舒明天皇（じょめいてんのう）が亡くなると（６４１年）、皇后の皇極天皇が即位しました。世間では次の天皇の候補者として、山背大兄王に人望が集まりました。これを苦々しく思った蘇我入鹿（６００年頃～６４５年）は、彼の屋敷を襲い自殺に追い込みました。</p>
<h3>⑵蘇我氏の滅亡</h3>
<p>蘇我氏を滅ぼそうと立ち上がったのは、中大兄皇子（なかのおおえのおうじ）と中臣鎌足（なかとみのかまたり）です。彼は、中臣鎌足とともに乙巳の変（いっしのへん）を起こしました。（６４５年）今で言えば、クーデターです。宮廷内で儀式の最中、剣を抜き、蘇我入鹿に襲い掛かりました。頭に一撃、そして肩に一撃、当時の剣は切ると言うより、刺殺や、相手をたたき割るというような使い方でした。暗殺の光景はさぞや凄まじいものであったことでしょう。</p>
<div class="spiri-" id="spiri-653176814"><a href="https://afi2.vernis.co.jp/link.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" target="_blank" rel="nofollow noopener"><img decoding="async" src="https://afi2.vernis.co.jp/data.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" width="360" height="360" border="0" /></a></div><h2>⑥鬼より恐い阿修羅「中大兄皇子」</h2>
<p>次の「阿修羅」は、中大兄皇子（なかのおおえのおうじ）です。</p>
<p>中大兄皇子は、クーデター後、いきなり天皇とはならずに、孝徳天皇をたて皇太子として政権をにぎりました。すぐに天皇になることは皇族の反感を強め統治の妨げになると予想されたからです。<span> </span></p>
<h3>⑴不運な孝徳天皇<span> </span></h3>
<p>中大兄皇子は、孝徳天皇を立てたにもかかわらず、都の遷都を決めました。（６５３年）孝徳天皇にしてみれば、寝耳に水です。しかし、中大兄皇子は、強引に皇后や皇弟（大海人皇子）を連れて、新しい都の倭京に行ってしまいました。後には誰も残りませんでした。孝徳天皇は失意のまま翌年崩御しました。その後も慎重な中大兄皇子は、天皇にはならず、孝徳天皇の母親が再度即位し、斉明天皇と名乗りました。（６５５年）</p>
<h3>⑵中大兄皇子の陰謀説</h3>
<p>次の天皇の候補としては、孝徳天皇の皇子である有間皇子（ありまのみこ）でしたが、ここであり得ない事態が発生しました。有馬皇子が斉明天皇に対し謀反を計画しているという疑いがかけられたのです。</p>
<p>有馬皇子は、性格が優しく謀反などを考える人ではありません。実は、蘇我赤兄（そがのあかえ）という豪族の口車に乗せられて、謀反の計画に心が動いてしまいます。蘇我赤兄（そがのあかえ）は、すぐに中大兄皇子に密告します。その結果、有馬皇子は謀反の罪により処刑されてしまったのです。（６５８年）</p>
<p>あまりにも速い謀反の発覚でしたので、はじめから蘇我赤兄は中大兄皇子の指示で動いたのではないかという陰謀説があるのです。</p>
<h3>⑶百済の滅亡と斉明天皇の崩御</h3>
<p>そんな時に朝鮮半島で異変が起きました。百済が唐と新羅に滅ぼされたのです。（６６０年）　斉明天皇は、自らも難波から船に乗り筑紫（福岡県）をめざしました。しかし、６６１年、斉明天皇は九州で急死してしまいます。これも中大兄皇子の陰謀とする説があります。</p>
<h3>⑷白村江（はくすきのえ）の戦いでの敗北</h3>
<p>白村江の戦い（６６３年～６６６年）で唐と新羅の軍に敗れてしまいます。中大兄皇子は、延べ３万人近くの軍勢を出しますが、最終的に敗北し、その後の壬申の乱の遠因となります。</p>
<h2>⑦壬申の乱で躍り出る逆転の阿修羅「天武天皇」</h2>
<p>次の阿修羅は、「大海人皇子」（おおあまみこ）、「大海人皇子」は、中大兄皇子の弟です。後の「天武天皇」（てんむてんのう）です。</p>
<h3><span>天智天皇の即位</span></h3>
<p>６６８年、兄の中大兄皇子は、ようやく天智天皇として即位しました。慣例を破って、次の天皇の後継者として、実子の大友皇子（おおとものみこ）を皇太子としました。これに憤慨したのが、天智天皇の弟の大海人皇子（おおあまのみこ）です。しかし、ここはじっと我慢するしかありません。</p>
<h3><span>病に倒れた天智天皇 そして…</span></h3>
<p>天智天皇は、６７１年、病に倒れたという知らせが大海人皇子のもとに届きます。そして弟の大海人皇子を呼び出し、後のことを託そうとしました。しかし、大海人皇子は、これを計略と見破り、わざと断って僧侶となると言って、吉野に逃れました。</p>
<h3><span>天智天皇 暗殺説</span></h3>
<p>６７２年１月、天智天皇が病気で崩御しました。ところが、この死亡も異説があり、天智天皇は、病気などではなく山階（山科）の郷に遠乗りに行ったまま帰らなかったというものです。もしかしたら、暗殺されたのではという陰謀説もあります。</p>
<h3><span>壬申の乱</span></h3>
<p>その年の７月、大海人皇子は吉野を出陣しました。これが壬申（じんしん）の乱です。次々に豪族が大海人皇子の軍勢に加勢しました。朝鮮半島での戦争で多くの犠牲を出し敗北したことから、多くの豪族たちは不満を持っていたので、続々と大海人皇子の軍勢は増えていきました。</p>
<h3>大海人皇子が即位し「天武天皇」</h3>
<p>亡くなった天智天皇の皇子の大友皇子（おおとものみこ）が、いくら呼びかけても西国からは軍勢が集まりませんでした。その結果、大友皇子（おおとものみこ）は、豪族の援軍が得られないまま連戦連敗、終に自決します。（８月）　６７３年、大海人皇子は、即位して「天武天皇」となりました。</p>
<h2>⑧女傑の阿修羅「持統天皇」</h2>
<p>次の「阿修羅」は、女傑の「持統天皇」です。</p>
<p>天武天皇が崩御し（６８６年９月）、表面上は、天武天皇の皇子の草壁皇子（くさかべのみこ）がいますので、問題はないように見えましたが、水面下ではにわかに後継者の争いがうごめいていました。草壁皇子（６６２～６８９年）と、当時評判の高かった同じ天武天皇の皇子の大津皇子（おおつのみこ　６６３～６８６年）が、争う結果となりました。</p>
<h3><span>大津皇子の自害 </span></h3>
<p>天武天皇が崩御して、すぐに奇怪な事件が起きました。川島皇子（かわしまのみこ）が、大津皇子が謀反の計画をしていると朝廷に密告しました。（６８６年１０月２日）大津皇子はすぐに捕らえられ、翌日自宅にて自害しました。<span> </span></p>
<p>宮廷内では、皇后が裏で指示して、川島皇子に讒言（ざんげん）させたのではないかと疑いをもつ人も多く出ました。皇后はすぐに草壁皇子を天皇に即位させることができませんでした。</p>
<h3><span>草壁皇子が亡くなり 皇后が即位し「持統天皇」</span></h3>
<p>しかし、大津皇子の自害からまもなく、６８９年４月に草壁皇子が亡くなりました。この死亡が病気なのかどうかは不明です。後継者がいなくなったので、皇后みずから天皇になることになりました。これが持統天皇（じとうてんのう）です。（６９０年）</p>
<h3><span>持統天皇の政策</span></h3>
<p>持統天皇は、次々と政策を打ち出しました。新しい都の建設や民政においては、戸籍を整備しました。その他、律令国家としての整備など天武天皇の政策を引き継ぎました。宮廷詩人として柿本人麻呂を起用して、天皇をほめたたえる歌を詠ませました。外交関係では、新羅と国交を持ち、唐とは関係を持ちませんでした。</p>
<h3><span>持統天皇の陰謀？高市皇子が突然死亡 </span></h3>
<p>持統天皇は、かねてから自分の孫の軽皇子に譲位したかったのですが、太政大臣の高市皇子（たけちのみこ）が、天武天皇の長男であったので、簡単には行きませんでした。しかし、６９６年に高市皇子が突然亡くなりました。まだ４２歳ぐらいでした。高市皇子は壬申の乱では一番の功労者でした。天武天皇を勝利に導いた実力を高く評価され、次の天皇の候補者として有力視されていました。これも持統天皇の陰謀と言われる所以です。</p>
<h3><span>持統天皇の孫 軽皇子が即位「文武天皇」</span></h3>
<p>こうして、持統天皇は、孫の軽皇子（１５歳）に譲位することに成功し、文武天皇として即位しました。（６９７年）譲位した後も、持統上皇として、政務をとり続けました。７０２年１２月に発病し、２２日崩御しました。<span> </span></p>
<p>一貫して、我が子の草壁皇子、そして孫の軽皇子に皇位を継承させることに人生をかけ、陰謀説もからみながら、その役目も終えてようやく安心してあの世へと旅立ったのかもしれません。</p>
<h2>⑨イケメンの阿修羅「藤原不比等」</h2>
<p>次の「阿修羅」は、藤原不比等（ふじわらのふひと）です。</p>
<p>下級官人から一代で藤原氏の繁栄の礎を作りました。彼の性格は、遠謀深慮（えんぼうしんりょ）です。深く考えをめぐらせ遠い先の未来のことを見通して、着々と計画を進めていきました。</p>
<p>壬申の乱の時、藤原不比等（ふじわらのふひと）は、１３歳でした。政治にはなんら関与していないということで処罰の対象とはなりませんでした。しかし、藤原氏の勢力は一掃され、不比等は下級官人の地位に甘んじなければなりませんでした。</p>
<h3>⑴出生の秘密</h3>
<p>「大鏡」という書物の中の記述として、天智天皇が妊娠中の女御（にょうご）を鎌足に下げ渡す際に、「生まれた子が男ならばそなたの子とし、女ならば朕のものとする」と言ったのです。実際に生まれたのが男子であったので、それが不比等だということになるのです。</p>
<h3>⑵草壁皇子（くさかべのみこ）との出会い</h3>
<p>草壁皇子（６６２～６８９年）は、天武天皇と持統天皇の皇子です。不比等にチャンスが舞い込んだのは、天武天皇の皇子である草壁皇子（くさかべのみこ）に仕えた事から人生が開けてきました。</p>
<h3>⑶持統天皇（じとうてんのう）との出会い</h3>
<p>持統天皇（６４５～７０２年）は、天智天皇の皇女であり、その弟の天武天皇の皇后です。不比等は２９歳の時、持統天皇から判事に任命されました。この時、不比等を持統天皇に引き合わせたのは、県犬養三千代（あがたいぬかいのみちよ）でした。</p>
<h3>⑷県犬養三千代（あがたいぬかいのみちよ）の協力</h3>
<p>不比等は、女性運が強かったようです。不比等の母親は、鏡王女（かがみのおおきみ）という絶世の美女でしたから、不比等はイケメンだったのかもしれません。そして、県犬養三千代の協力で、不比等の娘・宮子（みやこ）を草壁皇子の長男である文武天皇（もんむてんのう）の夫人にすることができました。そして生まれたのが、後の聖武天皇です。</p>
<h3>⑸光明子（こうみょうし）の誕生（のちの光明皇后）</h3>
<p>その後、不比等は県犬養三千代（あがたのいぬかいのみちよ）とも結婚し、光明子（後の光明皇后）が生まれました。光明子は、聖武天皇が皇太子の時に結婚しました。藤原不比等の思惑通りに事が運びました。<span> </span></p>
<h2>⑩悲劇の阿修羅「長屋王」</h2>
<p>文武天皇は、７０７年に崩御し、その後は母親である元明天皇が即位しました。文武天皇の長男である首皇子（おびとのみこ）は、当時７歳でした。藤原不比等は、首皇子をひきとり育てます。そして、不比等の娘の光明子と結婚させました。</p>
<h3><span>藤原不比等の病死</span></h3>
<p>首皇子は、７１４年、立太子されましたが、病弱なため天皇の即位は先延ばしにされました。藤原不比等の野望も今少し先となってしまいましたが、藤原不比等は、７２０年、病死しました。不比等に代わって政権の担当者となったのは、長屋王（ながやのおおきみ）でした。</p>
<h3><span>長屋王の台頭</span></h3>
<p>長屋王は、高市皇子の長男です。不比等が亡くなったので、皇族勢力の巨頭として、政界のトップとなりました。これを面白く思わなかったのは、不比等の４人の子どもたちでした。この４人を藤原四兄弟と言います。</p>
<h3>首皇子が即位「聖武天皇」</h3>
<p>ようやく首皇子が２４歳になり、譲位を受けて聖武天皇として即位しました。（７２４年）長屋王も左大臣に昇進しました。しかし、聖武天皇とはそりが合わず、辛巳事件が起きますが、聖武天皇が折れた形で収まりました。しかし、藤原四兄弟との対立は、ますます深まりました。</p>
<h3><span>長屋王家の中から皇位継承権を持たせる詔勅 </span></h3>
<p>長屋王は、聖武天皇が病弱なことから、長屋王家の中から皇位継承権を持たせる詔勅を出させました。このことは、藤原四兄弟たちの危機感をふくらませる結果となりました。</p>
<p>あせりを覚えた聖武天皇は、光明皇后との間にできた基王（もといおう）を生まれて間もなく皇太子にします。しかし、基王は１歳になる前に亡くなってしまいました。終に藤原系の皇子がいなくなってしまい、藤原四兄弟は追いつめられてしまいました。「こうなったら、長屋王を始末するしかない」と考え、謀略をめぐらしました。</p>
<h3><span>長屋王の自害</span></h3>
<p>中臣宮処東人（なかとみのみやところのあずまびと）が朝廷に、「長屋王は秘かに妖術を学び国家を転覆させようとたくらんでいる」と密告しました。当然これは嘘ですが、藤原四兄弟は、兵をだして長屋王の屋敷を取り囲みました。長屋王は、屋敷内で首をくくって自害しました。</p>
<h3><span>長屋王のたたり </span></h3>
<p>邪魔ものがいなくなり、藤原四兄弟は、光明子を皇后に立て、政権を樹立することができました。しかし、７３７年に流行った天然痘にかかり、４人とも病死してしまいました。これを長屋王のたたりという噂が立ちました。<span> </span></p>
<h2>⑪女傑・則天武后なみの「光明皇后」</h2>
<p>光明皇后（７０１～７６０年）は深く仏教に帰依し、東大寺、国分寺の建立を夫の聖武天皇に進言したと伝えられています。東大寺には有名な盧舎那仏（大仏）が安置されています。</p>
<p>また貧しい人を助けるための施設として、「悲田院」、医療施設として、「施楽院」を作り、慈善事業に力を入れました。仏教の庇護者としていろいろな伝説が伝えられています。</p>
<h3>⑴光明皇后の逸話</h3>
<p>光明皇后が建てた法華寺では、病人治療のために浴室が設置され、「からふろ」と呼ばれました。サウナ風呂のような蒸し風呂のようなものだったようです。光明皇后は、「からふろ」で、千人の人々の汚れをぬぐうという願をたてました。ちょうど千人目が、ライ病患者でした。その膿を吸ってくださいと頼まれました。光明皇后は、勇気を出して重症のライ病患者の膿を吸ったところ、その病人が、たちまち光り輝く阿閦如来（あしゅくにょらい）に変わったという話が残っています。</p>
<h3>⑵政治的な側面</h3>
<p>仏教に厚く帰依した面は伝説的な逸話を残した光明皇后も政治的にはかなりの阿修羅となって権勢をふるいました。皇后となって以後は、藤原氏の子女が皇后になる先例となりました。娘の阿倍内親王の立太子やその後の孝謙天皇としての即位も推し進めました。また、組織を改編し紫微中台（しびちゅうだい）を設置し、皇太后の家政機関の体裁ですが、中身は光明皇太后の信任のもと甥の藤原仲麻呂が長官となり、政治、軍事の中心機関となりました。この機関は光明皇后が亡くなるまで続きました。これは唐の則天武后に倣って、高宗に代わり政治を行う垂簾政治（すいれんせいじ）を実現したものと見られています。</p>
<p><span> </span></p>
<h2>最後に</h2>
<div class="box_red">
<p>ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。<br />
「阿修羅道」の後半は、飛鳥時代の血みどろの阿修羅の世界をご紹介しました。ようやく光明皇后によって、そのような阿修羅の世界も一息つくことになりました。光明皇后は、則天武后に倣い政治の中核となりますが、他方で仏教に厚く帰依をして、貧しいもの病気の人々を救うことも忘れませんでした。光明皇后は、現実世界が、すでに「阿修羅道」だということに気づき、人々を救うことに努めて、より良い現実社会を作ろうとしたのではないでしょうか。</p>
<h3>「仏教における阿修羅道とは何か？分かりやすく解説します」の要点は</h3>
<ul>
<li>①「阿修羅道」とは、戦闘の世界です</li>
<li>②「阿修羅道」の４つの世界</li>
<li>③「阿修羅」はもともと天界の神でした</li>
<li>④日本の「阿修羅像」</li>
<li>⑤飛鳥時代は「阿修羅」たちの世界</li>
<li>⑥鬼より恐い中大兄皇子</li>
<li>⑦壬申の乱で躍り出る逆転の阿修羅「天武天皇」</li>
<li>⑧女傑の阿修羅「持統天皇」</li>
<li>⑨イケメンの阿修羅「藤原不比等」</li>
<li>⑩悲劇の阿修羅「長屋王」</li>
<li>⑪女傑・則天武后なみの「光明皇后」</li>
</ul>
<p>ということでした。<br />
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。</p>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>仏教における「餓鬼道」とは何か？分かりやすく解説します</title>
		<link>https://spiritual-media.pink/gakido/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[槐 隆久]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 Jan 2019 23:00:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[魂]]></category>
		<category><![CDATA[霊]]></category>
		<category><![CDATA[六道]]></category>
		<category><![CDATA[餓鬼]]></category>
		<category><![CDATA[餓鬼道]]></category>
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					<description><![CDATA[仏教における「餓鬼道」の意味が知りたい方へ。「餓鬼道」は、死後の世界のひとつです。「餓鬼」というと「ガキ大将」とかいう言葉を連想しますが、いったいどんな世界なのでしょう。本記事では餓鬼道とは何か？分かりやすく解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>仏教における「餓鬼道」の意味が知りたい方へ。</p>
<p>「餓鬼道」は、死後の世界「<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/rokudo/">六道</a>」の内のひとつです。「餓鬼」というと「ガキ大将」とかいう言葉を連想しますが、いったいどんな世界なのでしょう。</p>
<p>本記事では餓鬼道とは何か？分かりやすく解説します。</p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/rokudo" title="仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img decoding="async" width="62" height="90" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6-206x300.jpg 206w" sizes="(max-width: 62px) 100vw, 62px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">仏教における「六道」という言葉をの意味を調べている方へ。仏教における「六道」とは「あの世」のことです。「あの世」と言えば、「地獄」が思い浮かびますが、それだけではありません。本記事では、仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-media.pink" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">spiritual-media.pink</div></div></div></div></a>
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     data-full-width>
  <div overflow></div>
</amp-ad></div><h2>①「餓鬼道」とは、亡者の世界です</h2>
<p><span class="marker-under-red"><strong>「餓鬼道」とは、生前強欲で物おしみしたり、いくら食べても飽き足らず、食べ物をむさぼり食ったり、嫉妬心が強く他人のことを羨んでねたんだりした者が、死後生まれ変わった時に行く世界のこと</strong></span>です。</p>
<p>そこに堕ちると、ガリガリにやせ細った亡者となり、常に空腹でのどが渇き、食べ物や飲み物を手にすると、たちまちそれらが火に変わるという決して満たされない飢えと渇きにもがき苦しむ世界です。</p>
<p>場所は、須弥山世界の瞻部（せんぶ）州の地下約７千キロメートルの深さのところにあります。</p>
<h2>②餓鬼の３つの種類「無財餓鬼」「少財餓鬼」「多財餓鬼」</h2>
<p>衆賢<span>の著作とされる</span>仏教論書「阿毘達磨順正理論」（あびだつまじゅんしょうりろん）では、「餓鬼道」に堕ちた亡者には、３つの種類があると言います。</p>
<ul>
<li>⑴無財餓鬼・・・まったく食べることができません。何かを食べても、口の中で火となり内臓を焼き尽くされるという苦しみを与えられます。施餓鬼供養などで供えられた食べ物だけは、食べることができます。<span> </span></li>
<li>⑵少財餓鬼・・・少し食べることはできますが、食物として与えられるのは、不浄のものばかりです。</li>
<li>⑶多財餓鬼・・・「餓鬼道」の中では、恵まれた存在です。彼らだけは、例外的に富めることが許されているのです。しかも天界の宮殿にも出入りができます。そこであらゆる楽しみを享受できるのです。もちろん美味しいものも食べることができます。</li>
</ul>
<p>なぜ多財餓鬼は、恵まれているのでしょうか。それは、餓鬼の特性によるものなのです。餓鬼は、満足というものを知りません。物がなくて追い求めるのも餓鬼ですが、いくら物を与えられても、飽き足らないというのも餓鬼なのです。餓鬼の寿命は、１万５千年と言われています。その間ずっと満足することなく生き続けなくてはなりません。</p>
<h2>③「餓鬼道」には３６種類の餓鬼がいます</h2>
<p>「正法念処経」（しょうぼうねんじょきょう）によれば、「餓鬼」は３６種類にもなります。<span> </span></p>
<ol>
<li>鑊身（かくしん）・・・動物を殺した者。目と口は無く火に焼かれる。</li>
<li>針口（しんこう）・・・貪欲な者。口が針のように小さい。</li>
<li>食吐（しょくと）・・・食べても吐いてしまう。</li>
<li>食糞（じきふん）・・・糞尿を食べる。</li>
<li>無食（むじき）・・・どんなものも食べられない。</li>
<li>食気（じっけ）・・・供物の香気だけを感じる。</li>
<li>食法（じきほう）・・・飲食はできず説法だけを聞く。</li>
<li>食水（じきすい）・・・水が飲めない。供えられた水のみ飲める。</li>
<li>悕望（きもう）・・・供物だけ飲食できるが、身はボロボロ、嘆きまわる。</li>
<li>食唾（じきた）・・・人の吐いた物しか食べられない。</li>
<li>食鬘（じきばん）・・・仏のお花の装身具だけしか食べられない。</li>
<li>食血（じきけつ）・・・生物の血液だけしか飲めない。</li>
<li>食肉（じきにく）・・・肉だけは食べられる。</li>
<li>食香烟（じきかえん）・・・供物の香りだけが食物。</li>
<li>疾行（しっこう）・・・墓地を荒らし屍を食べる。</li>
<li>伺便（しべん）・・・人の排便を食べる。</li>
<li>地下（じげ）・・・地下にしか住めず、鬼たちから責め苦を受ける。</li>
<li>神通（じんつう）・・・神通力を持つが、他の亡者の苦しみを見る。</li>
<li>熾燃（しねん）・・・体が燃える火に苦しみ山林を走り回る。</li>
<li>伺嬰児便（しえいじべん）・・・自分の子を殺されて他人の嬰児の命を奪う。</li>
<li>欲食（よくじき）・・・売春したものがなる。食物は盗んで食べる。</li>
<li>住海渚（じゅうかいしょ）・・・商人をだました罪で朝露のみが食物。</li>
<li>執杖（しつじょう）・・・閻魔王の使い走り。風だけが食物。</li>
<li>食小児（じきしょうに）・・・赤ん坊を食べる。</li>
<li>食人精気（じきにんしょうき）・・・人の精気を食べる。</li>
<li>羅刹（らせつ）・・・人を襲い殺害して食べる。</li>
<li>火爐焼食（かろしょうじき）・・・燃え盛る炉心の中で残飯を食べる。</li>
<li>住不浄巷陌（じゅうふじょうこうはく）・・・汚い場所に住み嘔吐物を食べる。</li>
<li>食風（じきふう）・・・風だけが食物。</li>
<li>食火炭（じきかたん）・・・火葬の火を食べる。</li>
<li>食毒（じきどく）・・・毒に囲まれ毒漬けとなる。</li>
<li>曠野（こうや）・・・猛暑の中、水を求めて走り回る。</li>
<li>住塚間食熱灰土（じゅうちょうかんじきねつかいど）・・・灰や土を食べる。</li>
<li>樹中住（じゅちゅうじゅう）・・・木の根元に捨てられたものを食べる。</li>
<li>四交道（しきょうどう）・・・四つ角に住み、鋸に切られ、引き延ばされる。</li>
<li>殺身（さつしん）・・・熱い鉄を飲まされる。</li>
</ol>
<div class="spiri-" id="spiri-3733031116"><a href="https://afi2.vernis.co.jp/link.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" target="_blank" rel="nofollow noopener"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://afi2.vernis.co.jp/data.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" width="360" height="360" border="0" /></a></div><h2>④仏教行事の一つ「施餓鬼」の由来</h2>
<p>「施餓鬼」は、「施餓鬼会」（せがきえ）とも言われ、仏教行事のひとつです。その由来は、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経」（くばつえんくがきだらにきょう）というお経によるといわれています。</p>
<h3>「施餓鬼会」とは</h3>
<p>「施餓鬼会」とは、餓鬼道で苦しむ者たちに食事を施して供養をする法要のことです。その供養で、餓鬼道に落ちている者は救われ、仏の道を歩み、人々を救うと言われています。多くの寺ではお盆の時期になると、「施餓鬼会」を行います。一方、お盆の法要を「盂蘭盆会」（うらぼんえ）と言いますが、「施餓鬼会」と「盂蘭盆会」には違いがあります。「施餓鬼会」とは、餓鬼道で苦しむ者たちに食事を施して供養することで、必ずしもお盆の時期に限定しません。「施餓鬼会」を毎日行う寺もあります。「盂蘭盆会」は、餓鬼道にかかわらず、ご先祖様の御霊の冥福を祈る行事ですので、毎年お盆の時期として、7月13日～16日までに行われます。</p>
<h3>「救抜焔口餓鬼陀羅尼経」による施餓鬼の起源</h3>
<p>釈尊の十大弟子のひとり、阿難尊者（あなんそんじゃ）と言う人がいました。阿難というのは、歓喜という意味の名前です。彼はとても美男子で、時々女性と関係を結ぶので釈迦から出家をなかなか許されず、ヒマラヤ山中に住む長老のウヴァッタの下で修業を積みました。その後、ようやく出家が許されました。</p>
<p>阿難が、一人で瞑想しているときに、焔口（えんく）という恐ろしい餓鬼が現れました。痩せ細った体で口からは火を吐き、髪は乱れて眼光だけがギラギラと光っていました。</p>
<p>「お前は３日後に死んで餓鬼道に落ちるぞ」<br />
「なんということでしょう。私は一生懸命修行しています。どうしたらそのような恐ろしいことから逃れることができるのでしょうか？」<br />
「餓鬼道に住む我々に食物を施すことだ。そうすれば、お前の寿命は延び、我々も苦難を脱することができるのだ」</p>
<p>阿難は、びっくりして釈迦のもとに走り込みました。すると釈迦は、</p>
<p>「観世音菩薩の秘密の呪文を教えてあげよう」</p>
<p>と言い、器に食物を供え、</p>
<p>「この加持飲食陀羅尼（かじおんじきだらに）を唱えなさい」</p>
<p>と言いました。</p>
<p>そう言って、</p>
<p>「のうまく　さらば　たたぎゃた　ばろきてい　おん　さんばら　さんばら　うん」</p>
<p>と唱えました。この呪文の意味は、わずかな食物でも、たちまち多くの美味しい食物に変わり、あらゆる餓鬼を満足させることができるというものです。阿難も教えられた通り、この呪文を唱え、一生懸命拝むと不思議なことに、餓鬼からの災いから救われ、寿命を延ばすことができました。これが施餓鬼の起源とされています。</p>
<h3>「施餓鬼会」の由来</h3>
<p>「施餓鬼会」の由来は、恐ろしい餓鬼に阿難尊者が、施しを与え災難から逃れたことから始まりました。お釈迦様から教えていただいた呪文は、どんな食べ物でも美味しい食べ物に変えてしまうという有り難い呪文でした。餓鬼は美味しい食べ物を食べて供養を施されることで、仏の道を歩むことができるのです。この話にちなんでお寺では、「施餓鬼会」の法要を仏教行事として行うようになりました。</p>
<h2>⑤<strong>幼児を奪い食べ続けていた</strong>「鬼子母神」</h2>
<p>「鬼子母神」（きしもじん）は、現在は安産や子どもを守る神様として信仰されています。これには、深いいわれがあります。</p>
<p>餓鬼は常に「飢え」と「渇き」に苦しみ、どんなに食べても貪欲な食欲が止まらない状態にあります。人間の子どもを捕えては食べていた鬼子母神にも満足はありませんでした。お釈迦様は、鬼子母神が餓鬼道に落ちているのをご覧になり、子を失う母親の悲しみとは、どれほど辛く切ないものであるのか、鬼子母神に教えようとなさいました。次の逸話は、鬼子母神が餓鬼道から抜け出し、子どもを守る神様になったお話です。</p>
<p>鬼子母神のもとの名前は訶梨帝母（かりていも）と言いました。彼女は夜叉毘沙門天の部下で八大夜叉大将の妻でした。子どもが多く千人の子どもを産んだと言うことです。自分の子どもを養うのに栄養をつけるために、近隣に出かけては人間の幼児をとって食べるので人々から憎まれました。</p>
<p>お釈迦様はそれをご覧になって、訶梨帝母（かりていも）の一番末の子どもを隠してしまいました。彼女は嘆き悲しみました。いくら探しても見つかりません。彼女は、お釈迦様に助けを求めました。</p>
<p>「お釈迦様、我が子のひとりが行方不明です。私は心配でたまりません。どうか探し出してください」</p>
<p>お釈迦様は、言いました。</p>
<p>「あなたには、たくさんの子どもがいるではありませんか。ひとりぐらいいなくなっても問題ないでしょう」</p>
<p><span> </span>「いいえ、千人いても子どもは全部可愛いのです。どうかお助けください」</p>
<p>お釈迦様は、優しく言いました。</p>
<p>「あなたのように千人の子どもがいても、たった一人でも失うことは悲しい事に変わりはないのですよ。人の子を食べてしまえば、その父母の嘆きはどんなに深い事かわかるでしょう」</p>
<p>と諭されたのです。</p>
<p>彼女は今までの過ちを悟りました。そして、人の子どもの安産や子育ての神となることを誓ったのです。</p>
<h2>⑥「<strong>死んだ子を諦めきれない</strong>母親の話」</h2>
<p>もうひとつ子どもをなくした母親の話があります。餓鬼道の苦しみの中に執着心があります。子どもを失った母親の悲しみや苦しみがいかに辛いものであっても、死んだ子を生き返らせることはできません。死んだ子どもへの愛情が失われることはありませんが、その子の「生」に対する執着心を捨てて諦めなければならない時があります。仏教では、諦めることを「諦観」（たいかん）と言いますが、ただ諦めるのではなく、原因を明らかにして道理を理解するという意味で使っています。次の逸話は、お釈迦様が、子どもを失った母親の執着心を取り除き仏の道を説いたお話です。</p>
<p>ある日のことです。お釈迦様が街を歩いていると、死んだ子どもを抱きかかえて、何かをわめいている母親に会いました。お釈迦様がそばまで行くと、母親の言っていることが聞こえました。<span> </span></p>
<p>「薬をください。薬をください。」</p>
<p>お釈迦様はお尋ねになりました。</p>
<p>「どうしたのですか？」</p>
<p>「子どもが死にそうなのです。薬が欲しいのです」</p>
<p>お釈迦様が子どもを見るとすでに死んでいました。昔のことですから、流行性の悪い病気が広まれば、たちまち多くの人たちが死んでしまいます。特に小さな子どもは抵抗力もありません。</p>
<p>「子どもはすでに亡くなっている。早く葬ってやりなさい」</p>
<p>そう言われても、母親は言うことを聞きませんでした。自分の子どもは死んでいないから、薬さえあればこの子は元気になると言い張りました。</p>
<p>お釈迦様は、</p>
<p>「それならけしの粒をもらってきなさい。ただし、誰も死人を出していない家のものでなければなりません」</p>
<p>そうと聞いて、母親はけしの粒を探しました。けれども死人を出していない家などありませんでした。疲れ果てて母親はお釈迦様のもとへ帰ってきました。いまだに死んだ子を抱きかかえて、もう生きる元気もないという様子です。</p>
<p>母親の子に対する愛情の深さははかりしれません。お釈迦様もよくわかっていますが、けしの粒が見つかっても、死んでしまった子どもが生き返るわけではありません。</p>
<h3>お釈迦様がけしの粒を探させた理由とは？</h3>
<p>それでは何故お釈迦様は、けしの粒をさがさせたのでしょう。ひとつは、<span class="marker-under-red"><strong>死人の出ていない家がないことを分かってもらうこと</strong></span>です。悲しみはひとりだけではなく他の家のどこの家の母親も抱えていたのです。小さな子どもであれば、お腹が空いてたまらなかったでしょう。死ねば魂となり餓鬼の世界に行くかもしれません。子どもが餓鬼の世界に行かないように母親は供養をしてあげなければなりません。</p>
<p>その母親はお釈迦様の導きで悟りを開き供養に努めたそうです。</p>
<h2>⑦芥川龍之介の小説「羅生門」の中の「餓鬼道」</h2>
<p>「羅生門」は、芥川龍之介の小説です。この小説のもとになったのは、今昔物語の巻第２９第１８話です。今昔物語では、「羅城門」（らじょうもん、らせいもん）芥川龍之介が題名を「羅城門」とせずに「羅生門」としたのは、謡曲の「羅生門」をとったのではないかと言われています。小説の「羅生門」をお読みになった方は多いと思いますが、あらすじを述べてみます。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">※まず餓鬼道との関係は？</span></p>
<h3>「羅生門」のあらすじ</h3>
<p>ある日の夕方、雨が降っていました。羅生門で雨宿りするひとりの男がいました。都は数々の災害で荒れ果てていました。羅生門の壊れ方もひどく修理なども行われず荒れ放題となっていました。そこには引き取り手のない死人を捨てていくのが習慣になっていました。</p>
<p>昼間は死人の肉をついばみに多くのカラスが集まってきます。しかし今は闇につつまれたせいか、カラスも見えません。男は仕事も失いなすこともなく座っていました。しかし、夜の冷え込みは厳しく、男はどこか温かい場所はないかと梯子を登って楼閣の上に行きました。すると誰かが小さな灯りをつけて何かをしていました。</p>
<p>男はいくつもの死体をよけながら、灯りの方へ近づいていきました。するとそこには、ひとりの老婆がいました。なんとその老婆は、若い女性の死体から髪の毛を引き抜いているのでした。男は恐ろしさも忘れて、その老婆に憎悪を感じました。男は、大刀に手をかけながら老婆に大股で歩み寄りました。老婆はびっくりして逃げようとしました。男は老婆を捕まえて、何をしていたかを問い詰めました。老婆は、髪を引き抜きカツラを作るのだと言いました。<span> </span></p>
<p>聞けば、死体の女は、蛇を切り刻んで干し魚だと言って売っていたそうです。老婆はこの女のしたことを悪いことだとは思ってはいないし、自分のしていることも悪いとは思わないと言うのです。そうしなければ、餓死するだけのことは誰でもわかることだからです。</p>
<p>老婆の話を聞いて、男は勇気がわいてきました。「それでは、オレがお前の着物をはぎとっても恨むことはないだろう。オレだって餓死してしまうからな」と言うと、男は、老婆の着物をはぎ取りました。老婆は男の脚にしがみつきましたが、男は老婆を蹴り倒しました。そして、着物を小脇にかかえてまたたくまに梯子を駆け下りました。そして闇の中に消えてしまいました。男は強盗になる決心をして、雨の中、京都の町へ急いで走っていきました。</p>
<h3>羅生門のテーマ「人間が飢えた時に人間らしくいられるか」</h3>
<p>この「羅生門」という小説の中で扱われているテーマは、人間が飢えた時に人間らしくいられるかという問題を私たちに投げかけています。主人公は飢えのために餓死しようかとも考えました。しかし一方で、飢えをしのぐには、餓鬼道に落ちて、人を殺し、物を盗み、それを売って金をつくり、生きていこうかとも迷いました。「生きる」というのは人間の本能です。男は羅生門の屋根裏で、ひとりの老婆が、餓鬼道に落ちて、若い女の死体から髪の毛を抜いているのを見て、老婆を殺そうとします。しかし、老婆は男に対して、生きていくためには、その髪の毛でカツラをつくるのだと開き直りました。男は、ハッとして決心しました。餓鬼道の中で生き抜かなければならないと思ったのでした。男はこの老婆から着物をはぎ取り、逃げていきました。作者の芥川龍之介は、餓鬼道を肯定したのでしょうか。皆さんも是非「羅生門」をお読みになって考えてみてください。</p>
<h2>⑧「捨身飼虎図」<strong>飢えた虎に体を与えた釈迦の前世</strong></h2>
<p>「捨身飼虎図」（しゃしんしこず）とは、法隆寺の玉虫厨子（たまむしのずし）に描かれた絵のことです。この絵のもととなる話は、釈迦の前世でサッタ王子の時の話です。</p>
<h3><span>「捨身飼虎図」による釈迦の前世の話</span></h3>
<p>ある日、サッタ王子が山中を歩いていると、飢えた母親の虎と７匹の子どもの虎がうずくまっていました。そこでサッタ王子は、高い崖に登り、そこから飛び降ります。虎はサッタ王子を食べて生きることができました。この時、天地は王子の行いに感動して褒めたたえました。そして生まれ変わってお釈迦様になったという話です。飢えた者への施しの精神が描かれているのです。</p>
<p>このほかにも釈迦の前世の物語があります。生前、餓鬼道に落ちている者をお救いになり、終に仏陀となられるという過程のお話です。</p>
<p>⑴尸毘王（しびおう）の話・・・釈迦の前世で慈悲深い王の話です。バラモン僧に両眼を与えました。実はそのバラモン僧は、帝釈天で両眼を元に返したということです。この話には、次のような背景がありました。帝釈天は、命が尽きかけていました。世の中に覚者（菩薩となるもの）を探していましたが見つかりませんでした。そこで評判の高い尸毘王（しびおう）を試してみたくなりました。帝釈天は、目の見えないバラモン僧に姿を変えました。僧は目の見えないことを嘆いて、「眼も見えずこの世で何の楽しみがあろうか」と泣き叫びました。尸毘王（しびおう）は、それを聞き、片目をあげました。すると、僧は、「おお、見えた」と喜びましたが、欲が出てきました。「もう片方もくれ」と言いました。尸毘王（しびおう）は、惜しげもなく残りの眼も与えました。バラモン僧のくせに餓鬼道に落ちていたのです。この尸毘王（しびおう）の布施は、帝釈天を喜ばせ、尸毘王（しびおう）が、あの世に転生した時に両眼を返したというお話です。</p>
<p>⑵雪山童子（せっせんどうじ）・・・施身聞偈（せしんもんげ）で知られています。釈迦の前世である童子がヒマラヤで修業していると、羅刹（らせつ）という鬼神が腹をすかせて出てきました。羅刹は、毘沙門天に仕える従者です。地獄の獄卒とともに働いていますが、その性格は気が荒く、人を惑わし人肉を食らうという魔物の性格も持っています。童子は教えを乞いました。すると羅刹は、童子が美味そうに思えてきました。「腹がすいてたまらん」という思いで、童子を騙して食ってやろうと、餓鬼道に落ちた鬼のような形相をして、「諸行無常・是生滅法」と言いました。羅刹は「この教えにはまだ残りがある」と言います。童子はどうしても残りを聞きたいと言いました。すると羅刹は「命と引き換えに教える」と言います。そこで、童子は残りの「生滅滅己・寂滅為楽」という言葉を聞くと投身しました。ところが、この羅刹は、帝釈天が鬼神の姿となって童子を試していたのです。羅刹は帝釈天に姿を変えると、童子の体を受け止めて、「未来に仏となり、我らを救いたまえ」と言った話です。餓鬼道に落ちた者に対し、自己を犠牲にしてまでも布施によって救うという釈迦の前世の話でした。</p>
<h2>⑨「甘露門」<strong>布施を与え餓鬼を救う決心</strong></h2>
<p>お寺の行う行事の中に、「施餓鬼」という法要があります。これは、「餓鬼」に施すための儀式です。浄土真宗を除いてほとんどの各宗で盂蘭盆会（うらぼんえ）に祖先を供養するために行います。</p>
<p>盂蘭盆（うらぼん）というのは、餓鬼道に落ちた亡者が逆さまにつるされる苦しみを取り除くために行う行事です。この行事の由来は、「盂蘭盆経」という経典に、<span class="marker-under-red"><strong>釈迦の弟子の目連が、餓鬼道に落ちた母親の苦しみを除こうとして供養したという伝説</strong></span>があり、それが盂蘭盆会のもとになっています。</p>
<p>施餓鬼の時に、「甘露門」（かんろもん）というお経が読まれます。「甘露」とは、サンスクリット語でアムリタと言います。その意味は、「不死」です。物理的な「不死」ではなく、「悟り」を意味します。</p>
<p>このお経は、餓鬼に食事を与えて、苦しみから救い、人々を悟りの世界に誘うことを誓わせています。お経の内容が長いので、一部を紹介すると次のようになります。</p>
<p>「餓鬼を呼び寄せて、食物を与えましょう。食事をしたら、苦しみを離れて真の自由の境地に達し、天に生まれて楽しみを得てください。そして悟りを得て永久に後戻りしないでください。そして人々を迷いから救い出して悟りの世界に入らせることを誓ってください。」</p>
<p>「餓鬼」を救うだけでなく、「餓鬼」が悟り仏のようになって、多くの人たちを救いなさいというメッセージなのです。悪い事ばかりしないようになだめて、善い行いをしなさいというお寺からの<span>DJ</span>ポリスのような呼びかけに聞こえてきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>最後に</h2>
<div class="box_red">
<p>ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。<br />
「餓鬼道」の世界をご覧になって如何だったでしょうか。餓鬼の種類を見ると、飽くなき欲望の中に苦しむゾンビのように思えますが、私たちの生活の中でも、ついつい好物を食べすぎてダイエットに失敗したり、肝臓の数値（ガンマ<span>GPT</span>）などが悪いのにお酒を飲みすぎてしまったりすることは、心の中に「餓鬼」の心が湧いてくるからです。</p>
<p>私たちの欲望は限りがありません。その意味では私たちも「餓鬼道」にいます。そういう時は、近所のお寺へ行って、「お布施」（お賽銭）を入れて、「どうかお助けください」と仏様にお願いするとスッキリするのではないでしょうか。<span> </span></p>
<h3>仏教における「餓鬼道」の要点は</h3>
<p>①「餓鬼道」とは、亡者の世界です</p>
<p>②「餓鬼」の３つの種類</p>
<p>③「餓鬼道」には３６種類の餓鬼がいます</p>
<p>④「施餓鬼」の由来</p>
<p>⑤「鬼子母神」</p>
<p>⑥「子をなくした母親の話」</p>
<p>⑦「羅生門」の中の「餓鬼道」</p>
<p>⑧「捨身飼虎図」（しゃしんしこず）</p>
<p>⑨「甘露門」</p>
<p>ということでした。<br />
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。</p>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します</title>
		<link>https://spiritual-media.pink/rokudo/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[槐 隆久]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 05 Jan 2019 23:00:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[魂]]></category>
		<category><![CDATA[霊]]></category>
		<category><![CDATA[六道]]></category>
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					<description><![CDATA[仏教における「六道」という言葉をの意味を調べている方へ。仏教における「六道」とは「あの世」のことです。「あの世」と言えば、「地獄」が思い浮かびますが、それだけではありません。本記事では、仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div id="8221attachment_27288243" style="width: 410px" class="wp-caption &#8221;aligncenter&#8221; wp-image-2728"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-8221attachment-27288243" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/d1b03db939f3cf0bb9e73b4c73d83a0a.jpg" alt="土佐光信画『十王図』にある三途川の画" width="480" height="462" class="size-full wp-image-2729" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/d1b03db939f3cf0bb9e73b4c73d83a0a.jpg 480w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/d1b03db939f3cf0bb9e73b4c73d83a0a-300x289.jpg 300w" sizes="(max-width: 480px) 100vw, 480px" /><p id="caption-8221attachment-27288243" class="wp-caption-text">土佐光信画『十王図』にある三途川の画</p></div>
<p>３番目の難関は、「三途の川」（さんずのかわ）です。</p>
<p>最初の秦広王の裁判が終わると、三途の川（さんずのかわ）を渡らなければなりません。三途の川の名称の由来は、「この川を渡るのに三通りの方法がある」というところからきています。</p>
<p>⑴山水瀬（さんすいせ）：罪の浅い人が渡るところ。深さはひざ下まで。<br />
⑵江深淵（こうしんえん）：罪の深い人が渡るところ。急流で深い。<br />
⑶有橋渡（ゆうきょうと）：善人だけが渡れる橋</p>
<p>平安時代までは、善人は三途の川の橋を渡ることができるとされていましたが、室町時代になると、橋にかわって、渡し船になりました。料金は、<strong>「六文」</strong>とされています。昔は、死者の着物のえりに六文銭を縫い込んだりしていました。現在では、紙のお金を棺に入れてあげるようになりました。こうした風習から、<strong>「地獄の沙汰も金次第」</strong>ということわざも生まれました。</p>
<h3><span>最後の難関は、４９日目の裁判 </span></h3>
<p>最後の難関は、４９日目の裁判で「六道」の入り口を選ぶことです。</p>
<p>霊魂は、４９日法要までの間は、まだこの世とあの世の間にいるとされています。有名な<strong>閻魔大王の裁判は、３５日目</strong>です。４９日目に最後の裁判が終わり、死者に裁判官から<strong>６つの鳥居</strong>（とりい）が示されます。この６つの鳥居が「六道」の入り口です。死者はそのどれかを選ばねばなりません。<span> </span></p>
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  <div overflow></div>
</amp-ad></div><h2>③「須弥山」の世界</h2>

<p>いよいよ６つの鳥居を選ぶことになりました。その先に「六道」があるのです。死者は、６つのうちの一つを選ぶと、その先には、大きな<strong>須弥山（しゅみせん）</strong>という山がそびえています。</p>
<p>須弥山は、あの世の世界の中心にあります。須弥山の大きさは広大です。具体的な数値で言うと、直径は太陽の半分ぐらいの大きさです。この<span class="marker-under-red"><strong>須弥山を中心に４つの州と９つの山、８つの海が存在します</strong></span>。</p>
<h3>⑴須弥山の上の世界</h3>
<p>有頂天：宇宙の最上部で如来様の世界</p>
<p>無色界：大自在天様がいる世界</p>
<p>色界：自在天様がいる世界</p>
<p>初禅天：梵天様がいる世界</p>
<p>兜率天：お釈迦様が誕生前にいた世界</p>
<h3>⑵須弥山の下の世界<span> </span></h3>
<p>金輪：黄金の層。表面には大地があり、山や川が形成されています。</p>
<p>水輪：大量の水の層。その厚さは、８９６万キロメートルと言われています。</p>
<p>風輪：円盤状の大気の層。その厚さは１２８０万キロメートルと言われています。円周は、８<span>X</span>１０の５９乗と言われています。</p>
<p>４つの州とは、次の通りです。</p>
<h3>４つの州</h3>
<p>東の勝身（しょうしん）州</p>
<p>西の牛貨（ごか）州</p>
<p>南の瞻部（せんぶ）州</p>
<p>北の俱盧（くる）州</p>
<h3><span>９つの山と８つの海</span></h3>
<p>また９つの山と８つの海とは、</p>
<ul>
<li>持双山（じそうせん）</li>
<li>持軸山（じじくせん）</li>
<li>檐木山（えんぼくせん）</li>
<li>善見山（ぜんけんせん）</li>
<li>馬耳山（ばじせん）</li>
<li>象耳山（ぞうじせん）</li>
<li>尼民達羅山（じみんだつらせん）</li>
<li>鉄囲山（てつちせん）</li>
</ul>
<p>があり、そのまわりに９つの海が取り囲んでいます。</p>
<h3>一世界</h3>
<p>仏教では、このような<span class="marker-under-red"><strong>須弥山を中心とした世界を一世界（または小世界）</strong></span>としています。一世界が１０００個集まったものを小千世界といい、小千世界が１０００個集まったものを中千世界といい、中千世界が１０００個集まったものを大千世界といいます。これらを総称して三千大世界といいます。また１０億個の須弥山世界のことを十万億土ともいいます。</p>
<h2>④仏教の六道輪廻の世界は、なぜ６つなのか</h2>
<p>六道輪廻の世界がある須弥山の成り立ちは、古代インドの世界観に基づいています。</p>
<p>古代インドにおいて輪廻の思想は、仏教以前にバラモン教の教えにも「五趣」（ごしゅ）、「五道」（ごどう）という輪廻思想がありました。</p>
<ul>
<li>「天界」</li>
<li>「人間」</li>
<li>「畜生」</li>
<li>「餓鬼」</li>
<li>「地獄」</li>
</ul>
<p>の５つです。バラモン教は、とても厳しい教えでカースト制度と結びつきました。</p>
<h3>バラモン教とカースト制度</h3>
<p>⑴バラモン（司祭階級）<br />
⑵クシャトリア（王族、武士階級）<br />
⑶バイシャ（庶民階級）<br />
⑷スードラ（奴隷階級）</p>
<p>このカースト制度においては、いったんカーストに生まれてしまうと死ぬまで、そのカーストから逃れられないという過酷なものでした。バラモン教を熱心に信仰したものは、次に生まれ変わった時に、上のカーストに生まれ変わるということは許されましたが、最下位のスードラは、生まれ変わってもスードラにしか生まれないという教えでした。</p>
<p>それに疑問を持ち、社会の底辺の人々を救済するために新しい宗教を創始したのがシャカムニ・シッダッダでした。（紀元前５世紀）</p>
<h3>仏教とバラモン教の違い</h3>
<p>仏教においても、この輪廻転生の思想が取り入れられましたが、バラモン教との違いは、<span class="marker-under-red"><strong>「阿修羅道」が、ひとつ増えて「六道」となりました</strong></span>。「阿修羅」は、<strong>ゾロアスター教</strong>の最高の神である<strong>アフラ・マズダー</strong>です。阿修羅道というのは、六道の世界では、戦いにあけくれる者たちが生まれ帰る場所としています。</p>
<h3>ゾロアスター教との対立</h3>
<p>「阿修羅道」を加えた経緯については、ゾロアスター教との対立があったことに起因しているとみられています。仏教が広範囲に伸び、アフガン地方にまで盛んになるにつれて、古くから存在するゾロアスター教との対立が深まりました。インドの外の世界にあったゾロアスター教ですが、仏教の世界観からは、全てを抱合する宇宙として、彼らの存在を取り入れたものとされています。</p>
<p>阿修羅道が戦いの世界であるのは、ゾロアスター教が善悪二元論の教義を持ち、アフラ・マズダーは善神と悪神との戦いを支配する最高神だからです。</p>
<h2>⑤「六道」のある場所</h2>
<p>「六道」がある場所は次の通りです。</p>
<p>⑴「天道」・・・須弥山の中腹から上空に２８天存在します。<br />
⑵「人道」・・・東西南北の４つの州、贍部州（せんぶしゅう）、勝身州（しょうしんしゅう）、牛貨州（ごがしゅう）、俱盧州（くるしゅう）に存在します。<br />
⑶「阿修羅道」・・・須弥山を囲む大海の下、約３０万キロメートルの深さのところにあります。<br />
⑷「畜生道」・・・動物となる世界。人道と同じ世界にあり、海と空を含みます。<br />
⑸「餓鬼道」・・・瞻部（せんぶ）州の地下約７千キロメートルの深さのところにあります。<br />
⑹「地獄道」・・・瞻部（せんぶ）州の地下約５万キロメートルの深さのところにあります。</p>
<div class="spiri-" id="spiri-1942130983"><a href="https://afi2.vernis.co.jp/link.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" target="_blank" rel="nofollow noopener"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://afi2.vernis.co.jp/data.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" width="360" height="360" border="0" /></a></div><h2>⑥「六道」における業と因果応報とは</h2>
<p>生前、殺人をすると「地獄道」に輪廻転生します。それは、殺人と言う悪い業（ごう）を持ったからです。業によって、次の輪廻転生する場所が決まります。それを<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/ingaouhou/"><strong>因果応報</strong></a>と言います。</p>
<p>生前の行為を業（ごう）と言います。業は、カルマを漢訳したものです。悪業をすれば、その罰のために「地獄道」に落とされてしまうのです。簡単に言うと、<span class="marker-under-red"><strong>悪い業（カルマ）が、悪い結果をもたらす</strong></span>ということです。それを因果応報と言います。因果応報とは、良い結果であれ、悪い結果であれ、その原因をつくったのは、自分だという考え方です。「因果」というのは、原因と結果の意味です。</p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/ingaouhou" title="仏教用語「因果応報」の意味を分かりやすく解説します" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="160" height="70" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/46cf77fec34a94c20b697330945bf4cf.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/46cf77fec34a94c20b697330945bf4cf.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/46cf77fec34a94c20b697330945bf4cf-300x132.jpg 300w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/46cf77fec34a94c20b697330945bf4cf-768x337.jpg 768w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/46cf77fec34a94c20b697330945bf4cf-1024x449.jpg 1024w" sizes="(max-width: 160px) 100vw, 160px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">仏教用語「因果応報」の意味を分かりやすく解説します</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">仏教用語の「因果応報」という言葉の意味を知りたい方へ。人生で一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。いつの間にか、私たちの周りで一般的に使われる身近な言葉となりました。 本記事では、仏教用語の「因果応報」という言葉の意味をご紹介します。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-media.pink" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">spiritual-media.pink</div></div></div></div></a>
<h2>⑦業（カルマ）の法則とは</h2>
<p>業（ごう）は、サンスクリット語のカルマです。悪いカルマを持つと、次に生まれ変わった時に望ましくない結果となります。それをカルマの法則と言っています。因果応報の原因となる業（カルマ）について分かりやすく説明します。</p>
<p>仏教では、業（カルマ）を３種類に分けています。</p>
<h3><span>業（カルマ）</span></h3>
<ul>
<li>身業（しんごう）：体で行うこと</li>
<li>口業（くごう）：口で語ること</li>
<li>意業（いごう）：心で思うこと</li>
</ul>
<p><span class="marker-under-red"><strong>カルマの意味は、簡単に言うと「行動」</strong></span>です。生前に善い行いをしていれば、来世で好ましい結果が得られるという考え方です。反対に悪い行いは来世では好ましくない結果が現れることになります。</p>
<p>ことわざの中でも「<strong>蒔いた種は刈らねばならぬ</strong>」と言われますが、生前、自分で蒔いた種は、来世において自分で刈り取らなければならないのです。そのカルマの重さによっては、永遠にその因果応報から逃れることができないのです。</p>
<p>因果応報において、カルマが因となりエネルギーとなり、果を生み出します。因により生じたエネルギーは消えることはありません。このように永遠に因果応報から逃れられないのが<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/karmanohosoku/">カルマの法則</a>です。</p>
<h3>「カルマ」とは人間の持つ魂に与えられた課題</h3>
<p>これを運命論的に悲観的に考えるか、それとも前向きに考えるかによって、次の生まれ変わりの人生も変わってきます。良い結果を受けるためには、どんな不幸な人生であっても人生に学び、感謝し、霊的に成長し、進化しなければならないのです。それは一回の人生で終わるとは限りません。何回も生まれ変わるなかで、霊的に成長をしていかなければならないのです。<span class="marker-under-red"><strong>「カルマ」とは人間の持つ魂に与えられた課題</strong></span>なのです。</p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/karmanohosoku" title="カルマの法則とは何か？その本当の意味を解説" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="160" height="90" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2016/11/47d695c79d5a67ee847af9debd51f345.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2016/11/47d695c79d5a67ee847af9debd51f345.jpg 640w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2016/11/47d695c79d5a67ee847af9debd51f345-300x169.jpg 300w" sizes="(max-width: 160px) 100vw, 160px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">カルマの法則とは何か？その本当の意味を解説</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">カルマの法則とは何か知りたい方へ。基本的な意味と、カルマの法則はわたしたちの人生にどのように影響していて、どう向き合っていくべきものなのかについて、具体例なども挙げながらわかりやすく紐解いてゆきましょう。この記事では、深層心理セラピストの斎木サヤカが、カルマの法則とは何かその意味を分かりやすく詳しく解説致します。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-media.pink" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">spiritual-media.pink</div></div></div></div></a>
<h2>⑧阿毘達磨俱舎論（六道輪廻の世界のなりたちについて）</h2>
<p>仏教の因果応報については、阿毘達磨俱舎論（あびだつまくしゃろん）という経典に詳しく書かれています。釈迦が生まれてから、その成立に至るまで千年近くかかっています。</p>
<p>シャカムニ・シッダッダ（紀元前５世紀）すなわち<strong>仏陀（ブッダ）の教えは、死後、弟子たちによって教説としてまとめられました。それがアーガマ（阿含経）です</strong>。仏陀（ブッダ）の説く真理は、ダルマと呼ばれました。そして「ダルマ（真理）の研究」のことを<strong>アビダルマ</strong>と呼びました。</p>
<h3>アビダルマ・コーシャ・バーシャ</h3>
<p>しかし、その後時代の経過とともにいくつかの仏教僧団に分かれたため、ダルマ（真理）の研究も統一性を失っていきました。４～５世紀にインドの仏教徒であるヴァスバンドゥ（世親）が著した名著「<strong>アビダルマ・コーシャ・バーシャ</strong>」で、「シャカムニ・ブッダの教え」をひとつの思想体系としてまとめ上げました。後に漢訳されて、<span class="marker-under-red"><strong>阿毘達磨俱舎論（あびだつまくしゃろん）</strong></span>となりました。</p>
<p>私たちが六道輪廻の世界を知ることができるのは、この阿毘達磨俱舎論（あびだつまくしゃろん）があるおかげです。</p>
<h3>サットヴァ・カルマ</h3>
<p>俱舎論の中で、「宇宙の成り立ち」について、宇宙は創造主によるのではなく、「サットヴァ・カルマ」によって生じたものとしています。<strong>「サットヴァ・カルマ」とは、「有情」</strong>と漢訳されています。</p>
<p>「有情」とは、生物、動物のことです。<span class="marker-under-red"><strong>「サットヴァ・カルマ」とは、生きる者のカルマという意味</strong></span>です。生きる者の方が先にあるというのは不思議な世界ですが、宇宙には、生命体を生み出すエネルギー的存在があったと解釈することができます。科学的には宇宙にあるダークマター（暗黒物質）のようなものではないかと思います。</p>
<h3>六道輪廻の世界のなりたち</h3>
<p>「サットヴァ・カルマ」により微風が吹き、風輪ができ、次第に水輪ができ、金輪ができ、大地ができ、須弥山という自然界が出来上がりました。その後、天上の世界ができあがり、最後に地下の地獄の世界も出来ました。こうして六道輪廻の世界は出来上がったのです。</p>
<h2>⑨仏教における「善悪」の考えかた</h2>
<p>仏教における善と悪という概念は、私たちが普通に考える善悪ではありません。私たちは、どちらかというと「勧善懲悪」的にものごとを考えてしまいますが、仏教の善悪はそうではないのです。</p>
<h3>⑴善悪とは・・・</h3>
<p>仏教において、善悪とは相対的な考えであって、ひとつの行為が善であったり、悪であったりするということです。すると、いくら自分で善い行いをしていると思っていても、それが勝手な思い込みである場合、結果として悪いものとなってしまうのです。<span> </span></p>
<h3>⑵無記とは・・・</h3>
<p><span class="marker-under-red"><strong>仏教では、善も悪もないという「善悪無記論」という説があります</strong></span>。釈迦がある問いに対して回答を避けたということから経典に記すことができなかったことから「無記」という表現がとられました。<strong>釈迦は、仏道修行に役に立たない問題を「無記」としたのです</strong>。従って、仏教の倫理価値には、善と悪と無記という３つの概念が生まれました。</p>
<p>人間の生前の業（カルマ）の善と悪によって原因が作られ、その結果、来世の状態がもたらされます。いわゆる因果応報です。「善因善果、悪因悪果」とか、「自業自得」という言葉で一般に知られています。</p>
<p>ところが、俱舎論の中では、因果応報は、「善因楽果、悪因苦果」とされています。なぜ「善因善果」とならずに「善因楽果」なのでしょう。</p>
<h3>俱舎論では因果応報によって生じた「結果」は「中性」</h3>
<p>俱舎論では、<span class="marker-under-red"><strong>因果応報によって生じた「結果」は、道徳的な意味で「中性」</strong></span>だと言っています。「善」でも「悪」でもありません。しかし、本人にとっては、<strong>「好ましい楽な状態」にはなる</strong>と言うのです。</p>
<p>この問題も私たちには難問です。「善因善果」とならなければ、現在、「善」をする気持ちが薄くなりかねません。これは、仏教において、「善」の概念が厳しいものだからです。</p>
<h2>⑩六道輪廻から脱出するには</h2>
<p>仏教の説く世界とは、二つの構造を持っています。</p>
<p>⑴輪廻する世界・・・六道輪廻の世界<br />
⑵輪廻しない世界・・・西方極楽浄土の世界</p>
<p>輪廻する世界とは、六道輪廻の世界です。たとえ生前、一生懸命修行に勤めても、死後に閻魔大王から、どのような裁断が下されるのか知ることはできません。その結果、六道のいずれかの世界に放り出されることもあるのです。</p>
<h3>西方極楽浄土の世界</h3>
<p>一方、輪廻しない世界とは、<strong>西方極楽浄土の世界</strong>です。阿弥陀如来が創った仏国土とされています。「南無阿弥陀仏」（なむあみだぶつ）と唱えるだけで西方極楽浄土に行くことができるとされています。</p>
<p>人は必ず死にます。普段は「死」に対する恐怖というものは感じることなく生活していますが、何か重篤な病にかかってしまったりすると、いっぺんに死が身近に感じられます。</p>
<p>しかし、よく考えてみると、死への恐怖とは、痛みとか苦しみよりも、死後の未知の世界に対する恐怖の方が強いのです。<strong>タナトフォピアという病気</strong>があります。死を恐れる病気です。１９５０年代にフロイトが、死の恐怖を訴える人々を表す言葉として造った言葉です。</p>
<h3>「死後とは、それで終わりではない」</h3>
<p>死を恐れすぎると、喪失の恐怖から不眠症や自殺さえも考えるようになってしまいます。人生をもっと楽天的に考えるというのも解決のひとつですが、死後の世界に向き合ってみるというのも解決のひとつになるでしょう。<span class="marker-under-red"><strong>「死後とは、それで終わりではない」</strong></span>という意識になれば、次の生まれ変わりに備えて、心構えも変わってきます。</p>
<p><span> </span></p>
<h2>最後に</h2>
<div class="box_red">
<p>ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。<br />
物理学者のホーキング博士がお亡くなりになったことが報道されました。筋萎縮性側索硬化症と闘いながら、宇宙の研究を続けました。２１歳で発症し、余命はわずか２，３年と言われながらも７６歳まで生きました。彼はその後、何年もかけて「ブラックホール放射の理論」を完成させました。彼は、科学者ですので、「あの世」とか、「輪廻転生」を信じてはいません。彼自身も、「人間はコンピューターのようなもので、機械が止まれば、それで終わり」と言っていました。</p>
<p>あるジャーナリストが、彼にインタヴューしました。</p>
<p><span> </span>「あなたの脳をコンピューターに移植して、その中で生まれ変わって思考できるとしたら、それに興味はありますか」</p>
<p>と問いかけました。すると彼はにっこり微笑んで否定はしませんでした。科学的に可能ならば、コンピューターの中で生きる方が、六道輪廻の世界より快適なはずです。移植可能な近未来の世界においては、六道輪廻の世界に生まれ変わりたくない人は、自分の脳をコンピューターに移植することを考えるのではないでしょうか。</p>
<p>以上、最後までご覧頂き、有難うございました。</p>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>仏教における「地獄道」とは何か？分かりやすく解説します</title>
		<link>https://spiritual-media.pink/jigokudo/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[槐 隆久]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 17 Jan 2019 23:00:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[魂]]></category>
		<category><![CDATA[霊]]></category>
		<category><![CDATA[六道]]></category>
		<category><![CDATA[地獄道]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://spiritual-media.pink/?p=2833</guid>

					<description><![CDATA[仏教における「地獄道」の意味が知りたい方へ。私たちのまわりにも「地獄」がたくさんあります。「地獄道」では、仏教の教えでもって、地獄界からどのようにすれば、別の楽な世界に行かれるかを説いています。本記事では仏教における「地獄道」とは何か？分かりやすく解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div id="8221attachment_27288243" style="width: 669px" class="wp-caption &#8221;aligncenter&#8221; size-full wp-image-2728"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-8221attachment-27288243" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg" alt="須弥山の概念図" width="1024" height="819" class="size-full wp-image-2727" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-300x240.jpg 300w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-768x614.jpg 768w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-1024x819.jpg 1024w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><p id="caption-8221attachment-27288243" class="wp-caption-text">須弥山の概念図</p></div>
<h3><span>八大地獄</span></h3>
<ul>
<li>⑴等活地獄（とうかつじごく）</li>
<li>⑵黒縄地獄（こくじょうじごく）</li>
<li>⑶衆合地獄（しゅうごうじごく）</li>
<li>⑷叫喚地獄（きょうかんじごく）</li>
<li>⑸大叫喚地獄（だいきょうかんじごく）</li>
<li>⑹焦熱地獄（しょうねつじごく）</li>
<li>⑺大焦熱地獄（だいしょうねつじごく）</li>
<li>⑻阿鼻地獄（あびじごく）・・・無間地獄（むけんじごく）とも言います。</li>
</ul>
<p>これらの八大地獄は、八熱地獄とも言われ、高熱の炎で焼かれ苦しみます。そのほかに<span class="marker-under-red"><strong>八寒地獄</strong></span>があります。それぞれに１６ずつの小地獄があるので、やはり合計１２８の小地獄が付いています。</p>
<p>この地獄の世界には、地獄の鬼たちが住んでいます。彼らは、地獄に落とされた罪人たちに限りなく厳しい罰を与えるのです。</p>
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<!-- 魂記事上レスポ -->
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  <div overflow></div>
</amp-ad></div><h2>①「等活地獄」とは</h2>
<p>地獄の世界の最上階にあるのが「等活地獄」（とうかつじごく）です。</p>
<p>「等活地獄」は、想地獄とも言います。八大地獄の中では一番上にあります。<span class="marker-under-red"><strong>生前に生き物をむやみに殺したものたちが、落ちる場所</strong></span>です。</p>
<p>この地獄は、殺し合いの世界です。お互いにつかみ合い、噛みつき合い、さながら獣と化して殺し合うので肉は削られ、骨はくだけ落ち、原形がなくなってしまいます。</p>
<p>それに加えて、牛頭（ごず）と馬頭（めず）という恐ろしい獄卒がいて、罪人を見つけると鉄の棒で打ち砕くという罰が待っています。</p>
<h3>何度もよみがえり、殺し合いを続ける</h3>
<p>しかし、どんなに殺し合っても完全に死ぬわけではありません。<span class="marker-under-red"><strong>屍のように倒れていても、地獄の風が吹くと、不思議に怪しい精気が戻り、ゾンビのように立ち上がり、また殺し合いを始めます</strong></span>。</p>
<p>この地獄の１日は、人間世界の５００年にあたります。この地獄での寿命は、５００年とされています。この苦しみを人間世界の時間に換算すると約１兆６千億年となります。</p>
<h2>②「黒縄地獄」とは</h2>
<p>次の下の階は、「黒縄地獄」（こくじょうじごく）です。</p>
<p>ここには、<span class="marker-under-red"><strong>殺生と盗みの罪を犯した者が落ちる場所</strong></span>です。八大地獄では２番目の地獄です。</p>
<h3>切り刻まれる世界</h3>
<p>黒縄という黒い色の付いた縄で体に升目状の線を付けられて、その線に沿って、切り刻まれると言う世界です。獄卒たちは、罪人たちを熱い鉄の板の上に押し倒し、さらに熱く焼けた鉄の針金を使い体に黒い焼け焦げた線を付けていきます。獄卒たちは、鋸や刀を使って、線に沿って切り裂いていきます。</p>
<p>また一方では、熱した鉄板と鉄網に挟まれ、熱した鉄の縄でできた衣服を無理やり着せられたりします。</p>
<h3>苦しみは等活地獄の１０倍、苦しみの時間は８倍</h3>
<p>肉体が切り刻まれ、それで終わりかと思えばそうではありません。<span class="marker-under-red"><strong>細かくされた肉片は、この地獄の世界に吹く風によって、元通りの人間に戻ってしまう</strong></span>のです。元通りになった肉体を再度、升目が付けられ切り刻まれます。その他にも釜ゆでの刑や鉄釜に入れられ油で焼かれるという刑もあります。この<strong>苦しみは等活地獄の１０倍、そして苦しみの時間は、８倍</strong>と言われています。ここでの刑期は、人間の世界の約１３兆年とされています。</p>
<h2>③「衆合地獄」とは</h2>
<p>その下の階は、「衆合地獄」（しゅうごうじごく）です。</p>
<p>ここは邪淫（じゃいん）の罪で落ちた者がいるところです。</p>
<ul>
<li>罪人は、<span class="marker-under-red"><strong>獄卒たちに追い立てられて、鉄でできた山々の峡谷に閉じ込められます</strong></span>。逃げたと思った瞬間に、峡谷が閉じるように罪人たちを挟み込んでしまいます。罪人たちを押しつぶすことで、「<strong>堆圧地獄</strong>」（たいあつじごく）とも言われます。</li>
<li>また一方では、平らな岩石の上に罪人たちを追い込んで、獄卒たちが岩石を落として押しつぶしています。その他には、鉄の大きな臼があり、罪人たちを磨り潰しています。</li>
<li>煮えたぎる赤銅（しゃくどう）の河では、罪人たちは長い竿についた鉤（かぎ）にひっかけられて、河のなかに放り込まれています。</li>
<li>丘の上には、たくさんのサボテンのような木が生えていて、その木の葉がカミソリの刃のように鋭く光っています。そして、この木の上には絶世の美女がいて手招きしています。</li>
<li>生前、淫乱な生活をしていたものにとっては、たまらない魅力のある女性が目の前の木の上から呼んでいるのです。痛さをこらえて木を登り始めます。ところが、鋭い木の葉が容赦なく体を切り刻みます。やっとのことで木の上まで上り詰めると、何と言うことでしょう。美女は既に木の上にはいません。あたりを見回すと、木の下で手招きしています。仕方がありません。今度は降りると、また美女は木の上にいるのです。こうして何度も繰り返してサボテンの木を登り降りしなくてはならないのです。</li>
</ul>
<div class="spiri-" id="spiri-2563445130"><a href="https://afi2.vernis.co.jp/link.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" target="_blank" rel="nofollow noopener"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://afi2.vernis.co.jp/data.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" width="360" height="360" border="0" /></a></div><h2>④「叫喚地獄」とは</h2>
<p>「叫喚地獄」（きょうかんじごく）とは、飲酒の罪を犯したものが落ちるところです。</p>
<p>地獄の番人である牛頭（ごず）や馬頭（めず）に金ばさみで口をこじ開けられ、酒ではなくドロドロに溶けた銅の液体を流し込まれるのです。</p>
<h2>⑤「大叫喚地獄」とは</h2>
<p>「大叫喚地獄」（だいきょうかんじごく）とは、嘘をついたものが落ちるところです。</p>
<p>この者たちは、熱い鉄の針で唇と舌を突き通されます。あるいは熱い鉄のハサミで舌を抜かれます。しかし、不思議なことに舌がまた生えてきます。何度も何度も熱い鉄のハサミで舌を抜かれてしまうのです。</p>
<h2><span>⑥</span>「焦熱地獄」とは</h2>
<p>「焦熱地獄」（しょうねつじごく）は、大叫喚地獄の罪に加えて邪見（じゃけん）の罪が加わった罪人たちの地獄です。邪見（じゃけん）とは、仏の教えとは相いれない考えを説く者たちの罪ことです。</p>
<h3>焼き焦がす地獄</h3>
<p>「焦熱地獄」（しょうねつじごく）は、<span class="marker-under-red"><strong>罪人たちを焼き焦がす地獄</strong></span>です。罪人たちは、赤く熱した鉄の板の上で焼かれます。それ以外でも、熱い鉄の棒で体を突き通されてしまいます。その上、地獄の業火であぶり焼かれると言う罰を受けなくてはなりません。</p>
<p>体をばらばらに分解され、火にあぶられるという苦しみもあります。獄卒の中には、それらを丸めて火に焼いてしまうという責め苦もあります。</p>
<p>この地獄の業火は、とても熱く、ほんの少しでも地上のものを焼き尽くしてしまうという威力のあるものなのです。</p>
<h2>⑦「大焦熱地獄」とは</h2>
<p>「大焦熱地獄」（だいしょうねつじごく）とは、いまだかつて戒律をおかしたことのない童女や尼僧を犯した者が落ちる地獄です。</p>
<p><span> </span>「大焦熱地獄」の責め苦は、罪人を焼き焦がすという点では、焦熱地獄と同じです。その<span class="marker-under-red"><strong>苦しみは、はるかに大きく等活地獄から焦熱地獄を合わせた１０倍の苦しみ</strong></span>とされています。広さ２千キロ四方、高さ５千キロの広大な火の海に突き落とされてしまいます。<span> </span></p>
<h2>⑧「阿鼻地獄」とは</h2>
<p>「阿鼻地獄」（あびじごく）とは、「無間地獄」（むけんじごく）とも言います。ここは、いままでの罪のほかに父母を殺害したり、阿羅漢（聖者）を殺害したりするなど、仏教の五戒を破り、大乗を否定し、信者の布施をうけ、惰眠をむさぼり、ふしだらな生活をしてきた者が落ちる地獄です。</p>
<p>裁判でこの地獄へ行くと決められた後も、特別に責め苦があり、<span class="marker-under-red"><strong>他の罪人よりも苦しみが大きい</strong></span>のです。そして、その期間は「阿鼻地獄」に到達するまで続きます。この地獄に落ちるまでの時間は、２０００年もあるのです。</p>
<p>阿鼻地獄には、体長が約４００キロメートルの銅の体を持つ巨大な犬がいます。それ以外にも恐ろしい鬼たちやヘビが数えきれないほどいるのです。いままでの地獄の千倍以上の苦しみを受けるところです。「阿鼻」（あび）という言葉は、「無間」の意味で、間隔のないさまを言います。つまりひっきりなしに苦しみを与えられると言うことです。<span> </span></p>
<h2>地獄・極楽のありか</h2>
<p>江戸時代の禅僧に白隠禅師（はくいんぜんじ）という方がいました。（１６８６～１７６９）臨済宗の禅僧です。とても面白いエピソードを残しています。</p>
<p>ひとりの武士が白隠禅師を訪ねてきました。そして、難しい質問をしました。</p>
<p><span> </span>「地獄、極楽はどこにありますか」</p>
<p>白隠は、こう答えました。</p>
<p><span> </span>「そんなことを心配するなんて、なんという愚かな武士だ」</p>
<p>それでも武士はあきらめませんでした。何度も繰り返し質問したのですが、白隠も武士を愚か者呼ばわりしたのでした。ついに武士は怒って刀をぬきました。</p>
<p>「それじゃ、それが地獄じゃ」</p>
<p>白隠の大声に武士は、ハッとして気が付いたのでした。そして白隠に謝りました。</p>
<p>「それ、そこが極楽じゃ」</p>
<h3><span>地獄・極楽も心の持ち方</span></h3>
<p><span class="marker-under-red"><strong>地獄・極楽も心の持ち方</strong></span>だという白隠禅師のお話でした。武士は、地獄や極楽が、この宇宙のどこにあるのかという物理的な答えを求めていました。しかし、白隠は、地獄や極楽を肉眼で見ることができないことを悟っていました。</p>
<p>武士は、難しい質問をして困らせてやろうという魂胆でした。きっと白隠が、「まいった。降参だ」と言うのを期待していたのです。そこで、白隠は武士を散々に愚弄したのでした。怒った武士は、ついに刀を抜きました。普通の僧侶であれば、刀を見て恐れたことでしょう。</p>
<p>白隠は、死を恐れません。気迫をこめて、「それが地獄じゃ」と叫んだのです。ハッとする武士、にらみつける白隠の間には、ものすごい緊迫感があったはずです。「悟り」とは、穏やかに沈思黙考するだけでは、得られないということが分かります。<span> </span></p>
<h2>輪廻と解脱</h2>
<p>「六道」の中の「地獄道」だけは避けたいものです。輪廻の世界から離脱するためには、「解脱」（げだつ）しかありません。「解脱」とは、「悟り」を開いて<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/reincarnation-karma/">輪廻転生</a>することを終わらせることです。「解脱」をすれば、永久に「極楽浄土」に住むことになります。そこは、煩悩からの執着心をなくし、あらゆる束縛から解き放たれる世界です。</p>
<p>しかし、私たちは、お寺で厳しい修行をするわけにもいきません。しかし少しでも解脱に近づく方法として、気軽に無理なくできることをすれば良いのです。<span> </span></p>
<ul>
<li>⑴写経</li>
<li>⑵読経</li>
<li>⑶近くのお寺にお参りをする</li>
<li>⑷座禅</li>
<li>⑸四国八十八か所めぐり</li>
</ul>
<p>その他にもお寺が主催する講話を聴きに行くのも良いでしょう。悩みを解決するヒントが得られるかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>最後に</h2>
<div class="box_red">
<p>ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。地獄は、私たちのまわりに数限りなくあります。本当に苦しい世界です。どこに救いを求めたら良いか迷うばかりです。仏教では、心と体を整えることから始めます。静かな心は体のリズムを整えます。まず自分自身の心と体の健康から取り戻しましょう。</p>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>仏教における「畜生道」とは何か？分かりやすく解説します</title>
		<link>https://spiritual-media.pink/chikushodo/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[槐 隆久]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 13 Jan 2019 23:00:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[魂]]></category>
		<category><![CDATA[霊]]></category>
		<category><![CDATA[畜生道]]></category>
		<category><![CDATA[六道]]></category>
		<category><![CDATA[畜生]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://spiritual-media.pink/?p=2791</guid>

					<description><![CDATA[仏教における「畜生道」とは何か知りたい方へ。競馬で本命馬が外れてしまった時なんかに「ちくしょう！」と言うのを聞くことはありますが、あまりいいイメージの言葉ではありません。本記事では「畜生道」とは何か？仏教の中ではどんな世界なのか分かりやすく解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div id="8221attachment_27288243" style="width: 669px" class="wp-caption &#8221;aligncenter&#8221; size-full wp-image-2728"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-8221attachment-27288243" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg" alt="須弥山の概念図" width="1024" height="819" class="size-full wp-image-2727" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-300x240.jpg 300w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-768x614.jpg 768w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-1024x819.jpg 1024w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><p id="caption-8221attachment-27288243" class="wp-caption-text">須弥山の概念図</p></div>
<p>六道のある須弥山の世界には、４つの大陸があり、それらを大海がとりまいています。「畜生道」がある世界は、これらの４つ大陸と大海にあります。大陸には人間が住んでいます。動物や昆虫、そして魚や鳥たちの世界の「畜生道」は、これらの大陸と海と空に広がっているのです。</p>
<h3>六道絵</h3>
<p>滋賀県にある天台宗の聖衆来迎寺（しょうじゅらいこうじ）には、有名な六道絵があります。これは源信の往生要集（おうじょうようしゅう）を絵画化したものです。その中に「畜生道」を描いたものがあります。<span> </span></p>
<h3>「畜生道」の苦しみ</h3>
<p>「畜生道」を描いた絵画は、生物の様々な苦しみが描かれています。</p>
<p>大海では、龍が住み三熱の苦（熱風熱砂、悪風、子の誘拐）に悶え苦しんでいます。その他の人道の世界では、生物が、地上の世界で使役や殺生、捕食など様々な苦しみを受けています。</p>
<p>例えば、畑では農耕の鋤引きや荷物の運搬に使役される痩せた牛馬などが苦しんでいます。山の中では猟師の狩りの標的となる猪や鹿などが殺されています。<span> </span></p>
<h3>「畜生道」は弱肉強食の世界</h3>
<p>この「畜生道」は、弱肉強食の世界です。獰猛な動物は、弱い動物を捕食し、更に強く獰猛な動物が捕食していくと言う食物連鎖の世界でもあります。最後には人間が、生き残った動物を殺しているのです。</p>
<p>まさに人間は食物連鎖の最高位にあるのです。この「畜生道」で動物を殺した人間は、「地獄道」に落ちると言われています。</p>
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  <div overflow></div>
</amp-ad></div><h2>④どんな行いが畜生道に落ちるのか</h2>
<p>「往生要集」が訴えていることは、動物社会の過酷な弱肉強食の世界を表わすことで、人間が犯している罪を反映しています。<span class="marker-under-red"><strong>「畜生道」は、恐怖と不安の世界</strong></span>です。</p>
<p>仏教では、次のような事件を起こした人は、畜生道に堕ちると説きます。</p>
<ul>
<li>⑴詐欺事件</li>
<li>⑵育児放棄、虐待</li>
<li>⑶強盗、窃盗、恐喝、暴力事件</li>
<li>⑷浮気、不倫<span> </span></li>
</ul>
<p>よく私たちは、人の事をねたんだり恨んだりするときに、「ちくしょう」と言いますが、<span class="marker-under-red"><strong>怒りの言葉は自分に返ってきます</strong></span>。怒りは、血液中の怒りのホルモン（ノルアドレナリン）を増加させ、高血圧や糖尿病の原因にもなるそうです。生きていくことは辛いことですが、「ちくしょう」と言う度に、自分を傷つけ続けることは意味のないことです。</p>
<h2>⑤一休さんや親鸞さんの生き方も「畜生道」</h2>
<p>あの有名な一休さん。「狂雲集」という書物の中で、一休さんは、自分は牛なのか、牛が自分なのか、どちらにしても牛と変わらないと言っています。</p>
<blockquote>
<p>「家畜にも等しい本能むき出しの無分別な行いを私もやってきた。これは前世の僧が牛になったからなのか、前世の牛が僧になったからなのか、その因縁の次第は判らない。生まれてはみたが、どこからきたのか、とんと覚えがない。私には自分の前身がどんな僧なのかそれは知らない」</p>
</blockquote>
<p>一休さんは晩年、ひとりの女性と暮らしました。一休さんはその女性を愛し、その性愛のことも「狂雲集」の中に書いています。情事を終えて、</p>
<blockquote>
<p>「三度生まれ変わってもまた交わろうと三世の愛を誓う。生身のまま、畜生道に堕ちたのだ。」</p>
</blockquote>
<p>と告白しています。</p>
<h3>親鸞聖人</h3>
<p>もうひとり、親鸞さんも妻帯しています。３１歳で肉食妻帯（にくじきさいたい）しました。そして、４男３女をもうけたそうです。</p>
<p>一般的に僧侶は、肉食妻帯を禁止されていますが、公然とその禁を破りました。その真意は、<span class="marker-under-red"><strong>人間は生きるために動物の命を頂いていますが、それは自然の理だ</strong></span>ということです。本来の人間の生きる道を探求し、すべての人々が幸せになるように教えを説いたのです。</p>
<h2>⑥「建礼門院」と畜生道</h2>
<p>悲劇のヒロイン「建礼門院」（けんれいもんいん）は、平清盛（たいらのきよもり）の娘です。名前は、徳子です。源平の戦いで、「建礼門院」は生き残ってしまいます。その経緯はご存じの方も多いと思いますが、あらすじをご紹介します。</p>
<h3>建礼門院の人生</h3>
<p>源平の戦いは、最後の「壇ノ浦の戦い」で平家は敗れました。その時、船の上にいた安徳天皇は、祖母の二位尼（平時子）に抱かれ、海の中に沈んでいきました。続いて建礼門院も飛び込みますが、源氏の侍に熊手で髪の毛をからめとられて引き上げられてしまいました。</p>
<p>時は流れ建礼門院は出家して京都の大原の寂光院に入りました。そこへ後白河法皇が訪ねていきました。その時、建礼門院は「六道語り」と言われる話をしました。</p>
<h3>六道語り</h3>
<p>「六道語り」とは、平家清盛の娘として生まれてから、天皇の妃となり、安徳天皇の母となり、壇ノ浦までの話を「<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/rokudo/">六道</a>」の世界になぞらえて話をしました。</p>
<ol>
<li>「天道」・・・平家に生まれた事。木曽義仲に追われ、都落ちした時には、あまりの変化に「天人五衰の悲しみ」を感じたと言っています。</li>
<li>「人道」・・・このような変化に、人間の四苦八苦を経験しました。</li>
<li>「餓鬼道」・・・海上生活が始まり食べ物や飲み水もない餓鬼道を経験。</li>
<li>「阿修羅道」・・・源平の戦いの中にあって怖い思いをしたこと。</li>
<li>「地獄道」・・・海中に沈む人々の嘆きは叫喚・大叫喚地獄でした。</li>
<li>「畜生道」・・・平家物語では、「六道語り」の最後に「畜生道」のことが書かれていますが、建礼門院の見た夢の話になっています。その夢とは、建礼門院が、武士に捕らえられて都に戻る途中の明石浦と言う場所で、見た夢でした。</li>
</ol>
<p>その夢の光景は、安徳天皇と平家一門が昔住んでいた屋敷よりも立派な御殿に顔をそろえていました。建礼門院が、「ここはどこですか？」と聞くと、「竜宮城です」という答えでした。「ここには苦しみはないですか？」と聞くと、「龍畜経の中に書いてあります。よくよく弔ってください」という返事でした。</p>
<p>これだけでは、なぜ「畜生道」を見たと言えるのか、はっきりとしません。これには、３つの俗説があります。</p>
<h3>建礼門院にまつわる３つの俗説</h3>
<ul>
<li>⑴近親相姦説・・・兄の平宗盛や知盛と特別な関係にあったという噂話。（平家物語異本の延慶本、源平盛衰記）</li>
<li>⑵後白河法皇との不倫関係という説・・・夫の高倉上皇が臨終の際に、平清盛が考えたことですが、後白河法皇の後宮に送り込もうという話がありました。清盛の妻もこれに同意していると言う事実があったのです。</li>
<li>⑶源氏の兵たちに性的暴行を受けたという説・・・海から引き揚げられた後、勝利に酔った源氏の兵士たちが、建礼門院に乱暴を働いたという説。（現実的な戦争の後の兵士による暴行という推論）<span> </span></li>
</ul>
<p>平家物語の作者は、建礼門院の悲劇に惨めな「畜生道」を書くことはできず、竜宮城の夢の話に書き換えたのかもしれません。</p>
<div class="spiri-" id="spiri-1727992797"><a href="https://afi2.vernis.co.jp/link.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" target="_blank" rel="nofollow noopener"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://afi2.vernis.co.jp/data.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" width="360" height="360" border="0" /></a></div><h2>⑦畜生道に堕とされた「鳩摩羅什」（くまらじゅう）</h2>
<p>「鳩摩羅什」（くまらじゅう　３３４～４１３年）は、亀茲国（きじこく）の生まれです。西域と呼ばれる地域です。現在の新疆ウイグル自治区のあたりです。</p>
<h3>鳩摩羅什の生い立ち</h3>
<p>彼の父はインドの名門貴族の出身です。亀茲国（きじこく）の王女と結婚し鳩摩羅什が生まれました。７歳の時に母と共に出家しました。幼いころから聡明で１２歳で梵語の「転法輪経」を講じることができました。３６０年代に仏教の中心地であるインドのカシミールに遊学しました。そこで原始経典や阿毘達磨仏教を学びました。</p>
<h3>呂光の捕虜となった鳩摩羅什</h3>
<p>その後、亀茲国（きじこく）を攻略した前秦の呂光の捕虜となりました。（３８４年）捕虜となった鳩摩羅什は、涼州（りょうしゅう）に連れていかれました。涼州は現在の甘粛省です。中国の西北部にあり、西域に通じるシルクロードの分岐点には有名な敦煌（とんこう）があります。そのまま１７年間、捕らわれの身となりました。</p>
<h3>鳩摩羅什の才能にほれ込んだ呂光</h3>
<p>呂光は、勇猛な武将ですが、あまり教養はありませんでした。鳩摩羅什の豊富な知識は、呂光にとっては、大変貴重な存在でした。しばしば政治についての相談を受け、参謀的な役割を持たされました。鳩摩羅什は、参謀の傍ら仏教の研究にも没頭していました。しかし、呂光は鳩摩羅什の才能にほれ込んで自分のものにしたいと思いました。</p>
<h3>呂光によって畜生道に堕とされた鳩摩羅什</h3>
<p>なんと呂光は娘の王女と無理やり結婚させてしまいました。その方法は、卑劣極まるもので、酒を飲ました上に、王女と二人ひとつの部屋に閉じ込めたのです。鳩摩羅什は、本能の向くまま、獣と化して王女を抱いてしまったのでした。僧侶にとって女犯は、とても重たい罪とされています。無理やり破戒を強いられたとしても、鳩摩羅什は、自分が獣のような「畜生道」に堕ちたことをさぞ悩んだことでしょう。 仏教の世界では、破戒僧は「畜生道」に生まれ変わり牛になると言われています。</p>
<h3>仏教に熱心だった鳩摩羅什</h3>
<p>その時、彼を支えたのは、仏教に対する熱心な研究心でした。いつかは長安に行き仏教を広めたいと思っていました。１８年間の幽閉生活を経て、その後、新しい国王に招かれて長安に行きました。鳩摩羅什が漢訳した経経典は現在でも生きています。鳩摩羅什は、晩年になって自らの経典の翻訳について「臭泥の中に蓮華を生じるが如し」と語りました。おそらく女犯の罪の意識が強く残っていためと言われています。</p>
<h3>鳩摩羅什が漢訳した経典</h3>
<p>代表的な漢訳された経典として、</p>
<p>禅経、阿弥陀経、新賢劫経、大智度論、新大品経、百論、十誦律、仏蔵経、菩薩蔵経、維摩経、妙法蓮華経、華子経、自在王経、新小品経、中論、十二門論などがあります。</p>
<h2>⑧各地の動物慰霊祭</h2>
<p>私たちは、生きていくために動物の肉を食べたりします。小さい頃は、動物園に行ってめずらしい動物を見たりします。大学では、実験のために小さな動物を使います。私たちは日常的にあまりこれらの動物に罪の意識は感じませんが、膨大な量の動物が殺されています。貴重な命に感謝し敬意を表意して各地で慰霊祭が行われています。</p>
<h3>⑴動物園</h3>
<p>上野動物園や多摩動物園では、年に１度、１年間に死亡した動物たちのために動物慰霊祭を行っています。献花もできるそうなので、動物の好きな方は是非行ってみてください。その他、全国の主な動物園でも慰霊祭が行われています。</p>
<h3>⑵食肉関係</h3>
<p>私たちは、たんぱく補給源として動物を食べます。広島市の食肉市場では、年に２回、慰霊祭を行っています。その他にも、全国で食肉関係の事業をしている組合や会社でも慰霊祭を行っています。</p>
<h3>⑶大学関係</h3>
<p>全国の大学で年間、実験に使用するマウスやラットのために慰霊祭を行っています。私たちの健康のために使用された動物たちの冥福を祈りたいと思います。</p>
<h3>⑷鯨やイルカの慰霊祭</h3>
<p>鯨やイルカのための慰霊祭も行っていますが、鯨やイルカとなると、世界的に問題視されています。鯨やイルカは、絶滅危惧種であり、より高等な動物だという観点から食用にするのはいけないと言う声が強まっています。</p>
<p>私たちは、生きていくためには、動物の命を頂いて生きているという自覚を持つことが大切です。</p>
<p>最近はペット・ブームから、ペットの葬儀やお墓なども増えてきました。それを専業にする業者も増えてきました。それは、宗教活動ではなくビジネスとして行っています。なかには悪徳業者もあるので要注意です。</p>
<h2>⑨絶滅危機のサイ</h2>
<p>人間の欲望にはきりがないと言われています。人間は豊かになればなるほど、欲望が大きくなり、満足することはありません。いろいろな財を求めて、珍獣が殺されたりします。<span class="marker-under-red"><strong>動物を殺した者は、地獄に落ち苦しみを受けた後、さらに「畜生道」に生まれ変わるとされています</strong></span>。</p>
<p>アフリカのサイの密猟が禁止されているにもかかわらず、密猟者が後を絶たないそうです。今や絶滅寸前です。サイの角が高値で売れるからです。サイの角がなぜ高値で売れるかと言うと美容に効果があるからです。サイの角は最終的に中国に運ばれているのです。</p>
<h3>中国経済の成長</h3>
<p>中国は近年、経済成長が著しく富裕層が増えました。その昔は、中国は一部の政治家や軍閥が富を占めていましたが、革命後、人々の生活は豊かになってきました。日本にも買い物に来て、「爆買い」と言われるほど、一度に何百万も買い物していきます。ぜいたくになったことは悪いことではありませんが、そのために動物が絶滅するのは困ったことです。</p>
<h3>中国へのサイの角の密輸</h3>
<p>しかし中国では、１９９３年からサイの角の取引は禁止されているはずなのですが、どのようにして中国に運ばれるのでしょう。サイの角は、アフリカからベトナムに運ばれているようです。ベトナムの山岳地帯を通り、広西チワン族自治区や雲南省へ違法に中国に運ばれているようです。雲南省では、１５歳前後の子どもを使い河口の港から商品を運んでいると言われています。こうした子どもたちは、少額の罰金ですんでいます。</p>
<h3>動物保護の問題</h3>
<p>そのほかにも象牙や虎の体の一部など野生動物から作られた製品があります。ある特別の人間たちの欲望のために貴重な動物たちが犠牲になることは悲しいことです。その人たちが、「畜生道」のことを聞いて反省してくれれば良いのですが、おそらく無関心でしょう。その人たちにとっては、動物が絶滅しても問題にはしません。生きているうちは、「お金」が、ほとんどの問題を解決してくれるからです。</p>
<p>私たちは、そういう人たちに直接的に話をすることもできませんが、あきらめずに動物たちを守る意識を強く持って、何らかの形で動物を助けていくことを続けていくことが大切です。</p>
<h2>⑩インドで「牛」を食べている地域</h2>
<p>インドほど戒律の厳しい国はありません。いまだにカースト制度があり、人々はそれを社会の規範として守っています。食文化においても宗教的な制約が厳しく、ほとんどが肉食を禁止しています。<span class="marker-under-red"><strong>動物を食べた者は、「殺生」と同じという考えから、地獄に落ちた後、「畜生道」に転生すると言われています</strong></span>。</p>
<p>インドでは、ヒンドゥー教が神聖化している牛の肉を食べることができませんが、例外的に食べている地域があります。アラビア海を臨む南インド西岸にある「ケララ州」という地域では、牛肉を食べています。<span> </span></p>
<p>牛を食べているからと言って、「畜生道」に堕ちている地域かと言うとそうではありません。宗教的には、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教が混然一体となっていますが、トラブルはないようです。</p>
<h3><span>牛肉を食べる「ケララ州」</span></h3>
<p>歴史的にも古くからこの地域は、ヨーロッパとの交易がありました。現在は、インド最大のＩ<span>T</span>特区であり宇宙開発も行っています。識字率は１００％で、公衆衛生も良く、医療水準も高く、平均寿命も最も長い地域です。他のインドの地域とは格段の違いがあります。観光地としても有名でこの世の楽園と言われています。</p>
<p>ところが、２０１８年８月にこの地方をモンスーンが襲い、４４０人以上が死亡、１００万人以上が避難をしました。インドのモディ首相は、被災地を視察して緊急支援として５０億ルピー（約８０億円）を拠出することを決めました。バチカンの教皇フランシスコは、お見舞いの言葉を述べられました。日本政府も救援の用意があると発表しました。せっかく築かれたインドの楽園の一日も早い復興を祈ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>最後に</h2>
<div class="box_red">
<p>ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。<br />
「畜生道」は、死後の世界のことですが、「往生要集」にも書かれているように、動物たちの弱肉強食の連鎖の頂点に立つ人間の悪行がテーマとなっています。仏教の本来の趣旨は、死後どうするかということではなくて、生きている自分たちが今どうするかということです。</p>
<h3>「仏教における畜生道とは何か？分かりやすく解説します」の要点は</h3>
<ul>
<li>①「畜生道」とは、動物に生まれ変わる世界です</li>
<li>②「畜生道」では本能のままに生きる</li>
<li>③「畜生道」のある場所</li>
<li>④どんな行いが畜生道に落ちるのか</li>
<li>⑤一休さんや親鸞さんの生き方</li>
<li>⑥「建礼門院」と畜生道</li>
<li>⑦「鳩摩羅什」（くまらじゅう）の功績</li>
<li>⑧各地の動物慰霊祭</li>
<li>⑨絶滅危機のサイ</li>
<li>⑩インドで「牛」を食べている地域</li>
</ul>
<p>ということでした。<br />
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。</p>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>仏教における「人道」とは何か？分かりやすく解説します</title>
		<link>https://spiritual-media.pink/jindo/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[槐 隆久]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 09 Jan 2019 23:00:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[魂]]></category>
		<category><![CDATA[霊]]></category>
		<category><![CDATA[人道]]></category>
		<category><![CDATA[六道]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://spiritual-media.pink/?p=2785</guid>

					<description><![CDATA[仏教における「人道」という言葉の意味が知りたい方へ。「人道」は、ふだん、あまり聞きなれない言葉です。「人道」とは、死後の世界にある「六道」の中のひとつの世界のことです。仏教による「人道」とは、いったいどんな世界なのか？分かりやすく解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div id="8221attachment_27288243" style="width: 669px" class="wp-caption &#8221;aligncenter&#8221; size-full wp-image-2728"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-8221attachment-27288243" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg" alt="須弥山の概念図" width="1024" height="819" class="size-full wp-image-2727" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-300x240.jpg 300w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-768x614.jpg 768w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/49948762b3c18a9687dd3c771c70153a-1024x819.jpg 1024w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><p id="caption-8221attachment-27288243" class="wp-caption-text">須弥山の概念図</p></div>
<p>私たちは、死ぬと霊魂となって「あの世」に生きます。そこは<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/reincarnation-karma/">輪廻転生</a>の世界です、そこには「<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/rokudo/">六道</a>」があります。「人道」は「六道」の中のひとつです。</p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/rokudo" title="仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="62" height="90" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6-206x300.jpg 206w" sizes="(max-width: 62px) 100vw, 62px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">仏教における「六道」という言葉をの意味を調べている方へ。仏教における「六道」とは「あの世」のことです。「あの世」と言えば、「地獄」が思い浮かびますが、それだけではありません。本記事では、仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-media.pink" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">spiritual-media.pink</div></div></div></div></a>
<p>その輪廻転生の世界の中心に須弥山という山があります。須弥山の世界には４つの州があります。「人間界」は、この４つの州に分かれて存在します。</p>
<ol>
<li>贍部州（せんぶしゅう）・・・須弥山の南方にあります。</li>
<li>勝身州（しょうしんしゅう）・・・須弥山の東方にあります。</li>
<li>牛貨州（ごがしゅう）・・・須弥山の西方にあります。</li>
<li>俱盧州（くるしゅう）・・・須弥山の北方にあります。<span> </span></li>
</ol>
<p>私たちのいる「人間界」は、南の贍部州（せんぶしゅう）にあります。その他の州に住んでいる人間たちは、私たちとはかなり違います。</p>
<p>例えば、東にある勝身州（しょうしんしゅう）には、身長４メートルの大型の人間がいて寿命は平均２５０歳です。また西方にある牛貨州（ごがしゅう）に住む人間は、貨幣の代わりに牛を使うと言われています。牛貨州（ごがしゅう）名前の由来もそこから来ています。北方の俱盧州（くるしゅう）の人間は、身長が１６メートル、寿命は１０００歳にもなります。</p>
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  <div overflow></div>
</amp-ad></div><h2>②「人道」は「煩悩」の世界</h2>
<p>仏教の世界では、輪廻を繰り返すことは、「苦」とされています。私たちは<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/karmanohosoku/">業（カルマ）</a>を持っているために輪廻を繰り返します。業（カルマ）は、私たちが生きていくうえで、いろいろな欲望を持つことから生じます。食べることや寝ることなどは、生命維持のために必要なものです。しかし、過度な欲望は煩悩と呼ばれます。</p>
<p>私たちの生きる<span class="marker-under-red"><strong>「人道」の世界は、魅力的な誘惑で溢れています。そのため私たちは、過剰な刺激を受けて、必要以上の欲望を持ってしまいます。そのため余計な「煩悩」で満ちています</strong></span>。煩悩を満たすことは、一時的に満足を与えますが、また欲しくなります。それは、終わりがないために、終には「苦」に変わります。</p>
<p>そのため私たちは、苦しみから逃れられません。「煩悩」の種類は、執着の意味の「貧」（とん）、憎悪の意味の「瞋」（じん）、そして無知の意味の「痴」（ち）など、全部で１０８種類あるのです。人間は、基本的に５つの欲望があります。<span> </span></p>
<ul>
<li>⑴食欲</li>
<li>⑵財欲</li>
<li>⑶色欲</li>
<li>⑷名誉欲</li>
<li>⑸睡眠欲</li>
</ul>
<p>これらの欲は、生きていくうえで基本的な欲望です。食べなければ死んでしまうし、お金がなければ食べ物も買えません。性欲がなければ、子孫は残せません。名誉欲がなくなれば、自尊心もプライドもなくなってしまいます。睡眠をとらなければ、病気になってしまいます。</p>
<p>しかし、過度の欲望は、食欲で言えば、肥満になります。財欲が強すぎれば、人から物を奪うことにもなります。性欲を抑えることができなければ、犯罪を犯すことにつながります。</p>
<h2>③「人道」は「無常」の世界</h2>
<p>仏教では、この世のあらゆるものは、たえず変化し、永遠のものはないという考え方をしています。これを「<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/shogyomujyo/">諸行無常</a>」と言います。有名な「平家物語」の最初の一節に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という文が出てきます。祇園精舎は、釈迦が生存中にいたお寺です。釈迦の死が近づくと祇園精舎のなかの無常堂という場所に移しました。釈迦が亡くなった時に無常堂の鐘が鳴らされました。<span class="marker-under-red"><strong>一切のものに永遠はないという諸行無常の響きが伝わったと言う意味</strong></span>です。</p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/shogyomujyo" title="諸行無常とは？その意味を分かりやすく解説します" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="160" height="83" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/09/23c9e8a9f76e42f4ab14050ce0c7480f.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/09/23c9e8a9f76e42f4ab14050ce0c7480f.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/09/23c9e8a9f76e42f4ab14050ce0c7480f-300x156.jpg 300w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/09/23c9e8a9f76e42f4ab14050ce0c7480f-768x400.jpg 768w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/09/23c9e8a9f76e42f4ab14050ce0c7480f-1024x533.jpg 1024w" sizes="(max-width: 160px) 100vw, 160px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">諸行無常とは？その意味を分かりやすく解説します</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">「諸行無常」という言葉の意味を知りたい方へ。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる平家物語の冒頭の文を思い出す人が多いかもしれませんね。本記事では、諸行無常とは何か？その言葉の意味を紹介します。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-media.pink" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">spiritual-media.pink</div></div></div></div></a>
<p>私たちも死が近づけば、悲しみを覚えます。それは人間の命には寿命があるからです。私たちは、いくら長寿でも１００歳を超えることは難しいことです。「不老長寿」は昔からの人間の願いですが、長寿を願うことも煩悩のひとつです。</p>
<h2>④「自殺」は、仏教の世界ではどんな意味を持つのか</h2>
<p>一般的に、「自殺」は宗教上してはならない罪のひとつです。仏教においてはどうでしょうか。</p>
<p>「命」は、かけがいのないものです。粗末にして良いものではありません。しかし、悩みや苦しみから生きる望みも持てなくなって、「いっそのこと、死んでしまえば楽になる」と考えてしまうのは、否定できません。</p>
<h3>釈迦が自殺を思いとどまらせた逸話</h3>
<p>仏教では、釈迦が自殺をしようとした女性に思いとどまらせた逸話があります。</p>
<p>ある日のこと、釈迦はひとりの女性が自殺をしようとしているところに出会いました。釈迦は、自殺を思いとどまらせようと、牛の話をしました。</p>
<blockquote>
<p>毎日重い荷車をひく牛がいました。牛にとって、この苦しみを与えているのは、重い荷車のせいだと思いました。</p>
<p>ある日、牛は荷車を粉々に壊してしまいました。牛は、「これで明日から楽になれる」と喜びました。荷車の持ち主は、荷車を壊されてしまい困ってしまいました。そこで、今度は前よりも丈夫な荷車を作りました。牛は、また新しい荷車を引かされることになりました。</p>
<p>ところが、その荷車の重いことといったら、今までの荷車の何倍も重かったのです。牛は、それからは荷車を引くのに以前よりもっと苦しみを味わうことになりました。<span> </span></p>
</blockquote>
<p>この話を聞いた女性は、自殺を思いとどまりました。</p>
<p>人間は、因果応報の連鎖から逃れることはできません。生まれ変わった時に、「善因楽果、悪因苦果」の運命が待っているのです。</p>
<h3>仏教では自殺は善でもなく悪でもない</h3>
<p><span class="marker-under-red"><strong>仏教では、自殺は善でもなく悪でもないと言われています</strong></span>。人間は、不運な人生を歩む場合でも、その人に生まれながらにして、<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-message.pink/mission/">使命</a>のようなものを持たされているのも確かです。それに気が付くと、いくら不運な人生でも自分の人生の意味が解るのです。</p>
<h3>人生を音楽のメロディと考える</h3>
<p>人生をひとつの音楽のメロディと考えてみましょう。その音楽は、その人のオリジナルです。誰一人同じメロディはありません。メロディが鳴りやむまで、人生は続きます。そのメロディのなかにメッセージが込められています。それが、一人一人の使命です。</p>
<p>「自殺」は、その使命に気づく前に途中で、スイッチを切ってしまうようなものです。生まれ変わっても、その使命は生き続けます。使命を果たすのが、本当の人生の意味なのです。その女性が苦しい時に助けてあげたいのは、釈迦も同じ気持ちです。<span> </span></p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-message.pink/mission" title="&#20154;&#29983;&#12398;&#20351;&#21629;&#12392;&#12399;&#65311;&#35211;&#22833;&#12387;&#12390;&#12356;&#12427;&#26041;&#12408;&#12398;&#12473;&#12500;&#12522;&#12481;&#12517;&#12450;&#12523;&#12513;&#12483;&#12475;&#12540;&#12472; | Spiritual Message" class="blogcard-wrap external-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard external-blogcard eb-left cf"><div class="blogcard-label external-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail external-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://s.wordpress.com/mshots/v1/https%3A%2F%2Fspiritual-message.pink%2Fmission?w=160&#038;h=90" alt="" class="blogcard-thumb-image external-blogcard-thumb-image" width="160" height="90" /></figure><div class="blogcard-content external-blogcard-content"><div class="blogcard-title external-blogcard-title">&#20154;&#29983;&#12398;&#20351;&#21629;&#12392;&#12399;&#65311;&#35211;&#22833;&#12387;&#12390;&#12356;&#12427;&#26041;&#12408;&#12398;&#12473;&#12500;&#12522;&#12481;&#12517;&#12450;&#12523;&#12513;&#12483;&#12475;&#12540;&#12472; | Spiritual Message</div><div class="blogcard-snippet external-blogcard-snippet"></div></div><div class="blogcard-footer external-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site external-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon external-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-message.pink/mission" alt="" class="blogcard-favicon-image external-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain external-blogcard-domain">spiritual-message.pink</div></div></div></div></a>
<div class="spiri-" id="spiri-2560304087"><a href="https://afi2.vernis.co.jp/link.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" target="_blank" rel="nofollow noopener"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://afi2.vernis.co.jp/data.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" width="360" height="360" border="0" /></a></div><h2>⑤「贍部州（せんぶしゅう）」での特典</h2>
<p>私たち人間の住んでいるところが、南にある贍部州（せんぶしゅう）と言われると、私たちは地球に住んでいるので、奇異に感じますが、これは<strong>古代の仏教にあるヒマラヤ信仰</strong>に基づいています。ヒマラヤを須弥山の世界として描くと、人間の住んでいる世界は、須弥山の南方にあたります。ここでは、私たちは古代インドの人間と思ってください。</p>
<p>そして、この州の特権として、諸仏の現れるのは、この贍部州（せんぶしゅう）だけなのです。<span class="marker-under-red"><strong>私たちだけが、この世で諸仏の教えを受けられる</strong></span>というのです。それらの諸仏を<span class="marker-under-red"><strong>十方の諸仏（じっぽうのしょぶつ）</strong></span>と言います。</p>
<h3>十方の諸仏（じっぽうのしょぶつ）</h3>
<p>十方とは、十の方角のことです。東、西、南、北の四方（しほう）と、東南、西南、西北、東北の四維（しゆい）、それに上、下の２方向を合わせて、十方と言います。</p>
<p>仏教では、<strong>私たちの住む「人道」の世界を娑婆（しゃば）と言います</strong>が、十方世界のなかにあります。そして無数の仏が出現し私たちを救ってくださるのです。</p>
<h3>娑婆（しゃば）</h3>
<p>娑婆（しゃば）は、サンスクリット語のサハーを漢訳したものです。<span class="marker-under-red"><strong>釈迦が私たちを教化する世界のこと</strong></span>です。俗に刑務所を出た人が、「娑婆の空気はうまい」と言いますが、仏教での意味は、娑婆は「苦しみに耐え忍ばなければならない世界」なのです。</p>
<h2>⑥諸仏の加護を受けるには</h2>
<p>私たちは、諸仏に会えるという特権を持っているのですが、どのようにしたら諸仏に会えるのでしょう。私たちに一番親しみがあるのが、<strong>観音様</strong>ですが、観音様の正式な名前は、観世音菩薩あるいは観自在菩薩と言います。菩薩と言うのは、悟りを目指す者という意味です。私たちを救うために多くの修業を重ねた人です。将来は、<strong>如来</strong>になる者を言います。</p>
<h3>観世音菩薩（観自在菩薩）の名前の意味</h3>
<p>世の中のあらゆる人たちの悩みや苦しみの声（音）を聞き、自在に姿・形を変えて救ってくれる菩薩という意味です。変身のパターンは３３種類あるとされています。</p>
<p>六道には六観音として、それぞれに観音菩薩が割り当てられています。</p>
<ol>
<li>天道・・・如意輪観音（にょいりんかんのん）<span> </span></li>
<li>人道・・・准胝観音（じゅんていかんのん）あるいは不空羂策観音（ふくうけんさくかんのん）</li>
<li>阿修羅道・・・十一面観音（じゅういちめんかんのん）</li>
<li>畜生道・・・馬頭観音（ばとうかんのん）</li>
<li>餓鬼道・・・千手観音（せんじゅかんのん）</li>
<li>地獄道・・・聖観音（しょうかんのん） </li>
</ol>
<h2>⑦「人道」は六道の中で唯一「解脱」ができます</h2>
<p>「解脱」と言う言葉を聞いたことがあると思います。<span class="marker-under-red"><strong>「悟り」を開くこと</strong></span>です。お釈迦様も「悟り」を開くまで、とても大変な苦行をしました。「釈迦」というのはサンスクリット語ではシャーキャを音写したものです。もともとの意味は、釈迦の出身部族名です。釈迦牟尼（しゃかむに）は、「シャーキャ族の聖者」という意味です。釈迦の姓名は、サンスクリット語では、<strong>ガウタマ・シッダールタ</strong>と言います。パーリ語では、ゴータマ・シッダッダとも表記されます。</p>
<h3>ガウタマ・シッダールタ</h3>
<p>シッダールタは、２９歳で出家しました。それまでの王族としての生活を捨ててしまいました。師を訪ね歩き教えを求めましたが、どの師にも満足することができませんでした。その後６年間、いろいろな苦行をしましたが、悟りは開けませんでした。３５歳になり、<strong>菩提樹の下で瞑想</strong>に入りました。<span> </span></p>
<p>悪魔の様々な妨害もありましたが、終に悟りを開きました。その後、この悟りは世間の人々に伝えるべきものかを考えました。シッダールタは、「法を説いても人々は悟りの境地を知ることはできない」と判断しました。ところが、<strong>梵天が現れて、人々に法を説くように繰り返し強く要請</strong>されました。シッダールタは梵天の要請を受け入れて、人々に法を説くことにしました。</p>
<h3>悟りを開く＝解脱</h3>
<p><span class="marker-under-red"><strong>「悟り」を開くことを「解脱」（げだつ）と言います</strong></span>。煩悩から解き放たれて自由の境地に至ることを意味します。現世の迷いや輪廻の苦しみから解き放たれた理想的な心の境地になることです。</p>
<h2>⑧解脱をするには、「八正道」を行います</h2>
<p>人間世界は、常にあるものではなく、苦に満ちていると説きました。それは、人間世界は、「無常に基づく苦」であり、「生あるものは必ず死ぬ」という事実からは逃れられないことを言います。</p>
<p>釈迦は<strong>４つの苦</strong>があると言います。</p>
<ol>
<li>「生きること」</li>
<li>「老いること」</li>
<li>「病気になること」</li>
<li>「死ぬこと」</li>
</ol>
<p>の４つです。そして、４つの真理を説きました。それを<strong>四諦</strong>と言います。<span class="marker-under-red"><strong>「解脱」するためには、次の４つの真理を知ることと、「八正道」を実践すること</strong></span>だと言っています。</p>
<h3>四諦とは</h3>
<ul>
<li>⑴苦諦：この世のすべては苦であると見極めること</li>
<li>⑵集諦：苦の原因は執着と欲望であると知ること</li>
<li>⑶滅諦：苦の原因である執着と欲望を捨てること</li>
<li>⑷道諦：<span class="marker-under-red"><strong>八正道</strong></span>を実践すること</li>
</ul>
<h3>八正道とは</h3>
<ul>
<li>⑴正見：正しく物事を見ること</li>
<li>⑵正思惟：正しく考えること</li>
<li>⑶正語：正しい言葉を話すこと</li>
<li>⑷正業：正しい行いをすること</li>
<li>⑸正命：正しい生活をすること</li>
<li>⑹正精進：正しい努力を重ねること</li>
<li>⑺正念：正しい自覚を持つこと</li>
<li>⑻正定：正しい瞑想を行うこと</li>
</ul>
<p>釈迦は、８つの正しい行い（八正道）に努め、欲望を捨てることによって、解脱の境地に達することができると説きました。</p>
<h2>⑨禅の生き方「仏に逢ったら仏を殺せ」</h2>
<p>私たちは、苦しいことがあると、「神様、仏様、どうぞお助けください」と拝みます。ところが、臨済宗の開祖、臨済の言葉に、<span class="marker-under-red"><strong>「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷を殺せ。はじめて解脱を得ん」</strong></span>というものがあります。</p>
<p>禅宗の教えには、<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/zen-koan/">禅問答</a>にもあるように奇想天外な言葉が出てきます。その目的は、人間の捕らわれた心を解放し、自由な発想をうながすことのようです。父母を殺せば殺人です。許されるはずはありません。曹洞宗の開祖である道元も、弟子から「出家は父母の供養をどのようにすべきか」という問いに、「出家は父母の恩を広く世間に返すもの」だと言っています。</p>
<p><span> </span></p>
<h2>最後に</h2>
<div class="box_red">
<p>ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。<br />
仏教における「人道」は如何でしたでしょうか？「八正道」を実行して「解脱」する気持ちになれましたでしょうか？現代は、「不確実性の時代」とよく言われています。何を信じてよいか迷うことが多いと思います。そんな時には、「仏に逢ったら仏を殺せ」を思い出してください。</p>
<h3>仏教における「人道」とは…</h3>
<ul>
<li>①「人道」とは、六道の中の「人間界」です</li>
<li>②「人道」は「煩悩」の世界</li>
<li>③「人道」は「無常」の世界</li>
<li>④「自殺」は、仏教の世界ではどんな意味を持つのか</li>
<li>⑤「贍部州（せんぶしゅう）」での特典</li>
<li>⑥諸仏の加護を受けるには</li>
<li>⑦「人道」は六道の中で唯一「解脱」ができます</li>
<li>⑧解脱をするには、「八正道」を行います</li>
<li>⑨禅の生き方「仏に逢ったら仏を殺せ」</li>
</ul>
<p>ということでした。<br />
以上、最後までご覧頂き、有難うございました。</p>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>仏教における「天道」とは何か？分かりやすく解説します</title>
		<link>https://spiritual-media.pink/tendo/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[槐 隆久]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 07 Jan 2019 23:00:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[魂]]></category>
		<category><![CDATA[霊]]></category>
		<category><![CDATA[天道]]></category>
		<category><![CDATA[六道]]></category>
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					<description><![CDATA[仏教における「六道」の中の「天道」について知りたい方へ。「天道」は、死後の世界のひとつです。「天道」というと楽しく快適な世界のようですが、油断は禁物です。その快楽さえも苦しみのひとつなのです。本記事では、仏教における「天道」とは何か？分かりやすく解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>仏教における「<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/rokudo/">六道</a>」の中の「天道」について知りたい方へ。</p>
<p>「天道」は、死後の世界のひとつです。「天道」というと楽しく快適な世界のようですが、油断は禁物です。その快楽さえも苦しみのひとつなのです。</p>
<p>本記事では、仏教における「天道」とは何か？分かりやすく解説します。</p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/rokudo" title="仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="62" height="90" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/11/01e7a5f01e9539f4190cb334b02fa8f6-206x300.jpg 206w" sizes="(max-width: 62px) 100vw, 62px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">仏教における「六道」という言葉をの意味を調べている方へ。仏教における「六道」とは「あの世」のことです。「あの世」と言えば、「地獄」が思い浮かびますが、それだけではありません。本記事では、仏教における「六道」とは何か？分かりやすく解説します。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-media.pink" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">spiritual-media.pink</div></div></div></div></a>
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  <div overflow></div>
</amp-ad></div><h2>①「天道」とは、「六道」の中では一番楽しく快適な世界です</h2>
<p><span class="marker-under-red"><strong>「天道」は、前世で良い事をしてきた人が生まれ変わる場所です</strong></span>。六道の中では最高の場所です。須弥山の上空に行けば行くほど、幸せを感じることができます。</p>
<p>神通力も使え、心に思うだけでどこにでも行けます。そのように念じるだけで良いのです。ですから、そこにいるだけで幸せな気分になれます。美と平和に満ち、怒りも悲しみも、苦しみもありません。<span> </span></p>
<p>「天道」は、須弥山の中腹から始まり、上空に向けて２８段階の世界があります。「天界」や「天上界」とも言います。</p>
<h2>②「天道」の構造</h2>
<p>「天道」の構造を簡単に説明します。「天道」には３つの大きな世界があります。<span class="marker-under-red"><strong>欲界、色界、無色界</strong></span>の３つです。</p>
<ul>
<li>⑴欲界・・・欲界には２つの世界があります。<br />
地居天（じごてん）・・・須弥山と地続きの世界です。<br />
空居天（くうごてん）・・・須弥山よりも上の世界です。</li>
<li>⑵色界・・・肉体は物質的に残っています。</li>
<li>⑶無色界・・・物質を超越して、精神世界となります。</li>
</ul>
<p>以下にそれぞれの世界を詳しく説明します。</p>
<h2>③「天道」の「欲界」とは</h2>
<p><span class="marker-under-red"><strong>「欲界」には、地居天（じごてん）と空居天（くうごてん）の２つの世界があります</strong></span>が、地居天（じごてん）も空居天（くうごてん）の中にも、さらに細かい世界があります。</p>
<p>地居天（じごてん）には、２つの世界があります。</p>
<ul>
<li>①下天（げてん）</li>
<li>②忉利天（とうりてん）</li>
</ul>
<p>の２つの世界があります。</p>
<p>そして、空居天（くうごてん）には、更に４つの世界があります。</p>
<ul>
<li>①夜摩天（やまてん）</li>
<li>②兜率天（とそつてん）</li>
<li>③楽変化天（らくへんげてん）</li>
<li>④他化自在天（たけじざいてん）</li>
</ul>
<p>の４つです。</p>
<h3>６つの天界を総称して六欲天という</h3>
<p>これらの世界にある<strong>６つの天界を総称して六欲天</strong>といいます。なぜ欲の字が付くかと言うと、天道の世界に生きるものは、まだ食欲や性欲があるからです。</p>
<p>それでは、地居天（じごてん）の中身を説明していきます。</p>
<h3>⑴地居天（じごてん）</h3>
<p>地居天の構造から説明します。ここには、下天（げてん）と忉利天（とうりてん）の二つの世界があります。</p>
<h4>①下天（げてん）</h4>
<p>下天（げてん）には、<strong>四天王が住んでいます</strong>。<span class="marker-under-red"><strong>その役目は下天が一番地上に近いので、天道を荒らす者が侵入してこないように守っています</strong></span>。</p>
<ul>
<li>持国天・・・下天の東方を守っています。</li>
<li>広目天・・・下天の西方を守っています。</li>
<li>増長天・・・下天の南方を守っています。</li>
<li>多聞天・・・下天の北方を守っています。</li>
</ul>
<h4>②忉利天（とうりてん）</h4>
<p>忉利天（とうりてん）は、下天の上にあります。<strong>帝釈天（たいしゃくてん）をリーダーとする三十三天が住んでいます</strong>。帝釈天は千個の目を持っているので「千眼天」とも言われます。<span class="marker-under-red"><strong>釈尊を守り仏道修行者を保護する役目を持っています</strong></span>。</p>
<h3>⑵空居天（くうごてん）</h3>
<p>空居天の構造は、次の４つの世界があります。下から上の世界を順に説明します。</p>
<h4>①夜摩天（やまてん）</h4>
<p>夜摩天（やまてん）・・・ここは、もともと閻魔が治める世界でした。閻魔は、サンスクリット語で「ヤマ」です。それでこの世界を夜摩天（やまてん）と呼んでいます。焔摩天（えんまてん）とも言います。</p>
<h4>②兜率天（とそつてん）</h4>
<p>兜率天（とそつてん）・・・夜摩天（やまてん）の上にあるのが、兜率天（とそつてん）です。仏教の開祖である釈尊が住んでいましたが、釈尊の後は、弥勒菩薩が住んでいます。弥勒菩薩は、将来人間界に降臨し、衆生を救うために修行を積んでいます。観史多天（としたてん）とも言います。</p>
<h4>③楽変化天（らくへんげてん）</h4>
<p>楽変化天（らくへんげてん）・・・兜率天（とそつてん）の上にあるのが、楽変化天（らくへんげてん）です。ここに生まれ変わった者は、自ら楽しい境遇を造り楽しむことができると言われています。</p>
<h4>④他化自在天（たけじざいてん）</h4>
<p>他化自在天（たけじざいてん）・・・空居天の最上位にあるのが、他化自在天（たけじざいてん）です。この世界に生まれ変わった者は、名前の通り他の下位の天の楽しみを見て、自分の楽しみとすることができる世界です。精神的には更に高尚な境地と言えます。</p>
<div class="spiri-" id="spiri-1370175330"><a href="https://afi2.vernis.co.jp/link.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" target="_blank" rel="nofollow noopener"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://afi2.vernis.co.jp/data.php?i=5f8e8b93acd40&m=5cf15158c18d1" width="360" height="360" border="0" /></a></div><h2>④「天道」の「色界」とは</h2>
<p>「天道」のなかの<span class="marker-under-red"><strong>「色界」では、六欲天のような食欲や性欲は無くなっています。しかし、肉体は持っています</strong></span>。この色界には、４つの世界があります。<span> </span></p>
<h3>⑴初禅天</h3>
<p>この世界には<span class="marker-under-red"><strong>梵天（ぼんてん）の仲間が住んでいます</strong></span>。大梵天（だいぼんてん）、梵輔天（ぼんほてん）、梵衆天（ぼんしゅてん）の三種類です。</p>
<p>梵天は、釈尊が悟りを開いた時に、「この悟りは難しすぎるので、人々に伝えるべきかどうか」と迷いました。そこに現れたのが梵天（ぼんてん）です。「どうか衆生のために真理を説いてください」と釈尊を説得しました。それで、釈尊は仏教を説くようになりました。</p>
<h3>⑵第二禅天</h3>
<p>ここには３天の世界があります。<span class="marker-under-red"><strong>ここは光の世界です。清い光が肉体世界から精神世界への向上のために、全てを清めていきます</strong></span>。少光天（しょうこうてん）、無量光天（むりょうこうてん）、極光浄天（ごくこうじょうてん）の３つの世界があります。</p>
<h3>⑶第三禅天</h3>
<p>ここには、３つの天の世界があります。あらゆる苦悩が消えていきます。少浄天（しょうじょうてん）、無量浄天（むりょうじょうてん）、遍浄天（へんじょうてん）と進み、さらに高度に精神的な境地の存在となります。</p>
<h3>⑷第四禅天</h3>
<p>ここには、８つの天の世界があります。ほとんど肉体的存在が消えかかってしまうところです。下から順に進むに従って、肉体の存在が消えていき、精神的な活動が盛んとなり意識としての存在が濃厚になっていきます。<span> </span></p>
<ol>
<li>無雲天（むうんてん）</li>
<li>福生天（ふくしょうてん）</li>
<li>広果天（こうかてん）</li>
<li>無想天（むそうてん）</li>
<li>無煩天（むぼんてん）</li>
<li>無熱天（むねつてん）</li>
<li>善見天（ぜんけんてん）</li>
<li>善現天（ぜんげんてん）</li>
<li>色究竟天（しきくうぎょてん）</li>
</ol>
<p><span class="marker-under-red"><strong>色界の最高位にあるのが色究竟天（しきくうぎょてん）</strong></span>です。別名を阿迦尼咤天（あかにたてん）とも言います。また、この世界を有頂天とする場合もあります。</p>
<h2>⑤「天道」の「無色界」とは</h2>
<p>「無色界」には、４段階の物質のない精神だけの特別な世界があります。ここに生きる者は、<span class="marker-under-red"><strong>「色界」に比べると肉体を持たない純粋な精神世界にいることで、真理を見極める力が、ますます進んできます</strong></span>。<span> </span></p>
<h3>⑴空無辺処（くうむへんしょ）</h3>
<p>無色界の最下位ですが、すでに肉体はなく精神世界に向かっての入門編を学びます。</p>
<h3>⑵識無辺処（しきむへんしょ）</h3>
<p>次の段階に進んで、精神的に考える存在として宇宙を認識できるようになります。</p>
<h3>⑶無所有処（むしょうしょ）</h3>
<p>過去・現在・未来を超越し、何も存在し所有しないと感じる世界。</p>
<h3>⑷非想非非想処（ひそうひひそうしょ）</h3>
<p>この世界を有頂天とする場合もあります。認識は宇宙の広がりすべてに及びます。</p>
<h2>⑥天道についてここまでのまとめ</h2>
<p>「天道」の世界も「無色界」まで来ました。「天道」は「六道」の中でも最高の場所ですが、まだそれだけでは、解脱には至りません。</p>
<ul>
<li>欲界・・・食欲や性欲を持つ者が生きる世界。</li>
<li>色界・・・欲望からは離れた者が生きる世界ですが、肉体は残っています。</li>
<li>無色界・・・肉体も消え、精神だけが生きる世界です。</li>
</ul>
<h3>天界とはどのような世界か「性欲」で解説</h3>
<p>天界がどのような世界かバロメーターとして、性欲を例にとると、地居天（じごてん）の忉利天（とうりてん）は、帝釈天を中心とした世界なのですが、驚いたことに<span class="marker-under-red"><strong>「戯女市」（げじょし）という歓楽街</strong></span>があります。</p>
<p>しかし、天界も上層になれば、次第に煩悩から離れていきます。<strong>空居天（くうごてん）の夜摩天（やまてん）まで行くと、女性を軽くだきしめただけで欲望は収まる</strong>そうです。もっと上の世界の<span class="marker-under-red"><strong>楽変下天（らくへんげてん）では、ほほえみあうだけで満足</strong></span>し、<span class="marker-under-red"><strong>他化自在天（たけじざいてん）では、見つめ合うだけでも十分</strong></span>と言われています。</p>
<h3><span>「天道」は「六道」の世界のひとつに過ぎない</span></h3>
<p>それでも、「天道」は、「六道」の世界のひとつです。「無色界」に行けたとしても、いつかはその世界を去らねばなりません。<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/reincarnation-karma/">輪廻転生</a>からは逃れることはできないのです。次に「天道」を去るときの苦しみについて説明致します。</p>
<h2>⑥「天人五衰」とは</h2>
<p>毎日が快楽の日々を送る「天道」ですが、ここに生きる人たちにも寿命があります。最短の人でも９００万年あるとされています。寿命がつきれば、死ななくてはなりません。<span> </span></p>
<p>「天道」も輪廻の世界に変わりありません。時が来れば、次の世界に生まれ変わるのです。今までの快楽の世界も終わりを告げる時、その悲しみは大きいと言われています。その苦しみは、地獄にいる時よりも１６倍も苦しいというのです。</p>
<p>「天道」での臨終の間際におきる現象は次の通りです。</p>
<h3><span>天道での臨終の現象「</span>天人五衰<span>」</span></h3>
<ul>
<li>⑴頭上の冠の花がしぼむ</li>
<li>⑵わきの下に汗がでる</li>
<li>⑶衣装がみすぼらしくなる</li>
<li>⑷体からのオーラが出なくなる</li>
<li>⑸気分が滅入って鬱状態になる</li>
</ul>
<p>「天道」にいても、輪廻転生に不安を覚え、悲しみ、そして苦しむのです。なぜ善行をしたものが、こんな仕打ちに会わなければならないか、そこが仏教の目的なのです。結論は、善行だけなら、「天道」にも行けますが、限度があります。それ以上の苦しみから逃れるためには、<span class="marker-under-red"><strong>「極楽浄土の世界」にいかなければならない</strong></span>のです。</p>
<h2>⑦「善因楽果、悪因苦果」</h2>
<p>「天道」も六道輪廻の世界のひとつであるので、いつかは寿命が終わります。「天人五衰」の悲しみを避けることもできません。そこでやけになって、<strong>自暴自棄になれば、悪い業（カルマ）を残す</strong>ことになります。</p>
<h3>カルマの法則</h3>
<p>阿毘達磨倶舎論（あびだつまくしゃろん）では、因果応報について、過去の業（カルマ）は、現在を決定し、現在の業（カルマ）が未来の境涯を決定するものだと言っています。</p>

<a rel="noopener" target="_blank" href="https://spiritual-media.pink/karmanohosoku" title="カルマの法則とは何か？その本当の意味を解説" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="160" height="90" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2016/11/47d695c79d5a67ee847af9debd51f345.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2016/11/47d695c79d5a67ee847af9debd51f345.jpg 640w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2016/11/47d695c79d5a67ee847af9debd51f345-300x169.jpg 300w" sizes="(max-width: 160px) 100vw, 160px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">カルマの法則とは何か？その本当の意味を解説</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">カルマの法則とは何か知りたい方へ。基本的な意味と、カルマの法則はわたしたちの人生にどのように影響していて、どう向き合っていくべきものなのかについて、具体例なども挙げながらわかりやすく紐解いてゆきましょう。この記事では、深層心理セラピストの斎木サヤカが、カルマの法則とは何かその意味を分かりやすく詳しく解説致します。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://spiritual-media.pink" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">spiritual-media.pink</div></div></div></div></a>
<p>そうだからと言って、因果応報を悲観的な運命論的にとらえてしまうと、不幸な人生を克服もできず、来世の人生も良くなりません。</p>
<p><span class="marker-under-red"><strong>現在の不幸な自分を嘆いて、自暴自棄になるよりも、勇気をもって、一生懸命、「善」に努力して未来を明るいものにできると信じることが必要</strong></span>なのです。</p>
<p>俱舎論では、善因善果あるいは悪因悪果ではなく、善因楽果あるいは悪因苦果と言っています。<strong>良い事をしておけば、今よりは好ましいことになりますが、悪いことをすれば、好ましくないことになります</strong>という意味です。</p>
<h2>⑧「西方極楽浄土」</h2>
<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/e93cccae5146f5c039ad536854ef52ca.jpg" alt="極楽・天国" width="1024" height="576" class="aligncenter size-full wp-image-2205" srcset="https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/e93cccae5146f5c039ad536854ef52ca.jpg 600w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/e93cccae5146f5c039ad536854ef52ca-300x169.jpg 300w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/e93cccae5146f5c039ad536854ef52ca-768x432.jpg 768w, https://spiritual-media.pink/wp-content/uploads/2018/08/e93cccae5146f5c039ad536854ef52ca-1024x576.jpg 1024w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" />「天道」にいる人は、次の上の世界である<span class="marker-under-red"><strong>「極楽浄土」</strong></span>をめざすべきです。その中でも私たちに一番親しみがあるのが、「<span class="marker-under-red"><strong>西方極楽浄土</strong></span>」です。この極楽浄土は、<span class="marker-under-red"><strong>阿弥陀如来</strong></span>が創った世界です。</p>
<h3>極楽は理想郷</h3>
<p>極楽は理想郷です。美しい宮殿や楼閣があり、良い香りの花々が咲いています。宝石の実がなる樹木や川や池の底には金の砂が敷き詰められています。住居は、四宝（金・銀・瑠璃・水晶）で飾られ、庭には七宝の池があります。池には蓮の花が咲き乱れています。服装は、豪華な装身具で飾り立てられているのです。</p>
<p>毎日の生活は、仏の説法に始まります。<strong>極楽という場所では、毎日が修行の生活</strong>なのです。</p>
<h2>⑨「四十八願」</h2>
<p>「天道」にいる人たちが、一番「極楽浄土」に近いですが、私たちも<strong>「極楽浄土」に行けるチャンス</strong>はあります。</p>
<p>阿弥陀如来は、もともと無諍念王（むじょうねんおう）といい、出家して法蔵（ほうぞう）となりました。彼は、世自在王仏（せじざいおうぶつ）の下で修行して、四十八の願を立てることを誓いました。その中でも一番重要なのが、<span class="marker-under-red"><strong>「王本願」（おうほんがん）</strong></span>と呼ばれるものです。</p>
<h3>「王本願</h3>
<p>「どんな悪人でもかまわない。心の底から私を信じ、極楽浄土に生まれ変わりたいと願う者がいるのなら、その者がわずか十遍でも、<strong>『南無阿弥陀仏』</strong>と唱えたならば、その者を必ずこの浄土に生まれ変わらせたい」と阿弥陀如来は、そのように願ったのです。</p>
<p><span> </span></p>
<h2>最後に</h2>
<div class="box_red">
<p>ここまでの長文をお読み頂き、有難うございます。<br />
「天道（天上界）」への転生は、よほどの善行がなければ入れません。凡人には無理と考えた方が良いでしょう。それよりも、阿弥陀如来様がおっしゃるように、<span class="marker-under-red"><strong>「南無阿弥陀仏を毎日、十遍でも良いから唱えなさい、そうすれば極楽に行けますよ」</strong></span>というお言葉に従ってみるのも良いのではないでしょうか。</p>
<p>落語に出てくる話に、「身投げ」をしようとしている人の話があります。どんなお経の文句を唱えたら、成仏できるかということで、それぞれのお経の特徴から、可笑しみが出てきます。</p>
<blockquote>
<p>橋のたもとから身投げをしようとしている人が、唱えるのが、やはり、「なむあみだぶつ」で、ございます。これが、日蓮さんの「なんみょうほうれんげきょう、デンツク、デンデンツクツク」だと、元気が良すぎて死ぬ気がなくなりますな。</p>
<p>そうかと言って、空海さんの「おんあぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まにはんどま、じんばら、はらばりたや、うん」では、長すぎてこれから身投げをするのを忘れてしまいそうでございます。</p>
<p>やはり、「身投げ」には、「なむあみだぶつ」を３遍、ゆっくり唱えて、終わったところで、ドボーンと飛び込むのが、一番よろしいようで・・・（笑い）</p>
</blockquote>
<p>以上、最後までご覧頂き、有難うございました。</p>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
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	</channel>
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